基本読書

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クビが取れ身体が千切れ飛ぶ──『魔法がいっぱい!』 by ライアン・フランク・ボーム

魔法がいっぱい! (ハヤカワ文庫 FT 36)

魔法がいっぱい! (ハヤカワ文庫 FT 36)

1981年に出た(書かれたのは1900年ぐらい。100年以上前だね)ボームの『魔法がいっぱい!』が復刊。カラフルで書き込まれた新カバーがすばらしいのと、260ページほどの短さは翻訳物としては短く、子供向けの童話なのですらすらと読みやすい。

ボームがどのような経歴をたどってきた作家なのかは本書の解説に詳しいのでここでは『オズの魔法使い』を書いた作家であるとだけ情報を伝えておこう。本書はボーム三冊目の著作となるが、出版まで寝かせていたということで実際に書かれた順序でいえば処女作といっていいようだ。オズの魔法使いにもつながる要素が多々みられるようだが、言われてみればあのナンセンスな感じがそのまま本書に詰め込まれている。

肝心の物語はほんわかとして大体楽しそうに日々を過ごしているとある国を舞台にしたファンタジーだ。お菓子で出来たその国は<モーの国>といい、"誰も死なない"特性を備えた人々である為にびっくりするぐらいスプラッタな事態が起こっても皆笑いながら日々を過ごしている。たとえば最初の短篇である「つづいて、びっくり! 王さまの首の不思議な冒険の巻」では、モーの国に存在する厄介者ムラサキ・ドラゴンを倒しに向かった王様が頭を首ごと食いちぎられどえらいこっちゃという話だ。

「ま、いいから、いいから」王さまは、陽気な声でおっしゃいました。「首なんぞなくたって、余はりっぱにやっていける。実をいうとな、首がないのもいいもんだよ。これからは髪を梳かすことも、歯をみがくことも、耳を洗うこともせんでいいんだから。な、だから、みんな、悲しまんで、いままでどおり、楽しく、陽気にやっていてくれ」このひとことで、王さまがやさしい心の持ち主だということがわかります。そして、つまるところ、どんな時代でも、首よりはやさしい心のほうがたいせつなのです。

いや、やさしい心よりは首の方が大切だろ……と思わず突っ込んでしまったがいわゆるナンセンス・ギャグが連発する。この国の人たちは首がとられても別に死なない。ただ頭ごと食いちぎられた王さまは目がないのでぼっこぼっこそこら中にぶち当たりながらなんとか帰還し、頭がないのも不便なので代わりの頭を用意せよ、さすれば娘のどれかと結婚する権利をやろうとお触れを出す(声は首の付け根から出る(どういう理屈だそれは))。砂糖菓子でつくってくるやつや練り粉で頭を作ってくるやつもいるが、砂糖菓子は雨にあって溶け、練り粉は太陽を浴びてパンになってしまう。

何がどうなろうが死なないので、ある話ではギーガブーとかいうとんでもな怪物を退治に向かった王子が四肢をもがれてダルマにされてしまう。だがこの国の人々は決して死なないので四肢がそれぞれ意思を持って身体との結合を果たし何度でも討伐におもむく。ダルマになった王子が四肢を集めながら復讐へと赴く様は絵を想像するとあまりにもグロテスクだがどうやら血液は存在しないみたいだし何より文章は途方もなくコミカルで深刻さが微塵もないから「あはは」と笑って読めるだろう。

もちろんこの平和な国にあって戦闘が発生するのは例外状況であってほとんどはお菓子を食べてパーティを開いて陽気に暮らしている。王さまは自分の誕生日がわからないので時折思い出したように誕生日パーティを開くし、死なないもんだから遊びでも平然ととんでもないことが起こる(糖蜜の湖に沈んで浮かび上がってこれなくなったり)。悪いことをしたらいけないんだよという教訓をたれるいいこちゃんみたいなお話でもなく、無茶苦茶な人間どもがどたばたを繰り広げる愉快な話だ。

小学生だった僕はゲド戦記や指輪物語、エルマーの冒険やドラゴンランス戦記、それからもちろんオズの魔法使いといった傑作ファンタジーにのめり込んで本好きへの道を歩みだした。子供の頃の頭は空想と妄想が現実と渾然一体となっており今よりももっと「突拍子もない物事」が自分の中に居場所を持っていたように思う。本書を読んだ記憶はないが、あの時に読んだ途方も無く楽しいラインナップに本書も入っていたらよかったのになあと思った。いま読んでも十分に面白いんだけどね。

オズの魔法使い (新潮文庫)

オズの魔法使い (新潮文庫)

  • 作者: ライマン・フランクボーム,にしざかひろみ,Lyman Frank Baum,河野万里子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/07/28
  • メディア: 文庫
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