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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ママは何でも知っている (ハヤカワ・ミステリ文庫) by ジェイムズ・ヤッフェ

短編連作の安楽椅子探偵物の中でも傑作と名高い作品。安楽椅子探偵物とはいったいどのようなものをさすのかといえば、安楽椅子に座ったまま事件のあらましを聞いて幾つか質問をしただけで理屈をこねくりあげたちまち事件の真相に至ってしまう、つまるところ家から一歩も出ない引きこもり探偵への呼称である。

ママは何でも知っている (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ママは何でも知っている (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ただでさえ謎が提示され、それに対しての真相が明かされるというある程度のフォーマットが指定されているミステリ・ジャンル内のサブ・ジャンルなのだから、さらにフォーマットは狭まってしまっている。何しろ安楽椅子探偵が捜査に乗り出したらイカンわけだから移動させるわけにはいかないし、基本は同じ場所で展開されるのであまりたくさんの登場人物も出せない。せいぜい探偵役、探偵に事件を持ってくる役、もう一人か二人賑やかし、といったぐらいだろう。

探偵役はあらかた情報を聞いて、それだけで判断しなければならないのだが、この安楽椅子探偵物の面白さのひとつはそのシンプルさの中にあるのだろう、個人的にはそこを楽しんでいる。必要とするのは泥臭い調査などではなく……いやもちろん調査があってこそなのだが、取り揃えられた情報だけを元に犯人を推理する、いわば謎解きの素材は最初から一斉に開陳されるので、読者的には一番おいしいところだけを堪能できる。

だからといってずらずらずらと情報を並べ立て自動解答機みたいに探偵役が答えを出したら、それでは小説である意味がない。問い1〜〜解1〜〜といった問題形式にしてしまえばいいだけの話だ。小説であるからにはそこにキャラクタや世界観の奥行と変化が必要とされる。かといってそっちを手厚くすれば安楽椅子探偵物のシンプルな理屈がだぼだぼしてしまうわけで、ここをどのように配分し処理するのかが著者の腕の見せ所の一つ、塩梅の難しいところだといえるだろう。

さて、それでは本書はそのあたりをどう処理しているのだろうか? まず探偵役は書名から推測される通り語り手で刑事のデイビットとその母親、ママである。恐ろしく頭がキレ、刑事が事件のあらましを説明すると幾つかの説明を返してたちどころに真相に至ってみせる。デイビットは何かあるとすぐにママーといって助けを求めるわけで情けないことこの上ないが(守秘義務とかいう言葉が存在しない時代なのだろう)こんな頼りがいのある(甘やかす癖のある)母親がいればそうなるのも仕方がない気がする。

賑やかしとしてはデイビットの妻であるシャーリィがいる。息子を溺愛する母親にちまちまとイジられながらも特に気にした様子もなく母親の言い間違いを何度も指摘したりすっとぼけた回答を寄せたりと緊張を弛緩させる役割を果たす。途中から加わえる同じくデイビットの上司である見るなー警部は、ママと良い仲にさせようとシャーリーと刑事が画策した結果、恋仲になるかどうかはともかく度々家にやってくるようになった。事件の解決にも何度か居合わせることになる。

基本は事件の説明と解決に比重がおかれていて、シンプルで爽快な謎解きは十分に楽しめる。それと同時に、5歳児が容疑者として挙げられる事件ではデイビットに向かって子供はまだなのかと愚痴愚痴いったり、過去にママが携わった事件と関連して語りを始めるなど何かしら事件に関連した形でキャラクタ周りの描写が深堀されていく。個人的に面白いなと思ったのはこの探偵役のママのキャラクタだ。

このママ、確かに頭のキレはすごいんだけどごくごく普通のオカンなんだよね。息子を溺愛していて、そのせいで嫁をいびるわ、子供を早く産めとせがんで、事件の話を聞いて解決するのこそ好きなものの自分から出向いていくほどではない。家で手厚い料理をふるまい自分の考えをはっきり言う、剛毅なオカン。完璧超人的な英雄でこそないもののむしろその親しみやすさ、気安さこそがこの作品の常に家庭的で牧歌的な雰囲気を形づくっているようにも思う。

短編は全8篇収められておりそのうち最後に収められている、ちょっと長いママの過去が語られる『ママは、憶えている』を除けばだいたいみな20〜30ページぐらいのごくごく短い話にまとめられている。語られている題材は殆どが殺人事件(あるいは殺人事件のようにみえる事件)だが、関連する内容として陪審員制度が要素として取り入れられていたり(陪審員によって有罪判決にストップがかかった犯人をママが名推理で無実を暴き出す短編)あるいは誰もが犯人を確信する殺人事件であっても実はその犯人じゃありませんでしたーという解決など、投入されている要素も演出もバリエーション豊かだ。

こう言ってしまってはなんだが安楽椅子探偵は真っ当に考えればアホのようなことをやっている。何しろただの頭の中ででっちあげた仮説に次ぐ仮説を砂上の楼閣のように積み上げて適当な結論を仕立て上げるのだから、そんなものを信じる警官がいたらバカだし、自信満々にこれが真相でございと並べ立てる探偵役もやっぱりバカだ。一方でそうした「常識的な判断」を覆すほど「まあ、それならありえるかな」と思わせる明快な理屈か、もしくはそんな疑念を覆い尽くすほどのかっこいい、あるいはそれっぽい演出こそが求められるのだともいえる。本書収録の短編はそういう意味で言えばどれも仮説と理屈そのものはバカげているが演出そのものは際立っておりぐいぐいと読ませそれなりの落としどころに着地してみせる。

僕は物質としての本が好きだから、こうして素敵な装丁で送り出されて手の中でぐるぐると回してみせ、この中にさまざまなやり方でママが明快に解決してみせた事件が八つきれいに収まっているのだなあと思うとそれだけで嬉しくなってきてしまう。安楽椅子探偵物の醍醐味がぐっと詰め込まれた一冊だ。