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世界は一変しカタストロフへと雪崩れ込んでいく──『文学会議』

文学会議 (新潮クレスト・ブックス)

文学会議 (新潮クレスト・ブックス)

バカバカしい語り、トンデモな展開が、実に丁寧に、細部に至るまで、かつ必要なんだか必要ないんだかよくわからない寄り道をしながら続いていく。本書収録の中篇二作のあらましをざっと語ってしまえばふとっちょの女の子にいきなり「ねえ、やらない?」と語りかけてくるパンクな少女二人から始まる「試練」、クローン技術を用いて世界征服を狙う作家にしてマッド・サイエンティストを描いた「文学会議」と百合に世界征服SFとあまりにも自由すぎる展開をみせるのだ。

著者であるセサル・アイラはアルゼンチン生まれの作家で。大抵の作品はアルゼンチンの出版社から出て、メキシコ、スペインと流通をたどっていくが本書の初版はベネズエラのようだ。ノーベル文学賞の候補者とも言われているようだが、候補者は公表されないので本当かどうかはわからない。ただ少なくとも「そう言われる」ことは確かなわけで、世界的な評価が高い作家でもある。

文学会議

村上春樹さんだってノーベル文学賞候補(と言われているだけだが)なのだから別段不思議ではないのだけれども、セサル・アイラさんによる本書も、最初に大雑把なあらすじを書いたようになかなかぶっ飛んでいる。たとえば、繰り返しになるが「文学会議」は「私」ことセサルさんがこれまた実在の作家であるカルロス・フェンテスの細胞を入手し、天才のクローンを量産して世界征服を成し遂げようとする中篇だ。

 ことここにいたって、立ち往生してしまい、このままでは最終目的地まで行けそうにないことがわかった。最終目的地というのは、なにあろう、世界征服だ。この点にかけて彼はマンガの典型的な<マッド・サイエンティスト>だった。世界征服というのもこれ以上はないほど控えめに設定した計画だ。なにしろ彼ほどの人間だから、それ以下では役不足というものだ。しかし彼にわかったことは、このままのクローン軍団(といっても、それも今のところ仮想の存在に過ぎなかった。現実的な問題として、まだ数体作っただけなのだから)では役に立たないということだった。

武器もないのだからクローンを大量に作ったからといって世界征服が開始できるわけではない。彼が天才的だったのは『明らかな解決策はもっと優れた人物のクローンを作ることだった……』と自分より優れた人間を想定しそいつを量産して優れた世界征服法を考えてもらう事を考えついたことだ。こうして、彼の知る天才であるカルロス・フェンテスの細胞を得るために文学者が集まる文学会議へと赴くのであった。

筋書きだけ読むと「マーベルの新しいヒーロー物かな?」ぐらいのシンプルさではあるが、実際には本筋に関係あるんだかないんだかよくわからない思考、寄り道がはさまれておりふらふらと蛇行が続いている。しかしその思考、語りこそがまたこの作品の面白さでもあるのだ。カルロス・フェンデスから細胞を得るために使用した、自分が一から設計したスズメバチが役目を果たした後、証拠隠滅の為にとっとと殺したほうがいいのは確かだが『思ったよりもこの子に対する愛情が湧いてしまった』といってひたすらスズメバチに感情移入していく語りなど「お前は世界征服を志すマッド・サイエンティストだったのではないのか!」と不可思議な気持ちにさせられる。

それ以前の問題としてその後の筋書きも別段世界征服へとまっすぐ進んでいくわけではない。かつて出会って一瞬で恋に落ちた女性のことを延々と語り続けたかと思えば彼がかつて書いた小説や劇の話、間テクスト性に対する嫌悪感の表明、翻訳や文筆業がたいして儲からずに貧しいままであるなどなど一向に世界征服などにはとりかからない。しかし、突如として世界はその姿を一変させ、期せずして彼は世界を救うために立ち上がることになる───。

試練

こっちはこっちでクローンなどの現実には存在しない技術こそ出てこないものの、不可思議な話だ。「ねえ、やらない?」とパンクな二人の少女に話しかけられるふとっちょの少女と最初に書いたが、その「やらない?」の意味はそのまま「セックスしようぜ!」の意味であり、当然見ず知らずの女の子二人にそんなことを言われても困ってしまう。明らかに怪しい。いえいえいいですから……、そこをなんとか、一目惚れしてしまったんだよとでもいうように物事は強引に推し進められていく。

「ちょうどあんたのような子を待ってたんだよ。クソデブをさ。面倒なこと言わないでくれよ。あんたのあそこを舐めたいんだ。まずは手始めにさ!」

勢いに飲まれ、またそのドストレートな弁舌に一片の好奇心を刺激され、クソデブ少女は彼女たち二人と場所を移動し、会話を試みてしまう。当然気が狂ったような申し出なので「そうだね、やろう!」なんて展開にはならないのだけど、ドストレートにやろうぜ! と言ってくる二人の少女の出現によって、クソデブ少女の世界観は一変してしまう。「今まで当たり前だと思っていた世界が、一瞬で一変してしまう」状況を描く部分は、「文学会議」と通底しているのだ。

 時間的にそんなことを考えた後に割れに返ってみると、プンペルがまったく性質の違うもののようになっていた。向かいの街角で女の子二人に声をかけられてからというもの、この種の感情を持つのは初めてではなかった。あれから十五分と経っていないのに、世界は二度、三度と姿を変えてきたのだった。まるで変わることが彼女たちの生み出した効果の変わることのない性質みたいだ。

この中篇の面白いところは、一貫してこの狂ったビッチ共に対してノーを突きつけてきた「理性の人」であるところのクソデブ少女が、ついにその理性を二人のパンク少女に突き崩され、言語で割り切ることのできない非理性の世界へと突入していってしまうその描写だと思う。それは言葉にすれば簡単だが、読者に説得力を持って提示するのはなかなか骨である。非理性の世界へ言葉で誘導しなければならないのだから。

マルシア、もう一度しか言わないぜ。あんたは間違ってる。もうわかってるはずだろ。何でもかんでも説明が必要だっていうその世界は間違いだ。愛がその間違いからの出口になるんだ。あたしがあんたを愛せないなんてどうして思うんだ? 劣等感かい? 太った子は抱きがちだが。そんなことはない。劣等感を持ってるってんなら、その点でもあんたは間違ってる。あたしの愛があんたを変えた。マルシア、あんたのその世界は現実の世界の中にある。

物語は急展開を迎え、少女三人は共にスーパーマーケットを襲撃することになる。スーパーマーケットを! 襲撃! なぜそんな流れになったのか、理性的な少女はいかにしてそんな状況になだれ込んでいくことになるのか、それはまあ読んでのお楽しみだ。この「試練」も「文学会議」も、共になんだかよくわからない脱線をはさみながらも、突如として世界はその姿を一変させ、カタストロフへと雪崩れ込んでいく。それはまあ、面白いよね。長すぎず、短か過ぎない中篇という長さも抜群だ。

わたしの物語 (創造するラテンアメリカ)

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