基本読書

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ファイト・クラブ〔新版〕 by チャック・パラニューク

ファイト・クラブといえばやはり映画の印象が強い人が多いのではないだろうか。僕の場合はちょっと違っていて、リアルタイムで映画を観たわけではなく、「ファイト・クラブにドはまりしたボンクラたちの熱い映画評」がスゴイ作品だという認識が強い。なぜかファイト・クラブという映画について熱をこめて語る人達は、まるでこの作品を語ることに自分の全情熱を傾けねば死ぬのだとでもいうような迫力がある。中でもやはり印象に残っているのは故・伊藤計劃氏の映画評。オールタイム・ベスト10の一本でもあるこの作品の語りはそれ自体が面白いものであった。まあ、僕は映画自体の印象はあまり残っていないんだけど。もちろん場面場面は印象的なのだが──ふうん、これがあの人達が熱狂する作品なのかあという以外の感慨が湧いてこない。「刺さらなかった」人間であるようだ。まことに残念なことに。

さて──それで肝心の小説の方なのだけれども、これはもうべらぼうに面白い、かっこいい。何より今をもってなお新しい、読んだ瞬間に虜にされてしまう圧倒的な文体がある。出てくる人物は下卑た人間から追い詰められた人間まで、メチャクチャ。普通に考えたらギャグのようにしか思えないシーンまで、読んでいるこっちに迫ってくるような熱量を感じる。いったいなんなんだろう、というのが読み終えての第一印象であり、一つ一つのシーンと台詞が脳内にこびりついて離れないインパクトを与えてくる。

物語の主人公はひどい不眠症を患っておりその解決、精神の休息の為に数々の死に瀕するような病気の集会にさも自分も病人のフリをして顔を出し、死を間近で観察することで自分の生の実感を得ている。集会の終わり頃みなが抱き合う時になると彼は激しく泣く。二年もそんな生活をしてすっかり不眠症からも解放されたと思っていたら、彼と同じように生の実感を得るために偽の患者として現れる女・マーラの存在を確認してしまい、それ以来また不眠症が再発することになる。彼の安息の地は奪われてしまったのだ。

「断る」マーラは言った。一つも譲らない。ガンも寄生虫感染症も。マーラは目を細めてぼくをにらみつける。まさかここまで効果絶大だとは思ってもみなかった、とマーラは言う。生きてるって実感できる。肌に透明感が戻った。生まれてこの方、死人を見たことがない。対比するものがなかったから、生を実感できなかった。ところがいまや死にかけた人、死、喪失感、悲しみを知っている。涙とおののき、恐怖と哀れみ。誰もがどこへ向かっているか理解したいま、マーラは人生の一瞬一瞬を慈しんでいる。

なかなかのクソ野郎共だがその気持ちに共感を覚えてしまうのもまた確かだ。僕は不眠症ではないが、全く眠れず意識が朦朧としていく中で死を意識した人たちを前にして生を実感するというのは──気持ちとして強烈に理解できる。涙を流すのも、その時の心情もありありと実感できてしまう。物語にはもう一人、先導役がいる。映画でも強烈な印象を残すタイラー・ホーデンだ。主人公にもよくわからない経緯、ビーチでの出会いを通してタイラー・ホーデンと主人公は知り合い、主人公の家が謎の爆発を遂げてからタイラー・ホーデンと共に暮らし始める。

家に入れてやる条件としてタイラーは「おれを力いっぱい殴ってくれ」と言い、その二人の殴り合いが後に「ファイト・クラブ」と呼ばれる男たちの夜な夜な行われる殴り合いの集会につながっていくことになる。必ず1対1、ファイト・クラブのことは口外してはならない、相手が降参したり演技でも失神したらそこで終わりなどの一応のルールあるファイトだ。タイラーは主人公が出来ない数々のことをいとも容易くやってみせる。社会の抑圧を破壊しつくし、物事に死ぬ気であたっていくことのできる男、世界を変革できる男だ。彼にとってのヒーロー。対する主人公はファイト・クラブで精神の発散をするだけのちゃちな男。それでも彼はその生活に満足を覚えている。

理不尽な目にあったときに「こんな理不尽を与える抑圧の原因を破壊し尽くしてやる!」という外向きの破壊衝動と「なんでこんな目にあわなくちゃいけないんだ/こんな目に合うのは自分が悪いせいか」と自分を攻める内向きの破壊衝動の両方が人間にはあるように思う。ファイト・クラブはその内向きの破壊衝動と外向きの破壊衝動を同時に発散させるかのような試みだ。仕事で、人間づきあいで、ただなんとなく鬱屈して、誰も彼もが何らかのストレスを貯めこんでいく。ファイト・クラブの参加者は相手の身体を殴ることによって、そして相手によって自分の身体を好き放題に殴らせることによって、内向きと外向きの破壊衝動をここで一度に発散してしまっている。

すべてを破壊してやるんだ、規範も、社会も、身体も、物質も全部全部全部。ある意味そうすれば世界は見晴らしがよくなるだろう。何もわかっていない上司が押し付けてくる仕事を、椅子を蹴っ飛ばし自分の立場ごと破壊してやればすっきりした世界になる。ナメた態度をとってくる取引先に唾を吐きかけて大股で会社を出て行くのだ。だが、誰しも失うものがある。子供がいればその生活を守る為にも我慢しなけりゃあいけない。刑務所に入れられたくもないだろう。そんなことは出来ない。だからこそ、できたら気持ちがよいだろうなと思う。

 社会のくずであることと歴史の奴隷であることに関してタイラーがいつも言っているとおりの気分だった。自分が恵まれなかった美しいものをすべて破壊したかった。アマゾンの熱帯雨林を焼き尽くしたかった。フロンを空に噴射してオゾン層を破壊したかった。スーパータンカーの放出バルブを全開にしたり、海底油田の蓋を取り除いたりしたかった。ぼくには買って食べるゆとりのない魚を全部殺し、ぼくが行けることのないフランスのビーチを絞め殺してしまいたかった。
 全世界をどん底に突き落としたかった。

ファイト・クラブという作品がやってくれるのはそうした「ほとんどの人間にはできない圧倒的な解放」を、あくまでも「ありえそうなフィールド」を通して表現することだろう。夜な夜な男どもが集まってきて、シャツと靴を脱いで殴りあう。彼らは体中ボコボコになるがすっきりとした気持ちを携えて翌日以降抑圧された社会へと戻っていく。ただし心は解放されているのだ。

現実でボコボコにすることはないが、それでもファイト・クラブを経験した人間はいざとなったら相手をボコボコにすればいいという覚悟が決まっているように見える。外で同じくファイト・クラブの参加者を見かけても決して話しかけることはなく、ひそかな連帯で繋がれたことだけをただ実感する。上司の椅子を蹴飛ばす代わりに自分と他人の身体を痛めつける、それは社会変革の一歩手前、自己変革のギリギリの縁である。

本書には著者あとがきがついているが、そこではファイト・クラブの映画が公開された後起こった様々なことが羅列的に書かれている。雑誌や新聞から電話がかかってきてどこか典型的なファイト・クラブを教えてくれと言われたり。ウェイターが料理に細工をする場面を読んだ実際のウェイターが自分も同僚もセレブリティの料理にいろんなものを混ぜていたんだよと告白してくれたことを紹介したり。チャック・パラニュークの書く一つ一つのシーンには絶対にこれはありそうだという「迫真性」がこめられている。ファイト・クラブも、ウェイターが料理に色々なものを混ぜるのも、生の実感を得るために数々のガン被害者の会に潜り込むのも。

解説で触れられている著者のインタビューでは周りのみんなから本当に面白い話を聞いて、そうした話を集めて話を作ってみたらどうだろうと思ったと語っている。ファイト・クラブの80パーセントまではこうして集めた話だともいうが、しかし……正直言って「実話だから」とかそういうレベルの問題を超えているように思う。たとえばこんなシーンがある。主人公が鬼気迫り獣医志望の男の子を拳銃を突きつけて脅し、「きみの運転免許証を持っている。」「きみの様子を確認させてもらうぞ」「さあ、行けよ、きみの短い人生を生きろ。だが、いいか、ぼくが監視してることを忘れるんじゃないぞ、レイモンド・ハッセルくん。」と獣医になれなかったら殺しに行くことを確約する。

無茶苦茶なシーンだ。だがまるで自分が脅されているように感じる。この少年はこの後確かに背筋に銃口の気配を感じながら獣医になる為に死ぬ気で努力をするだろうとわかってしまう。ファイト・クラブでの殴り合いのシーンは自分もまた何か大きな抑圧から解放されていくような気分を一緒に味わっている。全世界をどん底に突き落としたかったという普通じゃない破壊衝動にまで、強い共感を覚えてしまう。感情移入──とはまた違ったレベルの、強烈なシンクロのような体験を。

それは彼の強烈な文体に起因しているところも大きいのだろう。『登場人物が一つのシーンから次へと直線的に進んでいくのではなく、カット、カット、カット、カメラが切り替わるように物語を進行させる方法があるはずだと思った。ジャンプの連続。一つの場面から次へ。読者を迷子にさせることなく、物語のあらゆる側面を提示する方法が何かあるはずだ。』と語るように、文章が一行進むたびにエッセンスがボディーに打ち込まれていくように気分は高揚し思考はクリアになり抑圧から一歩解放されたような気分を味わっていく。まるで詩か何かのようでありながらそれで表現されるのは生々しい実感だ。

まるで時間から浮き上がっているような──、無時間的に人間の抑圧と解放のリズムそのものを描いているというのがこの作品を「いま」読んでの感想だ。これを読んだあとで映画をみたらまた印象が変わりそうだなあ。

ファイト・クラブ〔新版〕 (ハヤカワ文庫NV)

ファイト・クラブ〔新版〕 (ハヤカワ文庫NV)