読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

村上さんのところ by 村上春樹

その他のノンフィクション

村上さんのところ

村上さんのところ

村上さんのところ、という小説家の村上春樹さんが2015年の1月15日から5月13日までの間に寄せられた質問に答えて答えて答えまくるサイトがあった。サイトオープン中になんと3331通も返信したのだという。適当なコピペみたいな文章ではなく、しっかりと一つずつ読んで、どこをどう切り取っても村上春樹文体だなあという文体で3331通。総計1億PVを超えたというから、読んだ人も多いだろうし、勿論僕も楽しく読んでいたうちの一人だ。つまるところここでわざわざ書く意味もほとんどないので、ちょろっと、日記的に書いておこう。
村上さんのところ コンプリート版

村上さんのところ コンプリート版

当然書籍版には3331通もの返答は載せられないから、本書は抜粋版&、サイト公開中には返せなかった質問が一部載っている版になる。それではそれ以外の回答はもう読めないのかといえば、全てを網羅したコンプリート版として電子書籍版が出ているので、「そんなサイトがあったんだ!」という人は、こちらを買うのがいいだろう。

それじゃあ、書籍版はダメじゃんと思うかもしれないが、サイトで絵を担当されていたフジモトマサルさんのイラストが随所を彩っているし、それにこれはスタッフと村上春樹さん本人がよりすぐったベスト版なので、質問の質も回答の内容もとくに優れたものが集められている。より短時間でおいしいところを吸収できるわけで、本は本で良いものだ。

サイトが公開され、日々凄まじい数の回答がなされていくのを読んでいた時期は大変楽しかった。毎日サイトをみて、更新がないか何度もF5を押したものだ。マネキンのキャロラインと同居生活を送っているのだけど最近彼女もできてこの狭い部屋でキャロラインと暮らすのもどうかなどというくだらない質問もくるし、不倫や恋愛、在日の差別やいじめについて、原発や政治の問題など容易く答えるわけにはいかない質問もくる。作品についての質問もくれば、村上春樹さん本人への質問も多い。

そうした質問一つ一つに、村上春樹さんはどれも丁寧に答えられていく。僕は最近思うのだが、文章の成しうる範囲は大きい。深く個人を傷つけることができるし、その気になれば組織を破滅させることさえできるだろう。攻撃的な側面だけでなく人間を自分の思う方向へコントロールすることもできるし、もちろんその半面、多くの人間をより良い方向へ誘導することも、その熟練度次第でできるものだ。SNSもありネットを誰もが使うようになりそうした文章のパワーが及び範囲は実に広くなった。

村上春樹さんほど文章の扱いに長けている人だからこそ、その危険性を充分に認識して、荒ぶりもせず、傷つけず、多様な質問者を包み込み、時に意図的に突き放し(それも、傷つかないように)、応答していくその在り方に、文章のプロ、その世界のほぼ頂点に君臨する者としての圧倒的な力量を見た。もちろんすべての質問に対して完璧な応答を返すことなどできるはずもないが、問題は「何を目指しているのか」の部分だ。時としてそれはちょっとどうなのかと思う回答があったとしても、それは悪意や錯覚から出てきたものではないのだと納得させてくれる。

さて、まあそんなところだろうか。最後に、全質問の中から僕が特に気に入ったものを一つだけ引用させてもらおう。全部で3716もの解答のうちの一つだから、大目にみてほしい。表現者が目指すものが芸術なのかエンターテイメントなのかの違いはあるのか、村上さんはどうですかという質問に対する解答だ。

 僕は自分の中にあるものを、できるだけありありと、生き生きと、正確に文章に移し替えたいと考えています。そのためには僕が使うことのできる、ありとあらゆる手法と道具と技術を動員します。そうしてできあがった作品がどのような名前で呼ばれるのか、僕には知りようもありませんし、とくに興味もありません。メイン・カルチャーだろうが、サブ・カルチャーだろうが、なんだってかまいません。好きなように呼んでいただいてけっこうです。まず形式があるのではなく、まず中身があります。なにより大事なのは、その中身作りに全力を傾注することであり、妥協をしないことです。形式にこだわりすぎると往々にして大事なものを見逃してしまいます。

実創作者なのだなあと感じる。ジャンル・形式なんてものには脇目もふらずに、ただ小説ならば小説の質を恐ろしく高めていく。それを発表した後から様々なラベルがはられ、様々な言及や解釈がなされるだろうが、それはそれとしてまず中身だ。それ以上に僕が良いなと思ったのは、『僕は自分の中にあるものを、できるだけありありと、生き生きと、正確に文章に移し替えたいと考えています。』と、的確に「何を文章で目指しているのか」を表現している部分で、僕はこの一文を呼んで「自分がやりたいこともこれなのだ」と深く納得した。

何かを呼んで、自分の中に沸き起こってきたものを、できるかぎりそのままに、情報を削ぎ落とすこと亡く文章に移し替えること。それに対して人が書評だレビューだ感想だ日記だというのは正直どうでもよく、いわれてみれば確かに、僕がずっとやってきたのもそれだけの単純なことだった。でもそれだけのことが随分難しい。難しいから、面白いのだろうと思う。