基本読書

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ばらばらになった時代と空間を探検せよ──『マップメイカー―ソフィアとガラスの地図』 by S・Eグローヴ

マップメイカー―ソフィアとガラスの地図 (上) (ハヤカワ文庫FT) (ハヤカワ文庫 FT ク 7-1)

マップメイカー―ソフィアとガラスの地図 (上) (ハヤカワ文庫FT) (ハヤカワ文庫 FT ク 7-1)

マップメイカー―ソフィアとガラスの地図 (下) (ハヤカワ文庫FT) (ハヤカワ文庫 FT ク 7-2)

マップメイカー―ソフィアとガラスの地図 (下) (ハヤカワ文庫FT) (ハヤカワ文庫 FT ク 7-2)

こういうファンタジー系の作品は異世界をまるっと創り込むのは結構な労力が必要で、一冊二冊で終わらせてしまっては元がとれない事情もあるんだろうがとにかく三部四部あるのが当たり前だ。そんな前置きで始めるのも、本書に特に第○○部表記がなかったからで「ひょっとして珍しくこの上下分冊で完結しているのでは?」とちょっと期待したんだけど、なんのことはない、本書も続・第二部へ、全三部作は変わらなかった。それでもきちんとこの一冊(二冊だけど)で綺麗に話がまとまっているので、安心といえば安心。

世界観の魅力

本書の特徴と魅力は誰が読んでも一緒で、まず第一に世界観がくるだろう。諸説ある恐ろしい一瞬を経て、世界はバラバラに砕け散り、世界の破片は時間も空間も断絶し切り離されていってしまう。元々あった一つの時代の一つのエリアはは別の時代の空間と接合し、代わりに生まれたのは時代も文化も地域もばらばらなまま出来上がった「新しい世界」。ある地域は19〜20世紀相当の文化を持っておりシェイクスピアの詩も残されているが、当のイギリスはまだ12世紀でシェイクスピアは生まれていないどころか、本当に4世紀頃に産まれるのかすらわからない。

この世界ではそんな状況に陥ることになった経緯のことを<大崩壊>と呼び、100年程経ったこの世界でその後も調査をすすめているが細かいことはまったくわかっていない。一体なぜそんな事が起こってしまったのか。元に戻ることはあありえないのか。時代はどのように推移していくのか。正確な世界地図さえいまだ作成されていないこの世界で、地図作成者(マップメイカー)のシャドラックと、その姪ソフィアがこの全てがバラバラになってしまった世界の核心へと迫るように冒険を繰り広げていくのが物語の大まかな流れ。

著者のS・Eグローヴは女性で、歴史家で、同時にaspiring explorer!と自称する探検家でもある。*1このご時世に探検家とは。そうした経歴を反映させるようにして、各地によって文明レベルがまるで異なり時代も空間もちぐはぐなこの世界を「絶望的な状況」とみなす登場人物はほとんどおらず、むしろ未知の事象が山ほど眠っている宝の世界といった興奮が満ちている。

 いまやニューオクシデントは大探検時代に入った。探検家たちは船や馬、あるいは徒歩で、可能なかぎり遠くの地まで出かけている。しかし、”探検”には危険も伴うため、戻ってこないものも多く、世界の大半はいまだに未知のままだ。たとえ探検が可能な場所でも、恐ろしく遠いために一流の探検家しかたどり着けない。郵便網も断片的で、その存在さえ知られていない場所も多く、交易路は、苦労して開拓しても、すぐにまた崩壊してしまう。世界とつながるということは、絶え間ない努力が必要な、困難な事業なのだ。

キャラクタの魅力

そんな世界を駆けずり回ることになるソフィーは、変てこなハンディを背負っている。体内時計がなく、一分が一時間や一日のように感じられたり、一秒で一ヶ月を丸ごと体験することもあったり、ようは客観的な時間と主観的な時間に大きなズレがある女の子なのだ。ただでさえ時間と空間が世界中でごちゃごちゃになっている状況なのに、そこを探検する運命を持った少女の時間までぐちゃぐちゃだと何が何だかわからなくなってしまいそうだが、少女から女性へ移り変わろうとしているソフィーは自分の時間間隔とのつきあいかたを覚え始めている。

時間も空間もぐだぐだになってしまった世界だからこそ、ソフィーのように主観的な時間の束縛から自由に離れられる人間こそが、世界のあるがままの姿を見ることが出来るのかもしれない。また、彼女の指導者であり、世界の鍵をにぎる地図を持っていたが為に誘拐され、ソフィーが旅に出るきっかけにもなるシャドラックは一流のマップメイカーだ。この何もかもがあやふやな世界においてマップメイカーは秩序を打ち立てる重要な職業でもある。『シャドラックは緻密さと芸術的才能を兼ね備えていたが、そんなものは製図者なら誰もが持っている。シャドラックを余人をもって代えがたい存在にしているのは、彼のかぎりなく深い知識だった。』

地図製作なんていってみればそこにあるものを平面に移し替えるだけでしょ? と素人ながらに思ってしまうが、そこには三次元的な起伏があり、しかもその全てを自分の目で確かめて二次元に落としこんでいかなければいけない地図製作者は確かに緻密さと芸術的才能を必要とするものなのかもしれない。そんなシャドラックからソフィーへ教えが伝達され、また道中で数々の年長者がソフィーにきっちりと道標を示してくれるのが、若い読者向けの物語としては素晴らしい部分。下記引用するのは時間感覚を制御するのに悩んでいるソフィーに対して、シャドラックが時間の経過を追えるようにとスケッチブックを渡す場面だ。

 「思い出とは油断ならないものだよ」と彼はソフィアに言って聞かせた。「思い出は、過去を思い出させるだけじゃない。ときに、過去を作りあげてしまうことだってあるんだ。今回の旅をほんの数分の旅として思い出せば、それはほんとうに数分の旅になってしまう。ほかのかたちで思い出せば、旅はまた別物になる」言われた時はぴんとこなかったが、スケッチブックに描くうちに、シャドラックの言っていたことがそのとおりだとわかってきた。

おとなになってから振り返ると「なんかここまであっという間だったなあ」と思ってしまうけど、でもそれって「忘れている」だけなんだよね。忘れて、すっかりここまでの道のりが短いものだったように思い込んでしまっている。それって、実際にいろいろあったはずの思い出全部に失礼なことでもあるんじゃないかな、とかねてより思っていたから、この台詞にはぐっときたなあ。

おわりに

魅力的な世界観に魅力的なキャラクタが揃っていればそりゃもう勝ったも同然だろと喝采をあげたくなるが、ちと微妙かなと思う点もある。上下巻に渡るプロットは大きな事件が起こるまで結構な枚数を割いていて解決までが急だったり、せっかく素晴らしい世界観なのに国から国、時代から時代を移動する大冒険が繰り広げられるのかとおもいきや意外とあんまり移動しない。

現代でいうところの北米や中米が主な舞台になっており、12世紀相当だというヨーロッパやそのほかの地域は第二部以降にお披露目の予定だそうだ。それにしたって世界観の魅力が減じるわけではない。「バラバラの時代」が渾然一体となっているっていうことは、実は「過去」だけでなく「未来」も抱合されている可能性があるってことなんだよね。魅力的な歴史(それも様々な時代の歴史だ)がぎっしり詰まった世界を、若き探検家が駆け抜けていく本作には、歴史と探検の魅力が十全に詰め込まれている。