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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

世界の辺境と中世日本に共通点を見いだす──『世界の辺境とハードボイルド室町時代』

世界の辺境とハードボイルド室町時代

世界の辺境とハードボイルド室町時代

高野秀行さんと清水克行さんによる「世界の辺境と中世日本って似てるよね」と「似てる似てるトーク」から始まる異色の比較文明対談本。対談本って、忙しけど本は売れるネームバリューのある人にちゃちゃっと本を出させるために企画されることがあって、そういう本は大概お互いのことをよく知らないから、表層的な会話に終始するつまらない本になりがちだ。読書家であるほど「対談本」は警戒する傾向があると思う。特に新書の対談本はたいていひどい。

ところが本書は最初は企画でもなんでもなく、たまたま編集者が同席した場で二人があって話していたらめちゃくちゃおもしろかったので本にしましょうかという「偶然」の経緯をたどった本で、お互いがお互いの本を読み込んで、両者の良い面を引き出しあっているこれぞ対談本、というべき内容。高野秀行さんは最近『独立国家ソマリランド』などで名前が売れ出したエンターテイメント・ノンフィクション作家で、清水克行さんはきちっとした学問的背景を持つ学者で、『耳鼻削ぎの日本史』など一般向けの歴史ノンフィクションを書いている。

最初は高野秀行さんがその経験と自由な発想からおちゃらけた仮説を立て、それに清水克行さんが学問的裏付けや見解を示す「両者の役割がきっちり別れた」対談になるのかと思っていたのだけど、実際の対談では高野秀行さんの研究者的側面が表に出て、逆に清水克行さんからも面白くてわくわくするような仮説がぽんぽん飛び出る。結果的に、当初想定していたのとはだいぶ趣がことなるものの、想定していた以上に面白い対談に仕上がっている。

中世日本と世界の辺境はよく似ている?

さて、そもそもの対談の発端となった「室町時代の日本人と世界の辺境はよく似ている」件についてだが、実際にどこが似ているのだろうか? これもいろいろあるのだが、一つには中世日本の魅力として清水さんが語っている「複数の法秩序が重なっていて、それらがときにはまったく相反しているんだけれども、その中で社会が成立しているところ」が挙げられるだろう。

たとえば中世日本の支配者層である荘園領主(供花や武家や大寺社)は、自分の領内で盗みが起きると基本的には犯人を荘園の外に追い出していた。だが、住民は自分の大事な物を盗んだ人間が荘園の外で生きているのは納得できないといって、当時の荘園では「現行犯殺害を容認する」という「支配層側の思惑」と「住民側の思惑」が相反している限定ルールが設定されていたのだという。それとほとんど同じこと(盗んだ奴は法律にてらさず、私刑にあう)がアフリカでも当たり前に起こっている。

でも、法律的には絶対にいけないことじゃないですか、殺人ですから。だから、たとえば、その国の大統領なり警察トップなりに聞いたら、「わが国では許されない行為だ」と答えるんでしょうけど、実際にはリンチが行われていて、それを認めないと、 おそらく秩序維持ができないんでしょう。

疑問なのは、共通点そのものより「なぜ、世界の辺境と中世日本にはこのような共通点が浮かび上がってくるのか」なのだが、明確に結論こそ導かれないものの、結局文明があまり発展していない「田舎」だからというところに集約されるように読んでいて思う。この件は住民側の要望=盗人を生かしておくわけにはいかない、を上がコントロールできていないから起こっている事態で、アフリカでは「秩序が維持できない」から黙認されているわけで、ようは「権力が及ぶ力の範囲」の問題なのではないか。

高野 でも、住民の間にそういう意識があるからこそ、治安が保たれているんだと思うんですよ。僕なんか誤解されていて、「よくそんな危ないところへ行くね」って言われるわけですよ。でも、辺境って危なくないんですよね。意外に。どこでも一番危ないのは都市なんですよ。そこから離れて、辺境に行けば行くほど安全になっていく。というのは、顔が見える社会になって、お互いに監視が利いている状態になるからですよね。だから、旅行者とか外国人に対してうかつなことを仕掛けてこないんです。

日本の都会なら殴り合いでもすればすぐにぴゅーっと警官が飛んできてしょっぴいてくれるが(僕はそんな現場を目撃したわけではないが少なくともそう信じている)警官がやってくるにも時間がかかるような世界の辺境の片田舎ではそうもいくまい。また住民が一致団結したら困ってしまう程度の武力しかない権力サイドも同様で、そのかわり権力が及ばない片田舎では、引用部を参照すればわかるように、独特のローカルルールが機能するのだろう。

かといって権力がまったくないことにするわけにもいかないから、結果的に相反するルールが共存するような状況が発生する。清水さんがいうところの「複数の法秩序が重なっていて、それらがときにはまったく相反しているんだけれども、その中で社会が成立しているところ」を僕はそのように理解した。

多岐に渡る話題〜合理的同性愛、言語の時制についてなどなど〜

このように、最初こそ文化的な共通性や、「応仁の乱」と「ソマリアの内戦」は戦争の中心が都ってところが似ているよねと展開していくのだが、後半に向かうにつれ話題はどんどん世界の辺境と中世日本史の比較文明論へと移り変わっていくのも楽しい。高野さんとくれば世界中を探検している猛者であるし、清水さんも著書は「神判」「耳鼻削ぎ」と多岐に渡るので話題が豊富である。

その話題の移り変わりが、一切予測不可能で実にエキサイティングなのだ。たとえば突然アフリカでは「どこのサッカーチームも自陣のゴールにバリアを張る呪術師を雇っている」という呪術的な世界を未だに信仰する辺境の話に及んだかと思えば、その直後には「かつて日本では未来は「未だ来たらず」で後ろ側にある概念だった」と語句の時制話に展開していったりする。

これは、勝俣鎮夫さんという日本中世史の先生が論文に書かれていることなんですが、戦国時代ぐらいまでの日本人にとっては、未来は「未だ来らず」ですから、見えないものだったんです。過去は過ぎ去った景色として、目の前に見えるんです。当然、「サキ=前」の過去は手に取って見ることができるけど、「アト=後ろ」の未来は予測できない。

かなり専門的な言語仕様の話題にも関わらず、高野さんも世界各地を転々としながら言語を学んでいった言語オタクであるから、どんどん食いついていく。「未来のことを言っているのか、過去のことを言っているのかわからないことがしばしばあるんです。ソマリ語もそうなんですよ。」それがどのような話題であれ「そういえばね」と知識や経験から引き出せる高野さんの凄さが際立っている。

戦国時代の武将達は常在戦場だし、男も男と恋愛をするのが(いざというときに二人共戦えるし、守る必要もないから)合理的だよねという戦国合理的同性愛論など「だよねだよねっていってるけどほんとかよぉ!」と思うようなものまで話題が非常に広く、全てを紹介できないのが残念である。ただ僕も書いているHONZでは一部抜粋版が載せられているので、気になった方はこっちを一通り読んでいくとこれがどのような本なのか一瞬で理解できるだろう⇛
【連載】『世界の辺境とハードボイルド室町時代』第4回:伊達政宗のイタい恋 - HONZ

おわりに

両者の魅力をお互いに引き出しあい、一人では不可能なわくわく感を生み出すこと。それこそが対談本の面白さであり、本書はまさにそのボテンシャルを最大限引き出している。読み終えた時には両者への興味も増し、二人の単著を遡って読みたくなるんじゃないかと思う。僕は高野秀行さんの作品は既に手に入る物は全て読んでいたので、さっそく清水克行さんの本を読み始めたのだがどれも面白い! 

読んだことがない人には、高野秀行さんは『独立国家ソマリランド』か『ワセダ青春三畳紀』『アヘン王国潜入記』あたりをおすすめしたい。どれも笑いが止まらず、ワセダ青春三畳紀はともかくとして我々がよくしる「現代日本人」の視点とは全く違う視点と文化と環境がこの世にはあることを理解させられるだろう。アヘンを栽培しにいってアヘン中毒になったり、ソマリランドにいって海賊になろうとしたり無茶苦茶である。記事は以下を参照。huyukiitoichi.hatenadiary.jp
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清水克行さんはとりあえず今一番手に入りやすいであろう、出たばかりの『耳鼻削ぎの日本史』をオススメしておく。「え〜そんなテーマなんの興味もないんだけど」と思いながら読んだのだが「げげ、そんな理由が!」と読み始めたらのめり込んでしまった。huyukiitoichi.hatenadiary.jp