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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ファンタジーと言葉 (岩波現代文庫) by アーシュラ・K.ル=グウィン

ル・グインが創作についてや図書館のこと、自己紹介から今まで読んできた本などいろいろと語っているエッセイの文庫化。元は2006年に出た単行本だから、ファンは既に読んでいるものと思うが僕は今回文庫化にあたってはじめて読んだ。ル・グインは代表作ゲド戦記や闇の左手が有名で、ファンタジーやSFの人という認識が多いかもしれないが、僕にとってル・グインはジャンル分け不能な存在としてどっしり腰を据えている。ファンタジー、SF、ル・グイン、みたいな。そこには容易にジャンルとして分断できないル・グインの共通性というものが確固として存在しており、それがジャンルなんてものより強く存在感を放って大きく場所を占めているからだろうと思う。

ル・グインがいかにして本にのめり込んでいったか、どのようにして指輪物語やハックルベリー・フィンの冒険を読んだかを縦横無尽に語っていく文章はル・グインのフィクション作品を読んでいるかのように、深いところへと潜っていくような言葉の連なりになっていて、引きずり込まれる。そして『自由とは何か、についてのわたしなりの定義を申し上げます。自由とは、ワイドナー図書館の書庫入室特権のことです。』などなど、生まれた時代も違えば、性別も違う、たどってきた履歴がまるで異なる人間の間にあっても共鳴する部分は多くあるのだと教えてくれる。僕も人生の多くの時間を図書館と図書館から借りてきた本との間で過ごしたものだ。そしてそれはとても幸福な時間だった。

 あの尽きることなく書架が並んでいる信じがたい書庫から初めて出てきたときのことを思い出します。歩くのもやっとでした。何しろ、二五冊からの本をかかえていたのですから。でも、わたしは空を駆けていました。振り返って、図書館の幅の広い階段を見上げた時、これこそ天国だ、とわたしは思ったのです。これがわたしにとっての天国です。世界中のすべての言葉があり、それをわたしが読んでいいのだ。ついに自由になった、神よ、ついに自由だ!

さきにル・グインは僕の中ではファンタジーやSFといったジャンルとはまた別のところにいる書き手であるという意味のことを書いたが、ル・グイン自身はジャンルといったものについて自覚的な作家である。書名が『ファンタジーと言葉』と題されているように、ファンタジーについてと広義の言葉についての言及が殆どを占める。つまるところル・グインは明確に(と表現するのはおかしいかもしれないが)、ファンタジーの成立過程から世界へと受容されていく流れ、そして自身のファンタジー観をつくりあげている。

 ファンタジーもしばしばありきたりの生活を舞台にするが、リアリズムが扱う社会的習慣よりも恒久的で、普遍的な現実を原材料として使う。ファンタジーをつくりあげている実体は心理的な素材、人類に共通の要素である。現在のニューヨーク、一八五〇年のロンドン、三千年前の中国について何一つ知らなくても、あるいは学ばなくても、わたしたちにわかる状況やイメージがその不変の定数なのである。

そしてなんといっても創作、とりわけ物語ることについてのル・グインの言葉は確信に満ちていて、技術的なだれでも採用可能であるロジックを背骨として持ちながら、それでいてさらにその奥の作家本人の「固有のVOICE」とは何なのかについてまで触れてみせる深遠なものだ。主に創作について語り始める後半部分は線を引きすぎて本が真っ黒になってしまった。アイディアはどこからくるのかについて、登場人物について、物語るときの根本的な心構えについて。

もちろん物語ることについて語る人々はそれぞれ一流の人々であっても、工場でつくる水洗トイレのようにまったく同じものを創っているわけではないのだから手法も考え方も、その表現は大きく異なっている。しかし掘り進んでいくそれぞれのスタート地点は違っても、最終的にたどり着く根源は同じ場所についているのじゃないかという気もする。掘っていった先で、やあ、君もここに辿り着いたのか、とでもいうように。村上春樹はそれを井戸に潜るように、断片がちょっとずつ集まってくるようにと語り、ヴァージニア・ウルフはある光景、ある感情が心の中に波をつくりだし、人はこれをつかまえて、動き出させて、それに合った文章を作っていくのと語り、ル・グインは『世界は物語でいっぱいで、そこに物語があるときには、あるのですから、ただ手を伸ばして摘みとればいいのです。』と語る。

 芸術は芸術です。すべての芸術は常に、本質的に技術の創りだした作品です。けれども、真の芸術作品には、技術の前、また後に、ある本質的で恒久的な存在の核があって、技術はこれに働きかけ、これを露にし、これを解放するのです。石のなかにひそんでいる像。芸術家はどうやって、それを見つけるのでしょう。どうやって、目に見える前に、それを見てとるのでしょう。これが本当の質問なのです。
 わたしが気に入っている答えの一つはこうです。だれかがウィリー・ネルソンにどうやって歌を思いつくのかと訊いたとき、ネルソンはいいました。「空気中には歌がいっぱいあるから、おれはただ手を伸ばしてそれを摘みとるのさ」。
 さて、これは秘密ではありません。これは甘美な謎です。
 しかも本物です。真の謎です。そういうことなのです。作家にとって、物語の語り手にとって、世界は物語でいっぱいで、そこに物語があるときには、あるのですから、ただ手を伸ばして摘みとればいいのです。

これは「アイディアはどこからとったのか」というル・グインが一番よくきかれる質問に対しての答えとして書かれているものである。ただ摘みとれっていったってそんなファンタジックなこと言われたってどうしようもないよな、目の前ににょきにょきと物語が生えてくるわけじゃああるまいしとも思う。だがここには確かにル・グインの確信がある。物語ることについて熱をこめて語っていくうちに、表現はどんどん詩的に、抽象性を増していくかのように見えるが常に本質、根っこのところではブレていない為どこまでいってもル・グインは単なる装飾ではなくただただ真摯に職業的な追求の果てにそこに辿り着いたのだという信頼が増していく。

エッセイ集だが、読み終えた時にはトランス状態に入ったル・グインと長い対話を終えたかのような緊張感と満足感がある。

ファンタジーと言葉 (岩波現代文庫)

ファンタジーと言葉 (岩波現代文庫)