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ノンフィクション版"ファイト・クラブ"──『人はなぜ格闘に魅せられるのか――大学教師がリングに上がって考える』

人はなぜ格闘に魅せられるのか――大学教師がリングに上がって考える

人はなぜ格闘に魅せられるのか――大学教師がリングに上がって考える

あんまり関係ないけどフリースタイルダンジョンの話

フリースタイルダンジョンというフリースタイル(即興)のラップバトル番組が話題になっている。僕も流行りものにはすぐに飛びついてしまう性質なので、YOUTUBEでいつでも視聴できることもあいまって観てみたらこれがおもしろくてハマってしまった。バトルのルールは単純だ。名の売れている5人のラッパーがモンスターとして(ダンジョンだからね。)立ちはだかり、挑戦者はこの5人をラップバトルによって撃破することで賞金と名誉を得ることができる。
www.youtube.com
ラップバトルは即興で言葉を繰り出して相手と闘う言語バトルでもあるのだけど、「そんなのがおもしろいかぁ?」とこっちは素人だから思っているわけだ。即興でやってもぐだぐだしたバトルにしかならないんじゃないの? と。

訝しみながら観ていくうちに、即興で繰り出される言葉の巧拙の他にも、場をいかに盛り上げたか、どれだけ歴史を踏まえているのか、韻をいかに踏んでいるのか、モンスターと挑戦者の間に存在するドラマといった「評価軸」が無数に存在することに気がついて「こんなに奥深いバトルだったのかよ!!」と驚き、この世界でも誰もが認める「圧倒的強者」の実力をたしかに凄いと認識できるようになっていく。

人はなぜ格闘に魅せられるのか

と、最近ハマっているのでつい話の枕に使ってしまったがこれはフリースタイルダンジョンの紹介記事ではなく『人はなぜ格闘に魅せられるのか』という本の紹介記事になる。本書、格闘と邦題ではついているものの原題でそこに当たる部分はFightであり、もっと広い分野までを射程に入れた本だ。サッカーだって野球だって口論だってFightだし、戦闘は人間だけのものではなくゴリラだろうが鹿だろうが同種間、チーム内でも発生する──。とはいえたしかに本書のメインは「人間の格闘」だ。

というのも、本書は原題の主題が「The Professor in the Cage」となっていることからもわかるようにCageの中で闘うProfessor(これは嘘)をレポ風に描いていく格闘技体験記なのだ。著者は大学で英語を教えているひ弱な30代後半の教師だが、突如思いたって(というか、こういっちゃあなんだが売れる本を出したかったんだろう)空手から柔術まですべての格闘技を戦わせて最強を決める「Mixed Martial Arts」、MMA、日本語で言えば総合格闘技──の舞台にのりこんでいく。

 それから数ヶ月間、私は教養ある英語学教師──生涯に亘って、闘争ではなく逃走の技術の専門家──が、総合格闘技(MMA)を学ぶという本の計画を立て始めた。それはある意味では暴力の歴史であり、ある意味ではノンフィクション版『ファイト・クラブ』であり、ある意味ではスポーツと残忍性の科学の案内書となるだろう。男が男になるために耐え抜いてきた闘争──悲しく愚かで時代錯誤にみえるかもしれないが──を主題とするものになるだろう。

著者自身も認めているように、高校教師が難病に陥った子どもの治療代を稼ぐために総合格闘技の世界に殴りこみをかける『ウォーリアー』や、経営難の学校を救うため総合格闘技に挑む『闘魂先生 Mr.ネバーギブアップ』と(二作とも映画)「教師☓総合格闘技」物だけでも同じ話がある。ようするに、そこ自体にはたいした新規性はないわけだが──「なぜ生物は戦闘をするのか」「戦闘の歴史」というように、学術的な側面から戦闘に迫り、自分自身も体験していくスタイルはちょっと新しいか。

正直に言ってそこまでオススメする本ではない。著者は英語学の教師であって、本件について専門家ではなく、戦闘の歴史や戦闘の意味について語るウンチク部分についての部分はつまらないわけではないが、体験記と交互に描かれるのでどちらにも中途半端な印象をいだいてしまった。どちらかに注力したほうがよかったのではないかと思うが、そうすると今度は新規性もなくなってしまう問題点はあるかもしれない。

とはいえ、MMAの現場が実際どのようなもので、そこを目指す男ども(稀に女性)がどんな人たちなのかといった情報には現場ならではのリアルがあっておもしろい。元からの荒くれ者共は少なく、名誉を傷つけられたとか、自分を変えたいと強く願う人間が集まって、実際のケージ・ファイトでは戦いを通してお互いを認め合い試合が終わると相互に本心からの情愛を示して終わる──。

戦闘によってどちらが強いかを示すのは基本的にはランク付けだ。このすべてが曖昧模糊として割り切れない世界において、明確な勝敗のある勝負は圧倒的に「わかりやすい」。つよいがやつが勝ち、よわいやつが負ける。勝ったほうが地位や名誉、優遇される状況などすべてを手に入れ、負けたほうは奪われる。いっけんひどいが、しかしこうして明確に「わかりやすく」ランク付けされることで、集団内ではそれ以上の無為な争いが起こりづらくなる。そうした事実の一つ一つを、著者自身がぶん殴られて実体験していくことには確かに説得力がある。

それに、たとえばもっと広い意味で「戦争」や「暴力」といったテーマであれば本書にもコメントを寄せているスティーブン・ピンカーの『暴力の人類史』などがあるが、より局所的な「個人間の戦闘」がなぜ起こるのかをさまざまな観点から語った本はそういえば本書で読んだのがはじめてだ(他にないわけはないだろうが)。

体験記もふくめてつまらなくはない本なので、刃牙好きとかにはオススメである(今の刃牙はもう刀とか武器が無双してしまっているけど。)

ファイト・クラブ〔新版〕 (ハヤカワ文庫NV)

ファイト・クラブ〔新版〕 (ハヤカワ文庫NV)