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SFが現実化しつつある世を生きている──『意識と脳――思考はいかにコード化されるか』

意識と脳――思考はいかにコード化されるか

意識と脳――思考はいかにコード化されるか

意識をめぐる本は最近も『意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論』や『意識をめぐる冒険』が本職の神経科学者によるノンフィクションとして発表されるなど、翻訳(と出版)が比較的途絶えない分野である。本書の著者もまた本職の認知神経科学者ではあるが、特異性は徹底した実証に基づく意識の定義、およびその応用可能性についての地道な記述であろう(他の著者が実証的でないわけではないが)。

本書では哲学的な謎を、実験によって検証可能な現象へと変えた戦略を詳しく解説する。この変化は「意識のより明確な定義」「意識的知覚を実験によって操作できるという発見」「主観的な現象に対する尊重」という三つの要素によって可能になった。

本書の構成は意識の定義、無意識及び意識の働きの実証的考察、意識に関する理論的仮説の提起、臨床現場への応用事例と段階を踏んで、意識分野での魅力的な実験結果の数々と共におっていく。この手のものは「面白さ」に比重を寄せすぎると単なるエピソード集のようになってしまうし逆に実験手法ばかりに偏ると論文のようになってしまうなどバランスが難しいが、本書はそのあたりのバランスが秀逸。

多少複雑ではあるものの「きちんと」実験の過程と脳についての科学的な説明とその内実、なぜそのような仮説に至ったのかが非専門家にもわかるように説明されるので「なんだかよくわからないけど、そうなんだな」と無理やり納得する必要がない。

意識とはどのように機能しているのかという過程を理解するのはそのまま自分を理解することであり、また現実から意識への情報変換過程を知ることで現実を「正しく」知ることにも繋がる。何よりも、意識の解明がここまで進んでいるのか=赤ん坊はいつから意識が生まれるのか? 植物状態の人間に意識があるか否かを判定する実験の精度向上、意識の人為的コントロールといった事例の数々に、意識をめぐる科学はここまできたのか! と大興奮させられた良書である。

意識の定義

本書では意識をまず3つの段階に整理(覚醒状態、注意、コンシャスアクセス)し、純粋な意識をコンシャスアクセスであると限定し検証を進めていく。コンシャスアクセスとは、道を歩いている時に外の情報が大量に入ってきているけれども、不必要な情報は無意識の背景にとどまっている、その無数の情報の中から『特定の情報を思考の俎上へと持ち出すこと』によって「心に保たれる」意識的な対象になることをいう。

その何かを強く意識している状態……たとえばタイピングの学習を始めた頃の四苦八苦しながらキーを叩いている時の脳の活動状態をfMRIなどを用いることで計測し、無意識的にタイピングができるようになった=行動の自動化にともなって何が起こるのかを対比することで意識が起こっている状態を明確に区別しうる「意識のしるし」をあぶり出すことができる。こうした地道な実験の面白いところは、「意識のしるし」がどこで、どのように起こっているのかといったことと同じぐらい「無意識が何を、どこまでやっているのか」を解き明かすことにある。

無意識の働き

著者らがやっている興味深い実験の一つに、文字を被験者の目に見えない時間フラッシュさせることで生じる反応を見ることがある。たとえば「rape(レイプ)」「danger(危険)」など不安と関連んした単語を見えないようにフラッシュさせると、中立的な単語を表示したときには生じなかった電気シグナルが記録される。この実験では扁桃体に電極を挿入し行っているが、少なくとも扁桃体までは被験者の意識までにはのぼってこない単語の情報が届いていることになる。

意識にのぼることのない情報が行動や知覚に影響を与える実験例はこれ以外にも無数に上げられており、普通に日々の生活を送っている時にふっと「あれはもしかして」とアイディアが湧いてくることがあるように、無意識下で進行していることを私たちは過小評価しているのだ。脳はもっと多くの情報をモニターし、意識レベルに上げる前に濾過しているのである。

意識のしるし

このような、認識されない文字を一瞬表示させその反応を見せる実験一つとっても、無意識の活動以外にも気付きの宝庫である。たとえば、視覚的にに認識される状態と見えない時間フラッシュさせた場合とで脳の状態を対比することで、意識のしるしが目に見えるようになる。それによれば、表示された後400ミリ秒が経過する頃には相違は大きくなり、左右の前頭葉、前帯状皮質、頭頂皮質に強い活動が見られ、500ミリ秒が経過することで視覚野にまで戻ってくる。

意識的知覚は、皮質に点火の閾を超えさせるニューロンの活動の波によって生じる。意識される刺激は、最終的には多くの脳領域を緊密に絡み合った状態へと導く、自己増幅する神経活動のなだれを引き起こす。

このあたりは、非常に具体的な「意識と呼ばれる事象が起こっている時、脳内で何が起こっているのか」の素描だ。それならば、自己増殖する神経活動のなだれ、そのコードを解読できれば、私たちには個人の内面へのアクセスが可能になるだろう。実際、それはすでにある程度のレベルでは可能である。たとえば、側頭葉部に電極を挿入し様々な単語や画像を見せて記録をとった実験では、オペラハウスの写真と「Sydney Opera」という語句の両方に同一のニューロンが反応するなど、ニューロン活動のパターンによって特定の情報を指し示せることがわかっている。*1

ニューロンの発火パターンによって何を考えているのかの判別がある程度できるようになったとしたら、当然次に考えるのは「それに対応する心の状態を人為的に引き起こせるか」ということだ。てんかんなどの症状では脳への直接的介入は既に行われているが、脳に直接パルス刺激を加える実験も数多く、いとも容易く快感も、不快感も、運動感覚も、自分の判断に確信を持つか持たないかといったこともコントロールされてしまう。私たちが現実と捉えているものが所詮脳が引き起こしている感覚でしかないことを実感させられる。

意識をめぐる科学はここまできた

さて、それなりにじっくりと本書の基礎的な部分を紹介してきたが実は本当に面白いのはここから。「グローバル・ニューロナル・ワークスペース」仮説と筆者が呼称し、『この仮説の骨子は、「意識は脳全体の情報共有である」という実に単純なものだ』という理論まで至ると、注意深く実証的に検証された実験の数々から説得力ある最新の意識理論が構築されていくので、意識をめぐる科学はここまできたのか! とさらに驚かせてくれる。それは、なぜ莫大な量の情報を脳が受け取りながらも意識にはアクセスできない状態にあるのかの説明にもなるのだ。

「そんなことができるのか」というエピソードも面白い。たとえば光遺伝学という技術は、光に敏感な「オプシン」と呼ばれる遺伝子を動物の脳に注入し、その発現を特定のニューロン群に限定することで、脳にあらたな光受容体を加えられるのだ。

通常は光に反応しない領域にレーザー光線を当てると、突然ミリ秒の正確さでニューロンのスパイクの洪水を引き起こすことができるのだ。
光遺伝学の技術を用いれば、神経科学者は、いかなり脳の神経回路も選択的に活性化したり抑制したりできる。この技術を用いいて視床下部を刺激し、眠っているマウスを目覚めさせることさえできた。すぐに、この技術を用いて、さらにさまざまな脳の活動状態を、ひいては特定の意識的な知覚表象を新たに引き起こせるようになるだろう。

そんなことまで可能になったら未来はどんなことまで可能になってしまうんだろう?(自由意志はあるのか? 意識は人工的に生み出せるのだろうか?) というありふれた問いかけにも最新の知見を元に踏み込んで、様々な軸で楽しませてくれる。私たちはSFが現実化しつつある世を生きている。

数覚とは何か?―心が数を創り、操る仕組み

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*1:注意しておきたいのは、これはオペラハウスに対応する専用のニューロンが存在しているわけではなく、あくまでも大雑把なパターンにすぎないことだ。意識的知覚は大規模な細胞集団を動員するので、「だいたいこんなかんじ」という傾向を明らかにしているに過ぎない。たとえば被験者が見ている対象が顔か建物かを言い当てるようにぐらいのことは現状でもできるが、それがヒラリー・クリントンであるか、ジョブズであるかを判定することは(まだ)できない。