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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

スパイと悪徳商人の武器ビジネスをめぐる一騎打ち小説──『ナイト・マネジャー』

ハヤカワ文庫補完計画全レビュー 小説その他

ナイト・マネジャー〔上〕 (ハヤカワ文庫NV)

ナイト・マネジャー〔上〕 (ハヤカワ文庫NV)

ナイト・マネジャー〔下〕 (ハヤカワ文庫NV)

ナイト・マネジャー〔下〕 (ハヤカワ文庫NV)

本書『ナイト・マネジャー』は1993年に原書が刊行された、武器商人と英国スパイの争いを描いた作品だ。翻訳の刊行は1998年のことだが、今回18年ぶりにハヤカワ文庫補完計画の一環*1で新版として復活していた。スパイ小説というものはその時々の世界情勢などの危機感、時代性を作品内に取り込んでいる(物が多い)だけに、十年単位で時間が経った後に読むと危機感の共有がうまくいかないことがある。

本書についていえば、題材だけみればたしかに古びたところはある。

物語の前提となっているのは、不景気に強い=恒久的に需要があると思われていた武器が、実はそうではなかった状況/時代だ。イラン・イラク戦争後、多すぎるメーカーが少なすぎる戦争を追いかけ、果てには自分たちで戦争/需要をつくりあげようとする始末。そんな状況も現代では9.11や頻発するテロの時代となって新しい局面へと移ったが、本書はあくまでも悪辣な「武器商人」を巡る事件がメインであるがゆえにその本質的な「流通」としての側面はあまり古びていないように思う。

何より緻密に組み上げられた描写とじっくりと演出されていくキャラ立てのウマさで今でもずいぶんと楽しませてくれる。とにかく今回はキャラクタがいい。

簡単なあらすじ

主人公は無数の孤児院を渡り歩き、特殊部隊で少年時代を過ごし、シェフなど職を転々としながら現在はホテルマンとして働いている男ジョナサン・パイン。そんな男が、紛争地帯で武器を売り払い対価として麻薬を受け取っている武器・麻薬商人であるローパーに愛する女を殺されたことをきっかけとして復讐を決意する……。

 バーはジョナサンの、軍のフォスター・ホーム、民間の孤児院、ドーヴァーのデューク・オブ・ヨーク兵学校を転々とした、遍歴の記録を入念に読んだ。じきにその不整合ぶりが、彼をいらいらさせた。一方に”臆病”とあるかと思えば、他方では”大胆”とされていた。”孤独癖” ”大の交際家” ”内向的” ”外交的”、”天性のリーダー” ”カリスマ性を欠く”両極端に振れ動くこと、振り子のようだった。

まるで一貫性のない経歴、性格の記述、とらえどころのなさが言ってみればジョナサンの魅力といえるかもしれないが、一言でいえば異常な人間である。

超越的な復讐者ジョナサンが魅力的なのは主人公だからある程度当然にしても、一方でその彼がスパイとして張り付くことになる武器商人ローパーは喋るたびにその特異性が明らかになってくる良さがある。たとえばかつてのイギリスが阿片を清国へ持ち込んで巨額の富を得ていたことを例にあげながら自己を派手に正当化してみせる。『いったいどこがちがう。やってやれ!──つまるところはそれだ。アメリカはそれを知ってる。だったら、われわれもやればいい。』

完全に悪なのだが、悪にも悪なりの理屈がある──言うのは簡単だがそこに魅力的をつけてやるのは難しい。ローバーについては、自己正当化としての理屈だけでなく、『金は取引ではいってくるんじゃない。時間のむだ使いではいってくるんだ』やブッシュがサダム・フセインを攻撃するに至った理由を石油でもクウェート・マネーでもなく「経験だよ」としてその理路を語らせるなど、さまざまな方面でその知見を語らせることで魅力を際立たせることに成功しているように見える。

両者ともそれぞれの意味で際立った異常者であり、その有り様は英国にて新エージェンシーを設立するレナード・バーが次のように表現するほどだ。

「神はティッキー・ローパーを造りおえたとき」金曜の晩にカレー料理を食べながら、彼はルクに断言した。「ひとつ深呼吸して、ちょっと身ぶるいして、それから生態系のバランスをとりもどすために、いそいでわれらがジョナサンをつくったんだ」

これはちとやりすぎな表現のようにも見えるが、この二人のやりあいは全編を通して実に魅力的である。スパイとしてローパーとジョナサンは長い時間を過ごしていくが、その果てとして憎しみながらも相手を深く理解してしまうという、ほとんどBLじゃねえか! みたいな境地にたどり着いてしまうのも良い。

BL的な展開だからいいと言っているわけではなくて、ようは「よくできたライバル関係って、最終的にはある種のジレンマ(相手を打ち負かしたいのだが、同時に深く相手を理解してしまっているがためにそれも簡単にはできなくなってしまう)を抱えてしまうものだよね」という、必然的に発生するおもしろさに到達しているのだ。

ロマンス小説としての側面

武器ビジネスをめぐるスパイと悪徳商人の一騎打ちスパイ小説という側面と同時に描かれるのが、ロマンス小説としての側面。何しろ物語を駆動する基点となるのが、魅力的な美女たちなのだ。ジョナサンは冷静沈着な男なのだが女性関係だけはうまくなく、愛した女はそれを自覚した時にはすでに亡くなり、復讐だおらーーとローパーの元へと潜入してみれば今度はローパーの愛人へと惚れ込んでしまう。物語が動く時、そこには常に愛がある──ゆえに、これは濃密なロマンス小説ともいえるだろう。

まあ、いったいお前は何をやっているんだ、愛し合っている場合ではないだろうがと言いたくもなるが。それにしても数ある作品の中からなぜこの作品がハヤカワ文庫補完計画の中に(新訳ではなく新版とはいえ)含まれたんだろうと思ったが本作を原作としてBBCでドラマがスタートしているみたいだ。下記はトレイラー。
www.youtube.com
洗練されたセリフ、練りこまれたキャラクタ、美女とジョナサンのロマンスとドラマ映えする要素が幾つもあるので(ル・カレ作品はほとんどそうだろといわれるとあれだが)どう設定を現代風にするのかなどは気になるが良い出来になりそう。

*1:早川書房70周年を記念して行われている大・復刊/新訳/新編祭りのこと