基本読書

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ジャンルてんこもりの、幻惑小説──『虚構の男』

虚構の男 (ドーキー・アーカイヴ)

虚構の男 (ドーキー・アーカイヴ)

これはなかなかおもしろい、というか凄い本なのだが実に紹介しにくい。解説の若島正さんからして、『ここでは『虚構の男』の筋書きを解説することはあえてしない。それは読者の楽しみを間違いなく奪うからである。』と言い切っているぐらいなので、それなのに僕がこんなところで筋書きをたらたらと紹介するわけにもいかない笑 なので大雑把に概略を述べ、おもしろさを抽象的に並べ立ててしまおうと思う。

原書版の刊行は1965年のことで、日本では著者のL・P・デイヴィスはあんまり評価されていない(翻訳もほとんど刊行されていない)。それがなぜいまさら翻訳されたのかといえば、国書刊行会が「知られざる傑作、埋もれた異色作を幻想・怪奇・ホラー・SF・ミステリー・自伝・エンターテイメント等ジャンル問わず、年代問わず本邦初訳作品を中心に刊行していく」ことを目的として新叢書〈ドーキー・アーカイヴ〉を立ち上げたからである。第1弾は本書とサーバンの『人形つくり』で「ああ、なるほどこういう特異なもんを出していくのね」とよくわかるインパクトの強さだ。

ちょっとした紹介

冒頭はSF作家のアラン・フレイザーが50年後(物語は1966年)の2016年を舞台にした架空の伝記を小説として仕立てあげようと主人公の名前は何にしよう、50年後の社会体制はどうなっているだろうか、といって幾つかのアイディアを考えていく。

この時点ですでに1965年当時の想像力が垣間みれて、実際に50年後の人間からするとおもしろい。人口過剰、食糧問題が領土問題より大きな問題になっている、そうなると配給制度が完全に確立しており配給となればIDカードと膨大な書類が必要だ、自分自身の名前よりも頻繁に使う番号を国民全員が持つことになる、などなど。

その後も中国の覇権を予測していたりと精度の高い推測が続き、「このまま架空の自伝を書いていく過程が物語になるのかな」と思いきやあっという間に物語はその装いを変えてしまう。アラン・フレイザーは時折「意識消失」といって、自身の意識が途切れる病に悩まされているのだが実はこれが──作家である彼の生活や、自伝を書き始めたのにも全て仕組まれた、国家的規模の意図があったぜ! という感じでここから先は物語の根底が何度かひっくり返っていくことになる。

物語が根底からひっくり返るたびに、ジャンルさえも別のものに切り替わっていくことになる。いったいぜんたいどうしてこんなことが起こっているのか? を追求する点はミステリ的ともいえるし、切り替わっていく物語が緻密に仕組まれている点ではパズル小説のようにも楽しめるだろう(読み終えたらもう一度最初から読み直したくなるはず)。アラン・フレイザーが現実が揺さぶられていく様、読者的にも「どこに足を置いたら良いのかわからん」と思わせる土台の喪失感はホラーにも通じるし、これは言い出すこと自体がアレだがSFといえる部分も充分にある。

とまあ非常に全部載せといった作品で、あえて名付けるのならば幻惑小説といったところだろう。「何がなんだかわからん作品なのかな?」といえばそうではなく、手品の種明かしみたいに基本的に全部説明してくれるのでその辺の心配も特にいらない。時代は確かに感じるのだが、それがおもしろさを減じないタイプのエンターテイメント小説である。〈ドーキー・アーカイヴ〉として「こういうのを変なもんを出していくぞオラァ!」という挨拶代わりの1冊ということなのだろう。

第1回配本には選者の若島正さんと横山茂雄さん(2人で5冊ずつの選定)が対談している冊子が入っており、読み応えがあっていい冊子なのでぜひ読んでみてもらいたい。冊子の対談では横山さんも『今回のシリーズは、常識ある出版社なら(笑)手を出さない、出せない作品がほとんどですが、遂に陽の目を見ることになりました。』といっていてそうだろうなあと思わされる内容/ラインナップである。

人形つくり (ドーキー・アーカイヴ)

人形つくり (ドーキー・アーカイヴ)