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死にたくない時に読む本──『なぜ老いるのか、なぜ死ぬのか、進化論でわかる』

なぜ老いるのか、なぜ死ぬのか、進化論でわかる

なぜ老いるのか、なぜ死ぬのか、進化論でわかる

僕はわりと死にたくないが、なぜ死にたくないのかといえばそれはやっぱりよくわからないものだからではないだろうか。『すべてがFになる』の中で、『死を恐れている人はいません。死にいたる生を恐れているのよ。苦しまないで死ねるのなら、誰も死を恐れないでしょう?』というセリフがある。苦しまなくても「消滅」の恐怖は残るのではないかと思うが、やはり死ぬときにあるであろう苦しみは怖いし、できれば味わいたくはない。それはいったいどれぐらい苦しいものなんだろうか。

本書は、生物がなぜ死を生み出したのか、なぜ老化するのか、どのようにして死んでいくのかをさまざまなアプローチから描きだす一冊だ。なぜ死ぬのかを詳しく知ったところで、死に際しての苦しみがなくなるわけではないけれど、死が少し「理解できる」ものに変わるのではないかと思う。生物が死んでくのにはさまざまな「理屈」がつけられる。それ知ることは結局のところ、死を受け入れることに繋がるだろう。

そもそもなぜ死なないといけないのか

死にまつわる問いかけは我が身に直結するだけにだいたいどれもおもしろいものばかりだが、若い個体はほぼほぼ完全な形で自分を修復できるのに、年をとるとそれができなくなるのはなぜなんだろう? という問いかけがまず魅力的だ。

消耗した個体を排除して種のために若い個体へと資源を譲るためという考え方もあろうが、自然選択は基本的に種ではなく個の利益に働く。このもっともらしい説明としては、種のために自己犠牲を促す遺伝子を持った個体を仮定すればわかりやすい。ここに自己犠牲を促されない突然変異体が出てきたらそいつだけが子孫を残すようになるので自己犠牲を持つ個体は軒並みいなくなって種からその特徴は消えてしまう。

この問いの重要なのは「年をとったら修復できなくなる」という部分で、ようは年をとった時の性能を自然選択は評価してくれないのだ。生殖をするのは主に若い時で、年をとったあとの数々の病気──ガンだったり、免疫系の疾患だったりはその時点ではわからない。それゆえに、年をとった段階で発生する致命的な遺伝子エラーをどれほど抱えていようがその遺伝子は残されてしまう。逆に若い時から発症する病は生殖に影響を与えるから、自然選択の結果それは消えていくことになりやすい。

最近は晩婚化が進み、子どもを産む時期が遅くなっているから、晩年になってからの悪影響も受け継がれないような傾向になるかもしれない。ただでさえ人間の寿命は栄養環境の改善、病の治療法の確立、乳幼児の死亡率減少などなどで増えているが、今後遺伝的な淘汰の結果としてさらに長寿化していくというのは大いにありそうだ。

なかなか死なないヤツラ

そもそも無限成長する動物も(植物はほとんどが無限に成長する)あり、そいつらから学ぶことも多い。たとえば、針葉樹のなかには樹齢が数千年を超えているものがあるが、ようするにこいつら(針葉樹だけじゃなく植物全般)は細胞分裂に不可避的に付随するエラー、ガンによる死を乗り越えているのである。たとえば、細胞が箱のような細胞壁によって固定されているため、ガンが発生しても転移しないのだ。

動物だとサンゴなどの軟体動物の一部も無限に成長するが、これは連続したモジュールからできているからで、各モジュールから新たなモジュールが成長するので死んだ部分が置き換えられたりする。というふうに、動植物含めなかなか「死なないヤツラ」はいるが、これはもう「なにを生きていると定義するか」という状況に近いように思う。自分の細胞からまったく同一の新しい自分をつくって、元になった個体が死んだ時に「自分の寿命が延び続けている」といえるのかどうかというか。学ぶことは多いが、そのままでは人間の長寿化には活かせなさそう。

何が動物の寿命を決めているのか。

そもそも、動物の寿命は何によって決まっているのだろうか。

たとえば、身体の大きい動物ほど長生きをするように見える。ゾウ、クジラ、猿達はだいたい長生きだ。逆にマウスはすぐに死んでしまう。ただこれにも多くの例外がある。カメがそうだし、コウモリも、物によっては16歳まで生きるやつがいる。人間もその身体のサイズからしては明らかに「生き過ぎ」の部類だ。鳥類は全体的に長寿傾向があり、カラスも17年以上生きるとこれまた単純には当てはまらない。

この差は、昔は代謝速度によって説明されていた。寿命は代謝速度に関係しており、ゾウの鼓動は毎分25回だがトガリネズミの心臓は毎分600回で高速鼓動する。生きる時間に種族ごとに差はあれど、だいたい同じ数に到達したところで死ぬのだというのがその理論だった。僕も大学生ぐらいのころは本で読んでそれを信じていたのだが、最近これは否定されてしまったようだ。単純に、いろんな生物の代謝速度をより正確にはかったところ、寿命とは関係ないことがわかったのだ。

で、あらたに見えてきた法則が、コウモリとか、鳥類とか、猿や人間、カメもそうだが「捕食されにくい動物」の寿命が長いという事実である。これを進化論的に説明するならば捕食されやすい動物は必然的に寿命が短く、それゆえに「一刻もはやく子孫を残す」種が子孫を残しやすくなる。逆に、捕食されない、あるいは事故による死亡に遭遇しにくい種は、そうした選択圧力ははたらかない為に長生きするようになる。

本当にそうなのか、これから先ひっくり返る可能性はないのかはまだわからないが、外部要因による死亡率を高めたハエと、高めないハエの寿命を50世代にわたって比較検証した結果、死亡率を高めたハエの寿命より7パーセント短くなったという実験結果はある。死亡率の高いハエの集団は、早い時期に産卵のピークが訪れるようにもなった。50世代ごときで突然変異が蓄積するわけはないから、これはもともとそういう遺伝的傾向を持つ個体が結果的に生き残ったのだろう。

わりと説得力のある実験のようにも思う。

おわりに

もってまわった言い回し、長過ぎる引用とたとえ話が読んでいて鼻につくが、語られている内容はおもしろいし、日常でスルーしていることへの意外な理屈が与えられるだろう。たとえば、閉経はなぜ起こるのか? 個体の利益からいえばいつまでも産み続けたほうが子孫が残せるのでは? という疑問へもそれなりにちゃんとした仮説が提示される。明日何が起こるのかは誰にもわからない一方で、死は必然的に訪れるのだから、その準備として仕組をよく知っておくのは重要だと思う。