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そんな職業があってたまるか──『古書泥棒という職業の男たち: 20世紀最大の稀覯本盗難事件』

古書泥棒という職業の男たち: 20世紀最大の稀覯本盗難事件

古書泥棒という職業の男たち: 20世紀最大の稀覯本盗難事件

この世には「そんな職業があったのか」と驚く意外な職業があるもので、僕が最近見てへえ〜と思ったのは延々とAVにモザイクを入れていく仕事である。

たしかに当然それをやる人は必要だよなと思っていたのだが本書を読むことで「古書泥棒」が最近意外見た意外な職業に上書きされてしまった。そんな職業があってたまるかと思うが、少なくとも19世紀末から20世紀の前半にかけてはビジネスとしてそれなりに盛り上がっていたようである。

稀覯本(めずらしい本)ビジネスは今はニッチであるが1930年ころにはマスコミで取り上げられることも多く、『ニューヨーク・タイムズ』の書評欄にも「稀覯本に関する寸評」が掲載されるぐらいの一大産業、みんなが気にしている情報だったらしい。それだけに取引も活発で、大恐慌の時代にも関わらずかなりの額──物によっては数万ドル(当時)──が飛び回っていた。

新刊書店からの窃盗も行われていたようだがやはり価値がつくのはあの名作の初版本とか、ほんのわずかしか市場に出回らなかった幻の本である。だからこそ、そうした本が集まって、セキュリティが特別厳しいわけでもない図書館はその価値を理解するものにとっては「宝の山」だったわけだ。特に図書館をメインターゲットとした古書泥棒が職業として成立したのにはそういう時代背景がある。

そんな時代背景のもと本書で語られていくのは、マンハッタンに存在する古書店が並ぶブック・ロウと呼ばれる通りと、そこを拠点とする通称ブック・ロウの窃盗団のお話だ。当時の古書店は大恐慌であることも手伝ってか、窃盗団か否かに関わらず清廉潔白な人物はそれほどいなかったのだという。たとえば、不完全な初版本を解体して、保存状態のいい再版本に組み込むことでクズ同然の本から高価値の本を生み出す「本の加工」が広く行われていたようだが、れっきとした犯罪である。

一番ひどいのは窃盗団の面々で、リーダー格は三人でいずれも表向きはブック・ロウの古書店主である。彼ら自身が盗みに出るわけではなく、手下のごろつきに価値のある本のリストを手渡し、図書館を歩き回らせて盗ませる。図書館なんてそうそう厳重なセキュリティをしいている訳でもないし、自由に手に取ることが大前提となっていることが多いから何の障害もなくやあと挨拶して入っていてコートの中にぽんぽん放り込んで数十冊単位で本を盗んで古書店に持って帰ることができる。

本来窃盗物かどうかを判断して受け取らずに通報する役目をになうはずの古書店主がそれを依頼しているんだからひどい話だ。それだけでなく、図書館員さえも古書ディーラーに本を売っていることが多々あり、発覚する確率は恐ろしく低い。ようは、全体的にリテラシーの成立しない時代だったといっていいだろう。

図書館側もやられっぱなしではいられない。本書は20世紀最大の稀覯本盗難事件と副題がつけられているが、これは相当な高値がついているエドガー・アラン・ポーの『アル・アーラーフ』が窃盗された事件のことを指している。必ず職員に話を通し、二人の人間が見張っている状況でしか本を閲覧できないなどの条件がありながらも盗まれたこの本をめぐって図書館vs窃盗団の戦いが幕を開ける──。

いったいどうやって盗んだのか──? というのは別にミステリ的な意外なトリックがあるわけでもないので明かしてしまおう。ただ通いつめて信頼関係を築き上げ、土曜日に見張りが一人になった瞬間を見計らって、その職員に○○をとってくれないかと用事をいいつけたというだけの話ではある。20世紀最大の事件とはいえ、あくまでも本であり、国宝級に素晴らしいダイヤの窃盗をめぐる事件ではないのだ。

というわけで本書は、白熱の調査、知的な犯人、といった「捜査物」としてのスペクタルで推すような本でもない。犯人はけっこうバカだし、捜査もそんなに大規模に行われたわけではなく、地道なものだ。その上非常に地味な本たちの話を扱った、まるで現在の古書市場のようにニッチな話である。

ウリはスペクタクルというよりも、事件を軸にして当時の稀覯本をめぐる古書情勢や「歴史の空気感」を味わえる部分にある。実際時代が違えばこうも状況が変わるもんかというぐらいに本をめぐるビジネスの有り様は異なっており、古書店主が盗みを依頼し図書館員が本をディーラーに横流しする「古書版北斗の拳」みたいな無法地帯話は今だからこそバカな笑い話のようだ。

広く一般に求められる本ではないだろうが、一部の層の人間にはおおいに楽しめるだろう。本の盗難は当時も今もふせぐのが本当に難しい問題だ。本書を読んでも素晴らしい解決策を教えてくれるわけではないが、「万引き大戦」のようにも読めるか。