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パイロットだけど何か質問ある?──『グッド・フライト、グッド・ナイト──パイロットが誘う最高の空旅』

グッド・フライト、グッド・ナイト──パイロットが誘う最高の空旅

グッド・フライト、グッド・ナイト──パイロットが誘う最高の空旅

  • 作者: マーク・ヴァンホーナッカー,岡本由香子
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2016/02/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ついうっかりまとめサイトみたいな記事名にしてしまったが、『グッド・フライト、グッド・ナイト──パイロットが誘う最高の空旅』は現役のボーイング747パイロットがその職務についているときに(あるいはついていないときに)考えたあれやこれやがおさめられている──エッセイというか、体験記のような本だ。

あらためて言われてみれば、パイロットがどのようなことを体験し、何を考えているのかは興味深い。何しろ彼らが就いているのは週末にロンドンと東京を気軽に往復し、一日のうちにいくつものタイムゾーンを乗り越え続ける特殊すぎる仕事だ。体内時計もすっかり狂ってしまっていることだろう。今週はケープタウンにいて来週はシドニーにいるという生活はいったい人にどのような影響をあたえるんだろうか。

そうした「普通とかけ離れた生活」を送るパイロットへの疑問に応えるような形で本書は進行していくが、何よりも惹きつけられるのは、空を飛んでいる時に心動かされる上空の描写、雲を飛び越えていく時の興奮など空を飛ぶことの喜びで溢れている部分だ。本当に飛ぶのが好きなんだろうなと納得し、そのどんなところが素晴らしいのかが的確に他者に伝達可能な形で文章にされていくので、それだけで楽しく読める。

 ときおり、そんなに長い時間、コックピットにいて飽きませんか、と質問されることもある。飽きたことは一度もない。もちろん、疲れることはあるし、高速で家から遠ざかっている最中にこれが家に向かっているならどんなにいいかと思うこともある。それでも、私にとってパイロットに勝る職業などない。地上に、空の時間と交換してもいいような時間があるとは思えない。

僕は乗り物も高いところも移動するのも大嫌いというスーパー引きこもりマンなので飛行機に乗りたくないのだが、そんな僕でさえ読み終えた時にはついつい飛行機に乗って出かけたくなったほどだ(行かないけど)。

とはいえただただパイロットという職業の素晴らしさを謳いあげていくだけではない。構成としては、Lift、Place、Wayfinding、Machine、Air、Water、Encounters、Night、Returnとそれぞれ項目をわけてパイロットの視点から語られていく。パイロットがどのような準備をしてフライトに臨むのか、どのようなミーティングをするのか、食事や休暇の過ごし方、仕事先でどのような交友関係があるのかといった具体的な過程は一通り抑えることができるだろう。

Placeの項では、目的地に到着したときのあまりにも速く状況が切り替わったことへの場違い感を指す「プレイス・ラグ」という状況について解説されたりするが、パイロットならではの状況や、知識が提示されている部分はどこもおもしろい。

たとえば東京・ロンドン間の距離を測ろうとなったときに、今では単純な地上距離だけでなく向かい風や追い風によって実質的な距離(速度)が大きく異なるので、風を考慮した"エア・ディスタンス"や"エア・マイル"といった距離が提唱されているようだ。空には航空機の道しるべとなる電波を発するナブエイドが設置されておりパイロットはみなこれを頼りに飛ぶのだという。パイロットしか知らない空の道しるべというのは、まあ電波だから眼には見えないのだけどなかなかかっちょいい概念である。

Encountersの項では、世界を移動し続けているパイロット達の希薄な交友関係が語られるが、これはその希薄さがいい。二機の飛行機が同じ経路を高度のみ変えて同じ時間帯に飛ぶ時に、30分くらいはお互いの機影が確認できるそうだが、そういうときに対空無線で一方のパイロットが他方のパイロットに写真を撮ったからメールアドレスを教えてくれという交流が時折勃発するそうだ。顔を合わせたこともないパイロットが、その一瞬はある種の連帯感の上にいるわけで、神秘的な光景に思える。

 人は今日も旅に出て、未知の土地を訪れ、文化的にも言語的にも隔たった場所から自分の居場所を見なおそうとする。私が思うに、経験を積んだ旅行者ほどこうした傾向が強い。旅行記のクルーは、自分の故郷や住んでいる場所を離発着するとき、決まってコックピットに入りたがる。隅から隅まで知りつくした場所であっても、愛する町が小さくなっていく瞬間を、あるいは視界いっぱいに広がるさまを眺めたいのだ。

どんな職業や知識でもそうだろうが、知識を得ることによって普通なら気にならないことに注意が向いてしまう特別な知覚を手に入れることがある。音響の仕事をやっていたら音に敏感になったり、建築の設計をやっていたら建物の一つ一つが気になったりというアレだ。パイロットはそういう意味では、ふだん我々が生活しているうえでは無のように扱っている「空気」への敏感さであったり、「地球」の地理関係をまるごと捉えている距離感であったりがそうした特別な知覚にあたるだろうか。

空気一つとっても、「球体」としてだったり、「深さ」だったり、エンジンが大気をかき回し飛行機雲の足跡をつけていく様子を雪原のように表現していてよくもまあ空気だけでこれだけ語れるものだと感心してしまう。そんな特別な知覚を持つパイロットだからこそ、いつも当たり前に接している「空気」や「旅をすること」「空を飛ぶこと」といったあまり意識しない現象にたいして違った物の見方を提供してくれる。

しかもそれが、基本的には自分の体験を通して淡々と描写されていくので、まるで著者と一緒に飛行を追体験しているような気分を味あわせてくれる一冊なのだ。移動も乗り物も大嫌いな僕でも、本なら椅子に座ったまま疑似体験できるのがいい。