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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

太平洋戦争全史──『大日本帝国の興亡』 by ジョン・トーランド

大日本帝国の興亡〔新版〕1:暁のZ作戦 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

大日本帝国の興亡〔新版〕1:暁のZ作戦 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

全5巻にわたって太平洋戦争の発端から結末まで、アメリカの戦史作家であるジョン・トーランドが妻の日本人と共に、まだ当時生きていた関係者へと膨大な量のインタビューを試みながら詳細を明らかにしていく、圧巻のシリーズである。

最初版は1971年に出版され、その後早川書房から1984年に出版、2015年の新版はそこから30年以上の時を経て、各巻新解説及び対談を付けられて復活した。さすがに40年以上前の本なので今となっては否定された説や誤謬もあるが、今後も太平洋戦争を総体的に捉えようとした時に重要なシリーズとして残り続けていくだろう。

なぜ、開戦する前から「まず勝てない」と言われていたアメリカとの戦争に踏み切ってしまったのか。各種の代表的な戦場・戦闘で一体何が起こっていたのか。どのような指揮系統と判断が行われていたのか。沖縄戦や原爆によって多くの日本民間人がなくなったが彼らは何を考えどのような態度でいたのか。特攻もあった。原爆も落ちた。幾人もの腹切りが行われる特殊な精神性がまだ色濃く残っている時代であった。

ニュー・ジャーナリズムスタイル

太平洋戦争といっても始まりから終わりまで、そこには多様な論点が含まれる。それを包括できるとは思えなかったがジョン・トーランドは見事にそれをやっているように思える。本書で採用されているスタイルは事実のみを提示、羅列していくスタイルとは違って、当時はまだ珍しかったはずの、広く歴史を俯瞰した「事実としての流れ」を追う部分と、その合間合間にはさまれる「生の声」としての各種インタビューが絶妙な割合で配置され物語としての面白さを伴いながら事実を知らしめてくれる。*1

「生の声」を拾い上げるのは、観客の注意を惹きつけるには良い一手だ。今まさに特攻し国の為に派手に散ろうとする若者兵どもを前にして主任教官が『「沖縄には監視所がある。これが貴様たちの任務の成果を確認する」と彼は言った。「今夜は満月である。月が見ていてくれるから、貴様たちは一人ではない。おれもあとから行く。待っていてくれ」』と宣言する場面などありありとその時の悲壮な顔と状況が浮かび上がってくる。

しかし感情を揺さぶられると判断力まで引っ張られる。いくら「本人から体験談を聞いた」としてもそこには多くの誤謬と意図的な誇張などが含まれる危うさもある。体験談をいくらたくさん集めようが、それは事実性に乏しい「1」の集積でしかないことを常に意識する必要がある。本書は大量のインタビューを行ったのであろうが、それをキツキツに詰め込むというよりかは特に印象的なものを寄りすぐい、事実と共に少数配置し、ある程度自制的にコントロールしようとしているように思える。

本書が成立しえたのは大量のインタビューがあってこそのものだと思うが、その時期もまた絶妙だった。太平洋戦争という大きすぎる事象を前にして、終わった直後は誰もが当事者でまだ傷も癒えない。かといって40年50年と経ってしまうと、当時の生き証人はどんどんその姿を消す。本書のインタビューは、約25年の期間を開けて行われたのだ。1巻の解説でも触れられているが、『戦争からは十分に距離を置くが、かといって遠すぎはしない。読者の大半も、初版当時はあの戦争を覚えている人だった。』ということになる。

加えていえば初版当時の状況も説明しておく必要があるだろう。日本は敗戦から精神的にも経済的にも完全に立ち直って、欧米諸国を脅かす勢いで成長を続けている時代だった。反面欧米諸国からしてみれば、かつて戦時中に特攻もすれば平然と腹を切って死に、一兵卒に至るまで死に物狂いで襲いかかってきた野蛮な民族のイメージがまだ残っている。本作はそうした状況で投じられた「日本をあの戦争から語り直し、正しく位置づけなおそうとする」シリーズで、実際にアメリカの多くの大学で基本書的な扱いを受けていることもあってその目的を達成しているといえるだろう。

著者のジョン・トーランドはアメリカ人ではあるが日本人の伴侶を持ち、だからこそ彼は大部分を日本側の視点から描き、日本人が当時は特にまだ色濃く持っていた特殊な精神性を反映させ、非常にフラットに書かれていく。ベストなタイミングであったと当時に、日本人の伴侶を持ったアメリカ人という立ち位置を持った著者だからこそ成し得た本なのだ。

以下、各巻について簡単に触れていこう。

大日本帝国の興亡〔新版〕2 :昇る太陽 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

大日本帝国の興亡〔新版〕2 :昇る太陽 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

本作第1巻は「2.26事件」からこの太平洋戦争の物語を始め、ナチス・ドイツのヨーロッパ侵攻、日米双方が粘り強く和平へと向けた高尚を続けながらも開戦の機運が高まっていく過程を描いていく。全ての結果がわかっている後世からすれば「絶望的な戦力差の前でなぜ……」と思ってしまうところだ。それも、当時のトップである東条英機は『外交交渉が和平をもたらしてくれるものと希望している。』と主張していたにも関わらず。人間の判断なんていうものはいつだって不完全な情報を元にした物であるのだと、その「どうしようもなさ」がよくわかる。

第2巻ではついに和平交渉は失敗してしまい、日本軍が真珠湾攻撃を実行。マレー半島、フィリピンに上陸し、緒戦は確かに勝ったようにみえるが──ミッドウェー沖海戦に至って日本海軍が大損害をおうところまで。日本側の暗号がとっくに相手に知られている状況下での戦闘がいかに不利益になるのか、どのようにして相手の暗号名の意味を割り出すのかの情報戦が詳細に描かれており面白い。

大日本帝国の興亡〔新版〕3:死の島々 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

大日本帝国の興亡〔新版〕3:死の島々 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

第3巻ではミッドウェー沖海戦後に行われた連合国軍vs日本軍のガタルカナル島での死闘、サイパン島の死闘が描かれ、日本はもう敗戦一直線の「惨憺たる有り様」が延々と描写され続けていく。ガタルカナル島やサイパン島、その後の本土決戦でも一兵卒に至るまでに「お国の為にー!!」「一人生き残るのは恥」「逃げるのは恥」といってみな当然のように死んでいく、狂った戦場の有り様が体験談や数字的な事実から浮かび上がってくる。

今からすると異常な精神性という他ないが、当時は当たり前だったのだ。もちろん精神がいくら凄かろうが勝てるはずもなく、ガタルカナル島は補給も届かず敵は増え続け戦闘員は餓死者が続出し戦闘を継続しているのが不思議なほどであったという。

 病気と空腹であまりにも弱り果て、戦うことができなくなった兵士たちが浜辺にひしめいていた。空気は、くさりかけた死体が発散する悪臭に満ちていた。負傷者や病人に、大きなアオバエがたかったが、彼らはもう、ハエを追う力もなかった。兵隊は「死亡早見表」を作った。
  立ち上がれる者………………………………………………あと三十日生存
  起き上がれる者………………………………………………あと二十日生存
  横になったまま小便をしなければならない者……………あと三日生存
  口がきけない者………………………………………………あと二日生存
  まばたきもできない者………………………………………あと二日生存

大日本帝国の興亡〔新版〕4:神風吹かず (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

大日本帝国の興亡〔新版〕4:神風吹かず (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

第4巻ではレイテ島、硫黄島、神風特攻隊の初出撃などなど。ついに日本も追い詰められるところまで追い詰められてきた。物資も人員も足りず、持ちえるものはこの身体のみといった状況下でさらに連合国側からみれば狂気としか思えない日本人の精神性が発揮されてゆく。生存者数などとても真っ当な戦争とは思えない数字が現れている。

 十六週間の退屈な掃討戦は別として、戦闘は終わった。レイテ防衛のためにやって来た七万の日本兵は、優秀な装備を持つ二十五万のアメリカ軍を相手に戦い、期待された働きを示した。彼らはアメリカ兵一万二千人を負傷させ、三千五百人を殺した。しかし生きて故国を見た日本兵は、たった五千人程度横横十四人に一人──だった。

大日本帝国の興亡〔新版〕5:平和への道 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

大日本帝国の興亡〔新版〕5:平和への道 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

最終巻となる第5巻では民間人も多数巻き込まれた沖縄での最後の死闘、各都市への空襲によって本土は焦土へ、何より広島・長崎に原爆が投下されポツダム宣言が受諾される。平和への道という副題が皮肉だ。戦闘員があらかた殺しつくされて民間人へ爆弾を落として平和へと至っているのだから、平和への道は血塗られている。沖縄で将校は腹を切り一兵卒も手榴弾で自殺したり無謀な突撃をして無駄死を繰り返すどころか、ただの民間人まで含めて自決を手段として選ぶものが少なくなかった。

 日本軍は十一万の兵力を失った。そのうえ、民間人の死傷者は空前の比率であった。二つの軍の間にはさまって、約七万五千の罪なき男女、子共が死んだ。しかも彼らの犠牲は何の役にも立たなかった。日本は、本土以外で戦うことのできた最後の大きな戦闘に敗れたのである。

おわりに

軽く全体の流れに触れてきたが、もちろん論点はとてもここで書ききれるものではない。一度はじまってしまった戦争を止めることの困難さ、どんどん餓死し、戦闘を行える状況ではない兵卒とそんな状況をまったく知らないところから指令を出す温度差、戦争に巻き込まれていく兵士一人一人の精神状態などなど。

長大な本だから、夏休みとはいわずに年末でも、あるいは何年先でもいいから一度腰を据えて読むのがいい(僕もこの夏休みに一気読みした)。もちろん太平洋戦争みたいな広範な事象を本書一冊でまかないきれるはずはないのだが、これを一冊読んでおくだけで太平洋戦争の全容を知ることはもちろん、国家や政治というあやふやなものがどれだけの事態を引き起こせるのかが実感されることだろう。

*1:3巻の野村進さんによる解説を読んだが、彼はこうした記録性よりも物語性に重点をおいた作品群をニュー・ジャーナリズムと定義しているようだ。