基本読書

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世界が壊れてゆく──『滅びの鐘』

滅びの鐘

滅びの鐘

独特のファンタジーを展開し続ける〈オーリエラントの魔道師〉シリーズの乾石智子さんによる最新長篇。ただしシリーズ外の長篇になるので、本書から読んでもなんの問題もない。どれを読んでもいいのだが、本書には特に乾石智子作品の「特異性」みたいなのが色濃く反映されているようにも思う。その特異性とは何なのかってのは難しい問題だが一つには「魔法の自然性」みたいなのかな。

それは説明が難しいのだが、本書での魔法は、世界の中に溶け込んで、劇的にではなく日常の一部のように、使用されていく。誰かのピンチに魔法使いが走りこんできて大魔法で一発逆転皆殺しだわい!! みたいな使われ方ではないわけだ。そうした魔法の自然性というのは、「世界観構築」の部分につながっていて、風景や人々の文化といった細かい部分の総和として世界が立ち上がってくる特別さに繋がっていく。

魔法といったものに突出した特別さを持たせないために、全てが濃密に描かれていくからこそ、「世界観としての特別さ」が浮き上がってくる。それが、シリーズ作品にも本作にも共通している特異性の一つなのかもしれない。

舞台とかあらすじとか

舞台はカーランディアという、「創りだすこと」に才を持つ土着の民カーランド人と、征服民であるアアランド人が確執はあるものの平和に暮らしている国家だ。そんな日常は、ある日王の命令によってカーランド人1万人が虐殺されることで砕け散る。カーランド人にして大魔法使いのデリンはなにさらしとんじゃい!!! と激怒して平和の象徴であった鐘をぶっ壊し、両民族は極度の緊張状態へと移行することに──。

この鐘は書名にあるとおりに「滅びの鐘」で、名前からして物騒なシロモノであるのだが、ただの象徴であるだけでなく特別な力を持っている。砕けた時にそこら中に散らばって、王を殺し、虎に打ち込まれれば喋り出し、トンボに打ち当たればトンボが歌い出す。何より封印していた恐怖の魔物を解き放ってしまう。『「世界が壊れかけています。理が、筋道が、迷路にはまりこんだごとくに」』

物語は複数の視点から語られていくが、主役の一人はタゼーレンというカーランド人の男の子だ。もともとたいした弓の才能も持っていなかったが、胸部に石が入り込み時折極端な暴力衝動に襲われる代わりに特別な弓手の力を手に入れた。狂った王、争いを始める二つの民族、制御できない特別な力を与えられてしまった主人公、各地で起こる異変、解き放たれた魔物──と一見、王道ファンタジーの要素が揃っている。

ただ、著者の言葉(あとがき)を借りれば『この物語には、血気盛んな気持ちの若い方々の好む魔法合戦は出てきません(いつかそういうのも書いてみたいと思います)』ということになるし、魔法に限らず両陣営が両陣営を憎み、戦争にまで発展する──そういう状況には陥らない(そもそもカーランド人側は、あっという間に追い出され逃げ惑うはめになる様子が描かれる)。物語の鍵をにぎるのは、魔物を鎮め封じ、さらには散らばった破片を取り除くことができるといわれる古の〈魔が歌だ〉。

逃げまどいながら、憎しみがつのっていく両民族。絶望的な世界観だが、どちらにもお互いを思いやる民はいる。彼らの心あたたまる交流と同時に時折彩りをあたえるのは、見事に綴られた詩の数々。派手な戦いはないからこそ、物語にはオフビートなテンポの良さがあり、崩壊していく世界という「滅びの美しさ」の中には物語がどう転がるのかさっぱり予想できないダークさが共存している。

いやー、展開にはね、結構驚いたよ。王道の要素がそろっていたので意外と真っ当に戦争とかしちゃうんじゃないの?? とか思っていたら、中盤以降その予測は大きく裏切られることになるから。げぇーー!! そんなのありかいな!! と驚いてページをめくっていくうちに〈魔が歌〉にたどり着いて、それが世界にもたらす現象は、美しいという言葉では生ぬるい。乾石智子さんの作品は一作ごとにパワーがましていて、より洗練されていくので「つぎ」がきになる作家でもある。楽しみに待ちたい。

書いてみたいとあとがきで触れていた魔法合戦とかね、読んでみたいよ。