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野望を抱きカオスと踊る──『ネオ・チャイナ:富、真実、心のよりどころを求める13億人の野望』

ネオ・チャイナ:富、真実、心のよりどころを求める13億人の野望

ネオ・チャイナ:富、真実、心のよりどころを求める13億人の野望

いやーこれはもう完膚なきまでに面白かった。「ネオ・チャイナ」は邦題で、原題は『AGE OF AMBITION』、直訳すれば野望の時代になることからもわかる通り、急激な発展を遂げ底辺から頂点へと踊り出つつある中国で何が起こってきたのかを解き明かしていく一冊になる。中国文化論としてはもちろん、国家が敷くルール/権力のもと、自分たちの野望を持って時に正面から対立し、時に懐柔し、時にバランスをとってカオスと踊り続ける中国人民の物語として異常な出来。

著者は2005年から2013年にわたって中国北京に在住し、各紙の中国特派員として文章を発表し続けたエヴァン・オズノス。彼が書く記事の質は中国語にも翻訳され、現地でも高く評価されていたようだ*1。それも本書を読めばよくわかる。彼が在中していた際にいく度も継続的に行ってきた各種著名人から一般市民へのインタビューを元にし、主に「富」「真実」「心のよりどころ」と大きく三部に分けて中国の特異な文化と個人の物語を接続していく。

個人のインタビューを元に問題の全体を描き出そうとする本は多いが、所詮「サンプル数1」の集積であることには注意せねばならない。個人の切々とした訴えは強い印象と感情を引き起こすが、それ以外の人に同じことが起こっているかどうかは定かではない。本書がそれでもなお凄いのは、常にその客観的な視点を失わず、たとえば対立する意見の持ち主、多少異なった同ジャンルの人間へとインタビューを行い、緻密に全体像をあぶりだしていくことだ。

緻密でありながらも個々人の人生は物語的な起伏にとんでおりそれをただ読んでいくだけで面白くてたまらない。本書で取り上げられている人々は、反体制派もいれば現状を良しとする人間もいるが多くの場合、海外で知識を得たり、インターネットで外の知識を得ている。必然的に外の情報へ触れ、新たな視点を得ることになり、旧弊なルールを現代のテクノロジーで押し付けてくる国家との軋轢を感じることになる。たとえば、ビジネス誌『財経』編集長胡舒立氏は本書で次のように語っている。

 胡舒立はインサイダーとアウトサイダーの双方にまたがるという立ち位置にあって、一つの決断を下していた。腐敗した幹部の個人名を挙げれば、説明責任の追求という点では得点を稼ぐことができるかもしれないが、そのスクープによって報復を受けることになりかねない。(……)「中国にはさらなる改革が必要です。チェック・アンド・バランスも必要です。透明性も必要です。わたしたちはこういうふうにものを言います。わかりやすい言葉ではないですし、そこにはスローガンもありません」。

当局は問答無用でジャーナリストをしょっぴく権力を持っており、インターネットは検索禁止用語が乱立されジャーナリストへは日夜「○○についての報道はやめろ」と通達がくる。そんな状況で国家に対して継続的な批判的ジャーナリズム活動を行う為には、「たったの一度勇気を出せばいい」のではなく、ある種の戦況を読むバランス感覚と通常ではありえない複雑な戦法が必要とされるのだろう。富を得たもの、反対性を訴えるもの、体制にある程度迎合するもの、誰もがこの軋轢の中にいる。

第一部「富」では、急激な成長を遂げた中国にあってその変化の中さまざまな方法で富を掴んでいったものたちの証言がメインとなる。かつて女性は「ちゃんと食べたかったら結婚するしかない」状況だったのが今となっては自身で起業をし、金を稼ぎ自由恋愛を経て結婚をするのが当たり前となった。だが一昔前の常識、古い慣習で育った世代もまだ当たり前に生きており、新旧世代のまったく別物となってしまった価値観における対立もそこにはみられる。

工場の製造LINEで働いていた農家の娘があまりに早く会社の重役になったため、農村での習慣や心配事から抜け切れないということが起きる、「取り替え子(チェンジリング)」のような時代でもある。個人という要素が政治、経済、私生活において重要な力となった結果、炭鉱夫の息子が本の表紙に自分の名前を載せること以上に大事なことはないと信じるようになる時代である。

こうした新しい状況こそが本書原題である「野望の時代」ということになるのだろう。多くの人間が富を目指し、同時に外の文化/視点を取り入れた結果、自国の異常さに気が付き、かつてはありえなかった反対制への野望も起こってくる。

真実

第二部「真実」では、汚職、報道規制、プロパガンダが乱れ飛ぶ中国における真実を追う。最初に取り上げた編集長胡舒立は国内外のメディアで「中国でもっとも危険な女性」と評される自国に批判的な存在だが、そんな彼女でも収監されたり活動を禁止されない為には「取り上げてはいけないテーマ」を厳密に見極めている。それだけ自由なジャーナリズムからかけ離れた国ではあるのだが、そんな状況下でも批判的な人はいるし、彼らは足かせをはめられながら戦っているのだ。

報道以外でも安全基準を完全に無視して作られた突貫・手抜き・素材無視の鉄道、橋、建築物がもたらす何十人もの死者や蔓延する汚職と「真実」で語られていくエピソードは一つ一つがショッキングなものばかりだ。急速な発展に間に合わせようとあらゆるジャンルでの計画は適当なものになりはりぼてだろうがなんだろうが当面機能すればいいという杜撰さの中進められている。もちろん事故が起こって死者が何十人出ようが政府は非を認めようとなんてしない。

新時代の梅雨国のさまざまな側面が、それぞれの理由であまりに性急に建設されてきたことが明らかになりつつある。中国北部で最大級の橋梁を建設するのに、工期は当初三年だったが、実際には一年半で完工となり、それから九ヶ月後の二〇一二年八月に崩落事故を起こし、三人が死亡、五人が負傷する事態となった。地元政府はトラックの過積載が原因としたが、同様の事故はその年だけで六件目だった。

先日の中国大爆発事件もあるが、ああいうことが平然とウソまみれの政府発表と火消しによってあっという間に忘れさられていく。他にも、当たり前のように繰り返される役人への賄賂、親族を極端に優遇する縁故主義などその実態はあまりにも凄い。

心のよりどころ

急速に発展した経済は上で述べたように建設や富、真実を求める中国人民の変化とさまざまな影響を与えきたが、第三部となる「心のよりどころ」で語られるのはその変化の中、彼らが何を頼りにしたかだ。宗教が再生し、インターネットやグローバル化で真実を知った人々は哲学や心理学に傾倒する。体制へ批判を繰り返す批判者を英雄視し、時にはナショナリズムそのものを心の支えとして活動を続けている。その様は「熱狂」の一言がふさわしい。

おわりに

民衆を不都合な事実から遠ざけようとする政府の試みは様々な自由を獲得した果てにある中国人の開放性とまったく噛み合っておらず、多くの人間がその軋轢の中で苦しみ、あるいは適応し、人によっては富を得、人によってはその状況を変えようと闘いを続けている。急激な進歩は旧弊なルールをあっという間に置き去りにしたがそれも各所で歪みを産み災害・事故となって表出する。

本書を読んでいて何よりも面白かったのは、あふれんばかりの矛盾、カオスだ。米国を上回るインターネット利用者を有しながら自由な表現はほぼ全ての国家よりも規制されている。もっとも富めるものと貧しい物の格差はニューヨークとガーナに等しい。『中国はかつてないほど多元的になり、都市化が進み、豊かになったが、それでいて世界で唯一、ノーベル平和賞受賞者が獄中に囚われている国なのである。』 

いやー、こんなめちゃくちゃな国、ないよなあ。中にいたら大変だし、側で付き合うのも大変だけどこうして読者として見ている分にはその歪さがたまらなく好奇心をそそる。本書はこうした多様な中国をさまざまな角度から眺めることのできる一冊であると同時に、理屈にあわない理不尽の中で、それでも野望を抱き自分なりの理屈を通し、人生の幸福を掴みとらんとする個人の物語でもある。中国に興味なんかないよ(なんて人がいるのかわからないけど)てな人でも、十分に楽しめるはずだ。