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自由であるがゆえの孤独──『さようなら、ロビンソン・クルーソー (〈八世界〉全短編)』

さようなら、ロビンソン・クルーソー (〈八世界〉全短編2) (創元SF文庫)

さようなら、ロビンソン・クルーソー (〈八世界〉全短編2) (創元SF文庫)

『汝、コンピューターの夢 (〈八世界〉全短編1)』に続く、〈八世界〉全短篇の第2巻にして完結巻。1巻は7篇、この2巻には6篇が収録されている。発表年順に収録されているが、最後の短篇にあたる「ビートニク・バイユー」でも1980年。つまり30年以上前の作品群なのだけど、これがもう読んでいる間はそんなことがまったく気にならない、現代にしてその新鮮さの一切が失われていないクリアな短篇集だ。

八世界とは何か

〈八世界〉とは性別変転や身体の乗り換え、クローンや記憶移植によって事実上の不死が実現している、テクノロジーが極度に発達した世界である。異種知性体によって地球が侵略され、人類が8つの惑星に逃げ落ちたことから〈八世界〉と名付けられている。異種知性体と地球の覇権をめぐっての壮大な戦争が行われていくわけではなく、各短篇のメインになっているのはあくまでも技術や、変化した人類がどのようにして日々を過ごしているのかを描写する個々人のドラマだ。

一貫したひとつなぎのストーリーが紡がれていくわけではないが、短篇ごとに時代も登場人物も多きく異なるこの世界が描かれていくたびに、世界それ自体が深まり、より拡張していくのがたまらなく楽しい。それでは6篇しかないので、下記にてそれぞれ簡単にどのような短篇なのかを紹介していこう。

びっくりハウス効果

巨大な核融合エンジンを埋め込んだ彗星で、太陽のコロナの縁をぎりぎりにかすめる、気が狂ったようなコンセプトの観光船に搭乗したクエスターが主人公である。ただでさえ気が狂ったような観光なのだが、ついに老朽化によって今回が最終航行ということでページをめくるたびに不安なできごとが頻出していく。

まず手始めに救命艇がなくなる、突如船が〈革命委員会〉によって乗っ取られる、また別の人間に乗っ取られて〈精子〉号と呼ばれ『人類の種子を星々に広めるための恒星間移民船』に改造され、次はコンピューターに乗っ取られ──。クエスターはそんな状況下でなんとか生き残るために船中で出会ったサーラスと脱出を企てるのだが……という感じで、あまりに無茶苦茶なできごとから推察するようなありふれたオチ──かとおもいきやそこからさらに一捻りあるのが良い。

さようなら、ロビンソン・クルーソー

〈八世界〉では身体を乗り換えることで、人生に「二度目の幼年期」が訪れる。この短篇で主人公となるピリは歳をとって衰えた身体を棄て、若々しく水中でさえ呼吸できる身体を得て、ういういしい童貞のようにセックスにいそしむ。精神的には老人だからこそ、描写のひとつひとつがいきいきとして、失ってはじめてわかる若い身体を自由に動かせることへの感動に満ちている(そのグロテスクさも)。

惑星間に存在するタイム・ラグを利用した経済取引上の駆け引きというアイディアも投入され、〈八世界〉に存在する様々な問題の一端を感じさせておもしろい。

ブラックホールとロリポップ

エネルギー源として活用するためのブラックホールを見つけて金に変えることで生計を立てているホールハンター・ザンジアの物語。広い宇宙で、質量探知機をにらみながら、エンジン・パワーを限界までふかし慣性飛行を続ける──いまだと当然違うやり方になるだろうが、まずその絵的なイメージが素晴らしく、ホールハンターがどのような原理のもと成立しているのかというディティールも練りこまれている。

言うまでもなくひたすらに孤独だが、そんなザンジアの元になんとブラックホール自身が語りかけてくる、はたしてこれは狂気なのか、はたまた本当にブラックホール自身が語りかけてきているのか──そんなもん狂気に決まっているのだが、そう笑い飛ばすにはあまりにも宇宙を漂い続ける孤独の描写が極まっている。

イークイノックスはいずこに

〈八世界〉としては異色の人々、シンブと呼ばれる人間と共生することで様々な恩恵(循環的なエネルギー環境を与えてくれ知覚の補助もしてくれる)を与えてくれる特殊な知的生物と分かちがたく結びついた人々(リンガー)を描いた短篇だ。

リンガーは環境保全派と改造派にわかれて戦争をしており、保全派は文字通りの思想であるが改造派はダイソン球やテラフォーミングによって宇宙に点在する惑星を自分たちの思い思いの形に変容させようとしている。主人公のパラメーターは保全派としてイークイノックスとペアを組んでいたが、改造派によって強制的に分離され、意識を取り戻した後は失われた相棒を探し、広い宇宙を飛び回ることになる。

改造派と保全派の長く続く戦争のスケール感といい、この広く孤独な宇宙においてたった一人(人じゃないが)の分かちがたく結びついたかけがえのない相棒を探し求める、切実な感情の動きなど個人的にはこの短篇集の中ではベストな一品。最後の場面なんか、うまく説明できないんだけど最高なんだよなあ。

選択の自由

〈八世界〉としてはもっとも初期の時代を扱った作品。性転換、身体換装技術が一般化しつつある社会で、どのような葛藤や問題が起きるのかをメインに据え、男性と女性がどう性的な役割を脱するのかを描いており現代的な短篇といえる。

たとえば、現代において完全な形での性転換がお手軽にできるとなったらいろいろな不都合が発生するのは容易に想像できる。伴侶が突然女になりたいといったら、それでも愛せるのだろうか? 子育てをする時に、もはや女性は子どもに母乳を与える役割を「必然的に」もたらされる状況からは解放される。男が女になってしまえばいいのだ。自分は男になっても女になっても同じ「自分」なのだろうか?

自由であるがゆえの孤独、「ビートニク・バイユー」

この〈八世界〉は多くの物事が自由だ。

だからといってそこがユートピアかというとそういうわけでもない。そこにはトラブルもあれば孤独もあるし、離別の苦しみがある。というよりかは、まるで「より自由であること」が孤独や離別を深めているかのようだ。たとえば、性別が可変であることによって愛の形は変わる。恋愛としてのパートナーだった二者は、相手の性別によらずに愛することができるのかという問いをつきつけられる。技術さえあれば、もはや地球にいる必要もなく宇宙をさまよってみてもいい。ホールハンターのように。

この世界においては、自分自身をどのような形態として捉え、どこにいるかは完全に「自由」だ。そうした「自由」を推し進めた先は性別や人間という種の限界を超えた「わたし」という極限にパーソナルな形へと収束し、そこに至ると人と人の距離は(精神的なものであれ、物理的なものであれ)遠く離れ、必然的に孤独へと近づいていってしまうものなのかもしれない。

短篇「ビートニク・バイユー」の中で、パートナー(この世界ではあまり意味のない言葉だが)であるキャセイとアーガスは男女の性別の垣根を超え、相手が男であろうが女であろうが、性別を超えてお互いを愛し合う深い繋がりを保ってきた。しかしキャセイは、性別の変化だけでなく自身を7歳の子ども戻すことを考えている(別の言い方をすれば、職業上の理由から戻さなければならない)。

 彼はキスしてくれた。「またそいつをくり返さなくちゃならない。たぶん役に立つだろう。ぼくらは、どっちが男でも女でもかまわないってことに、意見が一致しただろ。そのときぼくはこういった。きみは大きくなっていくけど、ぼくはまた子どもに戻るんだって。ぼくらは性的にどんどん離れていくんだって」

『まるで置き去りにされるみたいな気がするんだ。ごめんね、でもちょうどそんな感じなんだよ』とアーガスは返答する。性別や年齢が変わってもキャセイはキャセイではあるし、セックスがなくても愛しあうことはできるのだろうが、どうしようもなく「生き方」は離れていく。そこには、自由であるからこその孤独と別離がある。

なぜこれほどまでにヴァーリイの〈八世界〉短篇には迫真の孤独が描かれているのかと全短篇の1を読んでいた時から思っていたが、それは自由であることに伴う必然的な帰結なのだろうと、2を読み終えた今は思う。

おわりに

ヴァーリイの短篇はスゴイなと呆然とするように全短篇を読み終えた。いま・ここにはない、たしかな理屈に支えられた孤独や離別、未知の状況に遭遇した時の感情がクリアに伝わってくる短篇群に、傑作と断言するのにいささかの躊躇も持たぬ。装丁も素晴らしく、何より2冊ぽっきりでまとまっているのでオススメしたい。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp

汝、コンピューターの夢 (〈八世界〉全短編1) (創元SF文庫)

汝、コンピューターの夢 (〈八世界〉全短編1) (創元SF文庫)