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認知ロボット工学者が語る、特異点への道筋──『シンギュラリティ:人工知能から超知能へ』

シンギュラリティ:人工知能から超知能へ

シンギュラリティ:人工知能から超知能へ

  • 作者: マレー・シャナハン,ドミニク・チェン,ヨーズン・チェン,パトリック・チェン
  • 出版社/メーカー: エヌティティ出版
  • 発売日: 2016/01/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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技術の指数関数的進歩によって、現在からは想像もつかないほど人類のあり方が変化してしまうことを技術的特異点、「シンギュラリティ」と呼ぶ。最近、こうした事象が「本当に起こりえるかもしれない」と切迫して感じてしまうほどに状況が変化してきた背景があってか、雑誌などで目にする機会が増えた単語のような気がしている。一部の物好きだけではなく、もっと広い層へ向けたニュースなどでも目にする機会も増えているのかもしれない(僕はニュースあまりみないのでわからないが)。

かなり知れ渡っている概念なのかもしれないが一応もう少し具体的に説明しておこう。たとえば、人間より凄い人工知能ができたとする。そいつは「ちょっとこの仕事やっといてよ」と言ったら普通の人間の何十倍ものクォリティと速度でその仕事を仕上げてしまうやつだ。当然、その凄い人工知能は人間の考えもしない速度であたしく効率的なシステムや物をつくりはじめるだろう。そのあたらしい物もさらに効率的にあたらしい物をつくりはじめて──と、あっという間に「想像もつかない事態が起こってしまう」状況が発生し人間は大きく変化してしまう、そんな状況のことである。

カーツワイルを筆頭としたシンギュラリティ論者が出している本はどれも「特異点とは何か、特異点に達したら何が起こりえるのか」を解説した、どれもなかなかおもしろいものだ。とはいえ想像もつかないほど変化した後のことの話なので、結局「すごいけど、それ、ほんとに起こるんかいな?」というところから話がなかなか進まない。いくつも読むと「もういいかなあ」と思ってしまうのだ。

本書もそのシンプルなタイトル『シンギュラリティ 人工知能から超知能へ』からして「シンギュラリティ入門編」のようなものなのかな、スルーでいいやと思っていたのだが、本書への興味が湧いたのは著者が認知ロボット工学者であることだ。それはつまり、特異点で特別な変化が起こりえる分野の最先端を担っている一人ということであり、本書はその立場から当然期待される「特異点が起こるとしたらどのような技術過程を経て起こるのか」という、より実際的な部分を解説してみせる。

たとえば、僕がした最初のたとえ話に戻ると「人間より凄い人工知能が」と、かなり気軽に当然のものとして出現させているが、当然そんなものが現在あるわけでもなく、いつできるのかもわからない。そこで、「人間より凄い人工知能はどのような技術的アプローチで可能なのか?」「それが実際にできたとして、どのように凄いのか? 何を変えうるのか?」を仔細検討していくのである。

未来予測ではなく、未来に至るための道筋の解説といったところか。

汎用人工知能はどうすれば作れるのか?

現状でもすでに将棋や囲碁でプロを打ち負かしたり、家を勝手に掃除してくれたりとAIは至るところで活躍している。だが、まだ営業の仕事を肩代わりしてくれたり寂しい時に慰めてくれるわけではない(AIBOは励ましてくれるか……)。これらはいわば特化型であり、その方向性で進化させたとしてもたとえば意識が生まれたりといったことはありえそうにない。目的に合わせて使うのみである。

本書では特化型ではなく*1人間と同じくさまざまな仕事に対応できる汎用人工知能への有力なアプローチのひとつとして、全脳エミュレーションを挙げてみせる。これは手法としては、非生物的な基質の上に、脳の忠実なコピーを作りあげることだ。ようは、我々自身が汎用的な知能を持った人間なのだから、それをまるっとつくり上げる(再現する)ことができれば、それがそのまま汎用人工知能やんけという非常にわかりやすい発想に支えられている。そりゃそうである。

だが当然すぐにうまくいくはずがない。人間に存在する800億以上のニューロン、伝記活動と化学活動の相互作用の仕組みは、信号の伝達機能などについてはだんだん解明されつつあるとはいえ再現するには複雑すぎるものだ。しかしやらねばならぬことはだいたいわかっている。ひどく単純化してしまえば、

  1. ニューロンやシナプスの位置と性質をあらゆる接続の記録とともに取得し青写真を作り上げる。
  2. ニューロンとその接続の電気化学的シュミレーションを構築する。これはニューロン挙動を説明する確立された数式を使うことで、計算神経科学の一般的な手法で行うことができるようだ(もちろん、ごく一部だろうが)。
  3. シュミレーション結果を外部環境と接続する(あるいはバーチャルなものでもいい)。

という感じ。ここから先は、神経形態ハードウェアなどさまざまな手法と現在の技術力からいってとりえる方法を幾つも紹介していくパートになるが、長くなるので割愛。もちろん今できるわけではないのだが、これが有力なアプローチのひとつに挙げられているのはこれが現在の技術における延長線上に実現性を予測しえるものだからだ。少なくとも我々の脳という「そのもの」はここにあり、再現を可能にするマッピングや計算テクノロジーは日々進歩している。

なればこそ、それがいつか達成できるのは自明なことである──といいたいところだが、マウス程度ならまだしも人間規模の全脳エミュレーションを達成するのに必要な計算能力を満たすほどの技術レベルに達成する手段それ自体はいまだ見えてこない。本書ではそのあたり、まあでもマウス規模のエミュレーションができるころには、そのマウスの脳を使ってさらなる技術的進展(神経拡張、認知的補綴物)が得られるあだろうし、可能性は高いよねという立場である。わからないものはわからない。

本書はこの後、人間的なAI、もしくは人間と同等かそれ以上の課題をこなせるAIの設計と実装の話であったり、人間をはるかに超えた超知能の話へとうつっていく。ここに関して言えば、全脳エミュレーションだろうが他のアプローチだろうがなんだろうが「人間並みの汎用人工知能」をひとつ創る技術レベルに達した時には「超知能」の獲得は間近だといえるというのが、まあ当たり前だけどおもしろい話であった。

ようは、シュミレートされた脳であれば複数コピーは簡単につくることができる。天才人間を一人生み出すのにはただ大量に産んで教育を仕掛けて待つしかないが、そんなのはおかまいなしにコピーアンドペーストである。このアプローチは実際に将棋プログラムなどでも擬似的に達成されており、有効なのは証明済みともいえる。あるいは、生体ベースであったとしてもそのパラメータをいじるのは容易だろう。

そうなれば、特異点と呼ばれる状況にかなり近いものになるはずだが──、本書ではそうなった場合考えられる数々の問題も射程に入れてみせる。意識や感情を搭載することができるだろうか? その意味は? その場合権利は認められるのだろうか? AIたちの行動の自由は制限されるべきか? 反乱を起こす(あるいはその意図はなくとも人間に危害をもたらす)としたら、それはどうすればふせぐことができるのか?

おわりに

この手の本だと楽観的なのか悲観的なのか、著者の立場によってけっこう大きく論調と結論自体分かれてしまうものでブレがあるのだけど、本書は楽観側かなあ。

著者自身が『本書は大きなテーマを扱うわりには短い本であり、多くの重要な問題に少しずつしか触れていないので、それぞれのテーマへの入門でしかない。』と書いているように、無数の理論が述べられていくがあくまでも入門と捉えたほうが良いだろう。それでも、シンギュラリティについて今から何か読んでみたいと思うならオススメの一冊である。一応下記に、本書を深掘りする良書を幾つか並べておく。

意識と脳――思考はいかにコード化されるか

意識と脳――思考はいかにコード化されるか

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

記号創発ロボティクス 知能のメカニズム入門 (講談社選書メチエ)

記号創発ロボティクス 知能のメカニズム入門 (講談社選書メチエ)

生物化するコンピュータ

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*1:もちろん、特化型から特異点へのアプローチも当然考えられるわけだが、本記事では割愛。