基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

チャッピー by ニール・ブロムカンプ

チャッピー

チャッピー

おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいいいいいい神映画かよおおおおおおおおおおと思いながらずっと映画を見ていてトイレに行きたかったのにおいいいいいいいいい立ち上がる暇がねえじゃねえかああああああああと思うぐらい全シーン見どころだらけで何がいいたいのかというと完全にドストレートに僕に響いてくる映画で信じられないぐらい面白くてうっひゃああああああああブロムカンプ天才かよおおおおおおおおおおおおおおと心のなかで絶叫しながらみていたんだ……完全に最高な映画なんだ……。終わった瞬間にうわうわうわうわなんだこれなんだこれと思って即効で家に返っておいおいおいおいおいおいおいとこの記事を書き始めてるんだよ……。

ど、どうなんだ? ここまでドハマりすると、なんだろう、客観的な視点みたいなものが自分の中から失われてしまって「おいおいおいおい最高かよ……?????」以外の感想が消えてしまう為に本当にこれが自分以外の人間にとって最高なのかどうかさっぱりわからないんだけれども少なくともええ、僕にとっては最高の映画でしたね。荒れ狂う暴力、ガバガバな技術設定、バカみたいなシチュエーション、筋書き、それでいて絵面的には常にばっちりキマってる。

一瞬我に返って、この状態のまま何かを書くわけにはいかないと思って一応、見た人に「え、どうだった!? 完全に最高じゃなかった!? なにもかも素晴らしくなかった!?」ときいたら「いや、面白かったけどあれ(映画の幾つかの設定・描写)はなくない?」と言われて一瞬我にかえって「まあ、そうだなあ」と思ったけど。ただし、それも「まあ、そうだ」けど、「でもそれを補って余りある展開の妙がある」から帳消しにされている。もうね、筋書きの時点で最高すぎるんですよね。一日300件もの暴力事件が起こる暴力都市・ヨハネスブルグでロボット警察であるスカウトが導入された! ロボット警察は人工知能で動き、チタン製で銃撃なんてものともしないスーパーロボットだ! っていってドドーンって最初のシーンはギャングを皆殺しにするスカウト達のシーンから始まるんですけど、もうこの時点で最高なわけですよ。

悪い奴らは徹底的に悪いやつらだし、ロボット警察官はまったく無機的にそのギャング共を制圧していくわけで、うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ感がある。ヤクの受け渡しをしていた仲介役がきっちり警察に後を付けられていて、スカウトと人間の混合チームが突如襲い掛かる! 「おいおめえらつけられてるじゃねえか!」つって銃撃がはじまって、これがまたロボット警察側は人間も混合しているのがいいんですよね。多少いる人間は人間型のチャッピーを盾にしながら弾をカンカンカンカンと弾きながら進んでいく。このシーンのギャングのギャングっぷりは最高にギャングだし、やべえ、スカウトだ! といって逃げ惑う小物っぷりも完全に素晴らしい。

あらすじとか主要面子とか

スカウトに襲撃されたアジトから命からがら逃げたものの、ギャング間の抗争で一週間で巨額の金を集めなくてはいけなくなったギャング三人衆と、最初のギャング制圧シークエンスで派手にぶっ壊されてしまったスカウト22号。自身が開発した人工知能ソフトウェアを搭載する為に密かに盗みだした開発者のディオンと、ディオンによって知能を植え付けられることになるロボット警察官であるチャッピーがこの映画の主要面子だ。ヒットする物語はだいたい一言で説明してもその面白さが伝わるものだとは時にいうものだが、チャッピーにもそれは当てはまっている。一言で言えばそれは「ギャングに教育されたAIであるチャッピーがギャングスター・チャッピーになるまでの話」だ。見る人によってその表現は異なると思うが、まあだいたいそれであっていると思ってもらってかまわない!

ディオンはおうちで頑張って人工知能をつくってて、それが完成した時に自社のCEOに「人工知能できたっす! 絵とか詩とかが書けるんスよマジで! マジ凄くないっすか!?」とナードっぽく言いに行ったら「おいてめえディオン、あのねえ、ウチは兵器会社なんよ、そんでアタシはその兵器会社のCEOなんよ。そんな相手に普通詩が書ける人工知能売り込みにくるかな? 常識で考えりゃわかるよね? 兵器に詩とかマジいらないよね??」(全体的に冬木糸一による意訳)と歳はいってるけど美人な女性CEOに言われて、ナードなディオン君はショボーンそうっすよねッて感じで席に戻るんだけど、「創造性を押さえつけてはならない!!」みたいなジョブズっぽい言葉を見て、「いやいやいやいやいや、あいつはああいったけど、俺の創造性は誰にも邪魔されちゃいけなくね!?!!?!」ってなって破棄寸前だった22号を実験用にこっそりとおうちに連れ帰ろうとするわけですね。

で、たまたま同時期にギャングが彼の襲撃を狙っていた。ギャング三人衆は手打ちの為に物凄い金を集めないといけないが、スカウトなんてもんがいたらどうしようもないぜ、でもあいつらロボット=マシーン=電源がある、だから電源をオフにすれば無力化できるんじゃね?⇨どうやったら電源オフにできる?⇨開発者を拉致って脅せば出てくるんじゃね? という理屈に従って誘拐に向かう! もうね、この頭の悪さがサイコウなんだな。たいていロボット物SFなんていうと頭のいいヤツラが意識についてあーでもないこーでもないと議論するわけだけど、もうこいつらは頭の悪いギャングだから電源オフ、よっしゃ、開発者拉致るぞ! 銃で脅すぜ! ってかんじですよ。

ギャングスター・チャッピー

頭の悪いギャング共は拉致った開発者に向かって全部のスカウトのスイッチをオフにしろ! と迫るわけなんだけど、当然そんなことができるはずがない。その代わりに──といってはなんだけど、廃棄寸前だった22号のボディと、彼が投入を却下された人工知能を組み合わせることはできると。じゃあやってみろ、といって組み合わせたら、自分で思考し絵も描ければ詩も書ける人工知能ロボットチャッピーが爆誕しました! ここまでがまあ、チャッピーの導入部といえるだろう。ようやく真打ちが登場した。

で、チャッピーは人工知能とはいってもまっさらな赤子のような状態だからいろいろ教えないといけない。場所はギャングのアジトだから、ファッキンシット! とかヤクを詰める方法とか、標的に銃を当てる方法をまずは学習することになる。もうね、これがサイコウなわけですよ。ギャングに教育される人工知能! ギャング歩きを覚え、言葉遣いはどんどん汚くなって、とことんバカになってアホみたいなことを平然とやらかすようになる人工知能!! 

開発者であるディオンはインテリクソヤロウだから当然「犯罪なんかしちゃダメだ! 人を殺したりしたらダメ! 銃撃っちゃダメ! 約束! 俺は君の創造主(メイカー)なんだからな! OK?」といって次第に言葉を覚えたチャッピーも「創造主のいうことなら……OK!」というんだけど、ギャングは当然人を殺したり犯罪させたりしたいわけだから「銃はダメかもしんないけどヌンチャクならよくね?」とか「手裏剣とかナイフならいいよね?」とか「殺すんじゃなくてgood night 眠らせてあげるんだよ」っていってあの手この手で人間を殺させようとする。

結果的にヌンチャクや手裏剣で「good night 」といいながら人間を虐殺するギャングスター・チャッピーが爆誕するわけで、え、なにそれサイコウ、ってか完璧じゃない?????? もうこの時点で僕としてはサイコウかよおおおおおおおおおブロムカンプ天才かよおおおおおおおおおおおま、おまマジで天才なんじゃないの!?!? こんな映像と脚本が実現できるんだったら僕も映画監督になりたいんだけ度!!?!?!? 映画とらせてくれええええええ最高にハイにさせてくれえええええええと思うわけですよ!!!!

学習し、成長するAI

いや、わかる。人工知能がソフトウェアだったらなんでパソコン上で走らせられねえんだとか、なんであらかじめ人工知能に基礎知識が埋め込めないんだとか、なんでそんなことするんだとかセキュリティ意識ガバガバだろとか、そういうのは全部わかる。このあとにもいろいろあるけど、そんでその一つ一つに文句も出てくるだろう。僕は仮にも小うるさいSFおじさんだから、近々発売するzendegiの翻訳版(グレッグ・イーガン)とかテッド・チャンの「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」とか、長谷敏司さんの『あなたのための物語』とか『BEATLESS』とか、意識系の一般向けノンフィクションもだいたい読んでいるから、意識を持ったロボット〜〜とか、そういうのの雑な描かれ方にツッコミを入れたくなるのはわかる。よくわかる。

ゼンデギ

ゼンデギ

技術的にガバガバだろとか、そんなのありえないだろとか、簡単すぎるだろとか、いやでも、いいだろ???? 人型のロボットが「good night」っていいながら手裏剣投げてヌンチャクつかってたら、もう別になんでもよくないか……???? それはまあおいといても、人工知能が徐々に育っていくという描写は良いと思ったな。「物の名詞を認識する描写とか完全にヘレン・ケラーやんけ」とかいろいろ思うところはあるけれど、「AIは最初からすべての知識が完全な形で整備されている」という状況へのカウンターにはなっているようにも思う。

テッド・チャンもインタビューの中で(Ted Chiang on Writing - Boing Boing) 'The Lifecycle of Software Objects'を書いた動機はAIについて典型的なSFはちょっと進化を安易に書きすぎてるんじゃないの?(AIが最初から英語が喋れたり、知識を十全に持っているためにはそれを教育するという奇跡を起こさないといけないんじゃないの? 的な)と思ったからだ的なことを言っていて、本作は別にそういう深い意図があるわけじゃないのだろうけれども(何よりそれをどうやったんだっていうのが多すぎるし)赤子状態から学習し、成長していくAIの映像表現は興味深かった。意識についての描写は後半キイになっていくんだけど、これなんかはやり方はほぼzendegiのままなんで面白かったな。描き方はガバガバ過ぎて笑っちゃうんだけどね。

吹き荒れる暴力

あと、なんといっても僕はやっぱりこのブロムカンプが描くヨハネスブルグって都市が大好きだなって思うんですよね。ギャングは何度もいうけど本当に頭が悪くてすぐに銃ぶっぱなすし、なんだか悪いことをしたくてウズウズしている。それを一気に鎮圧したのがロボット警察官の威力だったわけだけど、でも本来だったら好きな様に暴れてたはずなのに!!! って噴火しかかっている状況。一気に鎮圧されたわけだからぐぬぬ状態だ。

それが噴火していく瞬間が映像として描かれていくと、ギャング共が「うおおおーーーー!!」って唸っているときは僕も「うおおおおおーーー!!!」って思ってるし、一流テクノロジー企業のインテリ共が暴力の前に屈してお得意の理屈をこねる前に銃で脅されたり単純な圧倒的な力の前にひえええええって逃げ惑うところをみると「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」って興奮するわけですよ、わかりますか??? うるせーーーーお前らの理屈はめんどうくさいんじゃーーーー!!!! 暴力の前にひざまづけやあ!! っていうね。

意識だなんだっていうとごちゃごちゃごちゃごちゃとSFは面倒臭い!! 俺はこれぐらい単純に描く! でもSFとして描く!! っていう単純さと複雑さの相反するものを強引に展開して引っ張っていくような。ヨハネスブルグっていう治安最悪の都市と(今は実際どうだか知らないけれども)それを強制的に変革する正義の絶対的体現者であるところのロボット警察と、そのせめぎ合いの中を、ギャングスター・ロボットとなってしまったチャッピーがいかにして泳ぎきるのかなどなど、身体を捨てるのか、捨てないのか、遠隔操作ロボットか、あるいは人工知能ロボットか、ロボットか、人間かって二項対立のせめぎ合いの描き方がどれもカタストロフィに向かうように圧倒的なテンションで描かれていくので興奮が止まらない。

その後の展開は、チャッピーが意識を獲得する以上に「いやいや!!!! ちょっとまってくれよ!!」と言いたくなるガバガバさの連続なんだけど、クズ共をぶち殺してやる!!!!!! っていう強烈なインテリの(という表現はちとおかしいかもしれないけど)憎悪と、ギャングらしく無茶苦茶にやってやるぜ!!!!!!! っていうギャング側のテンションがぶつかり合って拮抗しているような、奇跡的なバランスを感じる作品だったわけですよ。

別に見に行った方がいいとかいう気はないけど、でも一人の人間はこうやって熱狂の渦に落ち込んだ、落とし込まされた。ニール・ブロムカンプは完全に天才だと思う。

CHAPPiE 1/6スケール ABS&PVC&POM製 塗装済み可動フィギュア

CHAPPiE 1/6スケール ABS&PVC&POM製 塗装済み可動フィギュア