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記憶を持たない英雄vs殺人鬼──『記憶破断者』 by 小林泰三

記憶破断者

記憶破断者

ホラーにSF、ミステリーにウルトラマン(?)とジャンルを特定せずに書いてみせる小林泰三最新長編『記憶破断者』は、記憶が数十分しか持たない一般的に言えば「不利」な側面を持った男が、しかしその特性ゆえに、特殊な能力を持った悪の殺人鬼に対抗していく死闘を描いた作品だ。この小説、構造と面白さのロジックがシンプルで、かつ導入の引きが素晴らしいのでその冒頭部分までをちゃちゃっと紹介して終わりにしてしまおう。逆にそれ以上紹介すると面白さを削ぐかもしれないし、それだけでも充分に引きつけられるはずだ。

主人公は前向性健忘症の男*1で、先に書いたように数十分しか持たない。記憶が特定の期間(一日だったり、数時間だったり数十分だったり)する事例は現実にいくつも報告されており、フィクションの題材としても有名な『博士の愛した数式』を筆頭に多数作られている(ほか、最近だと西尾維新さんの記憶を連続して持たないが故に一日で事件を解決してしまう最速の探偵掟上今日子シリーズとか)。おそらく現実でもフィクションでも共通しているのは彼らが自身の病気を抱えながら現実に適応するために「ノート」あるいはわかりやすく整理された情報を常にとっていることだろう。

ノートを見るとそこには当然ながら病気のこと、数十分しか記憶が持たないことが書いてあるが──本書の場合はその後に不穏な文言が続く。「名前を書かないこと」「表札にも郵便受けにも名前はない」と徹底した秘密主義的な指示があり、いよいよ真相が書かれているページをめくると──「今、自分は殺人鬼と戦っている。」そう、これは数十分しか記憶がもたない記憶破断者である一人の男が、ノートの記述と「なんでも数十分後には忘れてしまう」というある意味では一つの(普通の人が持たない)特殊能力を使って、この現実世界に存在する一人の怪人/殺人鬼と戦っていく物語である。

実はこの怪人、ただの人間ではなく特殊能力持ち人間だ。だからこそ記憶を持たない本来なら戦闘/調査において何の利益にもならない記憶破断者である男が対抗しうるきっかけになるのであり、同時に無法者そのものである殺人鬼が現代社会において野放しになっている理由でもある。たった一人、この世界に野放しにしてはいけない殺人鬼がいることに気がつき、ノートと短い記憶を頼りに相手の姿を撮影するために奮闘し、相手の能力を確定させるために画策し、最後に相手を罠にハメ現実社会で罪を償わせるため/これ以上殺人鬼の犠牲者を出さないために死闘を繰り広げるのだ。

日常に潜む殺人鬼/ホラー的なところがあり、得体のしれない相手の能力を確定させるために情報収集するジョジョ/HUNTERXHUNTER的な能力バトル展開があり、自分自身の「忘れてしまう」能力を逆手に取って相手を罠にハメようとするミステリ的な側面もありと、てんこもりな作品になっている。

*1:コメントで教えてもらったが、『『忌憶』の中の3個目の短編でも出てきます。』とのこと。僕は『忌憶』読んで記事まで書いていたのに完全に忘れていた。