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全人類が同時に記憶障害に陥ったら──『失われた過去と未来の犯罪』

失われた過去と未来の犯罪

失われた過去と未来の犯罪

全人類の長期記憶が一斉に不可能になったら

『玩具修理者』や『アリス殺し』の小林泰三さんの新刊だが、これがもう凄すぎて/面白すぎて読み始めてすぐに笑ってしまった。何が凄いって「全人類の長期記憶が一斉に不可能になったら」という無茶苦茶な展開を大真面目に描いていくのだ。

作中ではある日原因不明の事態によって、人類全員が特定の時点から「長期記憶をすることが不可能」に。その結果、それ以前の記憶は普通に保持しているのだがそれ以後のことは10分ぐらいおきに忘れてしまうので、その人の中ではなかったことになってしまう。小林泰三さんは昨年『記憶破断者』という、同じく長期記憶が不可能になった主人公が他人の記憶を勝手に書き換える能力者/殺人鬼と死闘を繰り広げる作品を出しているが、本書はそれを「全人類」にまで適用してしまったのだ。
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全人類記憶障害

まずそんなことをやろう/書こうと思ったのが凄いが、その描き方がまた凄い。最初は17歳の女の子である結城梨乃が、自身の記憶に何か異常事態が起こっていることに気づき、それをパソコンの文章に打ち込むことで現状を把握していく過程が描かれていく。何しろ全人類がそんな状態になっているのである。SNSのリアルタイム検索には短期間に記憶喪失の情報が大量に出回るし、親に相談しようと階下に降りて行くと母親が「お母さん、呆けたんだと思うの」と泣いている画面に遭遇する。

当然母親も同じ症状を起こしているのだ。すぐに記憶喪失には結びつかず、記憶がなくなるほど酔っ払ったのかな? とさまざまな情報を考えていくが、ニュースを見ればニュースキャスターも「すいません。わたし、どうやら何かの発作に襲われたようでして、進行状況がわからなくなってしまいました。」といって混乱している。それを見続けていたら、突如母親が「えっ? わたし泣いてる?」とまた呆けたと勘違いして泣き始め同じやりとりがはじまる──と、もう滅茶苦茶な状況だ。

だが結城梨乃は非常に現実的な思考をするタイプで、ノートに状況を書き記しながら、救急車をよんでも隊員はついた頃にはなぜ来たのかを忘れているから無意味だし──とSNSを通して全人類へ向けて簡素なマニュアルを発信するなど、物事を一歩一歩前へと進めていく。道に飛び出してみてもみんな何がなんだかわかっていないし、頼れるものは何もなく、ゼロから立て直しをはからねばならぬのだ。

 たぶん、全ての人間が記憶障害に陥っています。全ての記憶は十分かそこらで失われてしまいます。あなたの記憶も消えてしまいます。原因は不明です。
 だから、あなたが生き残るために、そして人類が生き残るために、以下のことを行ってください。(……)

少女の奮闘と平行して描かれるのは日本の原子力発電所の運転員たちだ。彼らにも当然記憶障害が起こっており、いったいなにが起こっているんだ、という結城梨乃パートで見た相互確認を経た後、より間近に迫った危機に直面する。「10分しか記憶がもたない身で、原子力発電所の管理/運営が行えるのか」。

できるのかといえばできるわけないのだが、かといって原子炉を停止させればいいかというとそれもまた考えどころである。原子炉を稼働させ続けるのは定常業務であり、緊急停止は非定常業務だ。こんな無茶苦茶な状況で普段やらないことをやれば、ミスやトラブルが発生する可能性は高い。果たして原子炉作業員らはこの緊急事態を10分の記憶と、メモのやりとりのみでくぐり抜けられるのか──!!

第二部

と、僕はこの出だしがあまりにおもしろいので「これはすげーーーーー!!」と興奮していたのだが、こうしたいわゆる「現代」のパートは物語のだいたい30%ぐらいのところで終わってしまう。ここから先を伏せておくかどうかはちと迷ったところだが、出版社による公式のあらすじで明かしている部分なので、紹介してしまおう。

物語の第二部はこういった混乱がいったん収まった後まで時間がとんでしまう。病状が改善したのではなく、10分しか持たない記憶を頼りに『脳内の短期記憶の状態を観測し、それを圧縮して半導体メモリに記録させる』という、「外部記憶装置」を開発することで、人々がそのシステムに頼って生きる社会に変貌を遂げたのだ。

第二部は、この外部記憶装置に頼る人々の物語である。世代は交代し「大忘却」以後に誕生した子供たちは最初から自分の脳での長期記憶経験がない。そんな彼らにとって「自分」とは外部記憶装置のことだ。しかもこれはメンテ性を考慮し、体内へ埋め込んでいるわけではないので、比較的簡単に記憶メモリを別人に使用可能なのだ。*1

そうするとどうなるのかといえば、「人格」みたいなものが別の身体に宿るような状況になる(と本書では説明される)。手違いによって女性と記憶メモリが入れ替わってしまった男は女性の身体に違和感を覚えながらもメモリを取り戻しにいくし、死者のメモリを一時的に身体に入れることでイタコのような役割を果たす職業の話など、様々な軸からこの「それまでの記憶が他人と入れ替えられる状況」を描いていく。

身体は同じだが記憶メモリが入れ替わってしまった人間達の在りようは、「はたして誰なのか?」「魂はどこに宿るのか?」という問いかけにも繋がるし、物語は最終的に「かなり遠い未来」までたどり着いてみせる。全体的に「よくもそんな仮定で書こうと思ったよなあ」という話で、読み味が大きくかわる第一部も第二部も、飛躍が含まれる後半も読んでいて「ようやるよなあ」と感心/感動しきりであった。

おわりに

でもこの「ようやるよなあ」っていうのは小林泰三作品だとお馴染みの感覚だったなと思いつつ。小林泰三ファンなら文句なく買いであるし、そうでなくても本書はわりととっつきやすい/おもしろい/(僕の好きな)作品なので、オススメしておく。

*1:『記憶破断者』にも原型となった短篇があるがこの記憶の入れ替えについても原型があって『天体の回転について』所収の「盗まれた昨日」がそれにあたる