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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

群衆の、個人の、暴走する妄想──『九尾の猫』 by エラリイ・クイーン

ハヤカワ文庫補完計画全レビュー ミステリ

九尾の猫〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

九尾の猫〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

初エラリイ。後ろの著者近影を見て「なんで二人いるんだ」と疑問に思うぐらいエラリイ・クイーンという作家を知らなかったのだが(同い年の従兄弟の共作なんですな)、いやーこんなに面白い作品を書く人だったとわ。後述するけれども、個人的には清涼院流水さん以来の(あんまりミステリを読まないからなんのあてにもならないんだけど)連続殺人事件が社会をパニックに落としこんでいく「群衆」と「連続殺人」を結びつけた作品で、堂々と規模のデカイ嘘を突き通してみせるその心意気に感動した。

冒頭は面白いセリフ回しと地の文を書く、愉快な作家だなぐらいのノリであったのに中盤からぐいぐいと本領を発揮して500ページ近い本編を一気に読ませる豪腕よ。本書『九尾の猫』の前に『災厄の町』、『フォックス家の殺人』、『十日間の不思議』などなど同じくエラリイ・クイーンを探偵役とした作品が出ているが、「過去に幾つもの事件をエラリイ・クイーンは解決してきているんだな」程度に把握しておけば特に本書を読むのに問題がない。僕はそれすらも知らずに本書から読み始めたし。

本書はニューヨーク市を舞台にして行われる、連続絞殺殺人事件を扱った作品。面白いのは最初に書いたとおり、それが「単なる連続殺人」では終わらないところだろう。いやなに、もちろん「単なる連続殺人」で終わる連続殺人ミステリなんか存在し得ないのだが、本書の場合は物語冒頭をちょっと引用してみるだけでその特異さが伝わるのではないかと思う。

 アーチボルド・ダドリー・アバネシー絞殺事件は、ニューヨーク市を舞台にした九幕の悲劇の第一場だった。
 それはとんでもない事態を招いた。
 三百平方マイルの地域に住む七百五十万人の人々が、いっせいに正気を失ったのである。

僕は最初ボケっとしながら「エラリー・クイーンとはまたまたどんな作家なのやら」と訝しげに読んでいたのでこの記述を読んだ途端に「あ、あれ?? ミステリじゃなくてSFだったかな??」と思ってしまったものだが、これがまったくの事実(誇張された)であることが後に明らかになる。絞殺事件の加害者は巷では<猫>と呼ばれ、犯行は普遍的な恐怖の弦をかき鳴らし、新聞は陰惨極まりない部分を一般市民に誇張して伝え、ラジオもこの事件を大々的に、エンターテイメント的に報じてしまったばっかりに社会は次第に正気を失っていく。

視点が探偵役エラリイに移り変わり、彼に事件の解決が依頼される頃には既に5人もの殺人事件が起こってしまっている。被害者はなぜかだんだん規則性をもって若くなり、電話帳に載っている者だけが被害者になっている。そしてある時の殺人事件ではついに存在していると思われた法則が乱れて──と謎の部分も何しろ冒頭から一人一人死んでいくのではなくいきなり5人、死に終わってしまっているあたりケレン味に満ちあふれているではないか。

なすすべもなく最初は地道な聞き込みと調査を続けていくエラリイ・クイーンだが──犯人は仮の容疑者すら定まっておらず、定期的に殺人は繰り返されるのでニューヨーク市民は「次は我が身、もしくは知人が巻き込まれるかもしれない」と、公的な調査機関への不信感を露わにし、失われた正気と共に群衆の力を発揮させていくことになる。

 市長、どこかの異常者に街の人が片っ端から殺されています。<猫>が現れてそろそろ四ヶ月経つというのに、いまだにうろついています。そう、あなたがたは<猫>を捕まえることができないか、あるいはまだ捕まえていない。では、わたしたちはどうやって身を守ればいいのでしょうか。警察を非難しているのではありません。警察のみなさんも、わたしたち市民と同じくまじめにがんばっていらっしゃいます。しかし、ニューヨーク市民はあなたにこう尋ねます。警察はこれまで何をしてきたのですか

群衆を、恐怖が支配している。どこかから誰かが、自分の命を狙っているという恐怖。明日にもそのターゲットに自分がなっているのではないかという恐怖。公的機関が信用ならず殺人が一向に止まる気配が見えない「先が見えない」恐怖。市長が弁解する言葉は空虚で群衆にまで届かない。果ては妄想が妄想を呼び<猫>だぞ! <猫>よ! というありもしない幻想が叫ばれるだけでパニックを起こし、群衆それ事態が妄想の増幅源となって狂騒を呼び覚まし、暴動が発生し、無法状態が誕生し、かえって命を奪うことになる。

ことがそこまで発展していくと、本書はミステリであり、「連続殺人事件」が起こっているのだから、その連続殺人事件の謎を解けばいいのだろう──とはいかなくなってくる。でもこれを読んでいて「そうだよなああ」と思ったのだった。5人も6人も殺されるような連続殺人事件が同じ街で起こったら、そりゃ住民の側からしたら「切り裂きジャック」ばりのパニックだし、それをまったく止められない警察を信用するはずがないよ。「連続殺人事件」というのはミステリの道具立てだけれども、それを実際に社会に発生させたらこんなパニックが起こりえるんだぜというより大きな事象を描いているのだ。

 「だが、もっとも似ているものと言えば」プロメテウスは夜明けの冷気を物ともせぬ様子で話をつづけ、エラリイは古い瓢箪のようにかたかた音を立てて震えた。「それは、周囲の事物への反応のしかただ。ひとりではなく、群れで考える。そして、昨夜の不運な出来事でわかるように、群れの考える力はあまりに貧弱だ。おまえたちは無知ではちきれんばかりで、無知はやみくもな恐怖を育てる。おまえたちはたいがいのものをこわがるが、中でもいちばん恐れているのは、現代の問題と向き合うことだ。だから、伝統という魔法の高い壁の内に楽しげに群れ集い、理解できぬことは指導者たちにまかせておく。指導者はおまえたちと未知の脅威のあいだにいるわけだ」

人間は個人や少人数で行動している時と群衆になった時ではその行動に大きな差が出る(普段はしない行動を、他の人々もやっていたら平然とするようになるなど)ことは幾つもの研究からわかっているが⇛群衆の心理 - 基本読書本書はそうした人間が群衆になった時に起こりえるパラノイア的行動原理を見事に描き出しているといえるだろう。また優れているのが、単に群衆になった時の人間の妄想の暴走を描いているだけでなく、「個人の妄想」がもたらす悲劇が本書の軸にもなっており、一つ一つの要素が無駄なく全体で統合されているのだ。

謎事態の魅力はもちろん、それがもたらす社会的な大騒動まで含めて射程に入れた傑作。エラリイ・クイーンってこんな挑戦的な作品ばっか書いている人なの!? とすごく驚いたのだけど、代表作ともいえる『災厄の町』とくらべてもその作品のタイプは大きく異なるらしく、それはそれで他の作品への興味が大いに増すのであった。