読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

蘇る伊藤計劃 伊藤計劃──全仕事と生涯

SF

蘇る伊藤計劃

蘇る伊藤計劃

もちろん実際に本人が蘇ったりはしないわけだが、作品は映画化されるわこのような本は出るわSFマガジンでは特集が組まれるわ次のNOVA+は屍者の帝国だわと話題的には何度も何度も蘇っている。さて、そんなわけで本書『蘇る伊藤計劃』は「早川書房」から出た伊藤計劃本──ではなく、「宝島社」から出た本である(なぜ宝島社から? たぶん何らかの経緯があったのだと思うけれども調べていない)。であればこそかもしれないが、執筆陣も早川から出ていたらこうはならないだろうという顔ぶれでそれもまた面白かったりする。

本書の機能的な面について

表紙には筆頭として伊藤計劃さんの名前があるのはもちろんにしても、その下に山形浩生さん、藤井太洋さん、中原昌也さん、佐藤亜紀さん、多根清史さんと「すごい名前の並びだな」と執筆陣を確かめずに買ったので名前の連なりをみて驚いたものだ。もちろん多根清史さんを除けば上記のメンバが何ページもガッツリ書いているわけではなく、ゲストエッセイ的な扱いなのだがそれぞれ「らしい」エッセイで楽しかった。これはちと後述して取り上げるかも。

さて、執筆陣が「早川から出ていたらこうはならないだろう」と書いたのは単純に組み合わせ的な話で、たとえばインタビューとしては大森望さんもいるし、各劇場版の監督へのインタビューも四人分(ハーモニーが二人監督なので)きっちり揃っている。その他『虐殺器官』『ハーモニー』『メタルギア ソリッド ガンズ オブ パトリオット』『屍者の帝国』など作品ガイド/批評と基本的なところも充実している。個人的に面白かったのは多根清史さんのメタルギアなどゲーム畑からの読み解きかな。

もちろんこの手の多人数入り乱れての文章だと意味がよくわからなかったりするのもあるが、ゲームに病に映像論にと切り口はいくつもあるのでぱらぱらとめくりながら興味のあるところを読むだけで十分に楽しめるだろう。また、もうさんざん長年同人活動やネット上でも創作活動を続けていた伊藤計劃さんの「未収録コミック」「未収録短篇」が載っているのもファンからすれば嬉しいところか。もちろんプロになる前の作品であり、完成度的な意味でプロ後のレベルとくらべてどうこうするようなものではないのだが、確実に「連なる」作品ではあり、そういった意味での面白さはある。

さて、機能的な側面の説明は終わったので以下雑感。

限界とかなんとか

いつまでもいつまでもこのように過去のアーカイブを発掘し続けて本にし、数少ない作品からあーでもないこーでもないということもさすがに何年も続いていると「限界」のようなものを感じてしまう。そりゃあそうだろう、作品が少ないんだから。そうそう論じる幅が拡がったりせんよとは思うものの、山形浩生さんの文章は「進化と文明制度」をテーマとした超大作三部作が「2016年の冬」に読者が目にすることになったはずだとして語られる「ありえたかもしれない伊藤計劃作品論」という飛び道具みたいなエッセイになっており、その着想の時点で感動した。

もともと伊藤計劃さん自身が、山形浩生さんの訳書、あるいは山形浩生さんが書評をする本や文章を大いに自分の血肉として文章を書いていたことはブログを検索すればわかることではあるが、その山形浩生さんだからこそ書ける「こうであってもおかしくはないはずだ」という「書かれていたかもしれない可能性」を内包したエッセイに仕上がっている。そうそう、伊藤計劃作品の魅力は(作家の魅力の方が適切かもしれないが)、それ単体としての評価はもちろんのこと、一作一作が見せてくれる風景(移り変わっていく現代を捉える力なのか)の違いから「次はもっととんでもない、予想もつかないものを持ってくるに違いない」と思わせる「未来への期待」でもあるのだった。

藤井太洋さんが本書で次のように語っている言葉を、やはり何度も思ってしまう『幾度も繰り返された言葉だろうが、一度言っておきたい。新作を読めないのが惜しい。』

物語化すること

本書に収録されている大森望さんの(たぶん語りおろし?)インタビューも2ページながらも読み応えがある。亡くなって伝説になり、神格化された状況の現在について『忘れられてしまうことに比べたら今の状態のほうがずっといい。』と語っていて(もちろん正確な文意は読んで確かめて欲しいが)ぐっとくる内容だ。一冊でも多く売るために、名前をどのような形でも残すために、伊藤計劃作品とはまた別の作家に付属する”物語”を作り上げたのだと。

伊藤計劃伝説化や神格化について文句が出るのと同様、おそらくこうした主張自体に賛否両論が出るだろうが、個人的に思うのは”物語化”する場合、少なくともその「物語」の質は上げていかなければなということだ(これはもちろん自戒をこめて)。類まれな作品・作家を物語化(映画化とはまた別のレイヤーで)するにあたって、その物語がお粗末なものであってはいけないだろうし、雑な物語化であれば物語化の是非以前の問題として「物語化の雑さ」への批判も生まれるだろう。

なかなか厄介な問題ともいえるが、単純にファンとしては「いろいろ読めて嬉しいなあ」というのが正直なところ。さすがに掘り返すネタも切れてきて、山形さんみたいな飛び道具も無限に剣製できるわけではないのだから、今後どうなっていくのかはわからないけれども(そりゃ、短篇を全部映画化するとかっていうんだったらあれだけど)何にせよ今は盛り上がっていて、それはそれでいいじゃないか、楽しいし、と思うのであった。

SFマガジン 2015年 10 月号 [雑誌]

SFマガジン 2015年 10 月号 [雑誌]