基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

人類進化に関するまったく新しい疑問とアプローチ──『人類進化の謎を解き明かす』

人類進化の謎を解き明かす

人類進化の謎を解き明かす

考古学者は石器と化石の組み合わせや、発掘地の地質学によって「歴史」を浮き彫りにさせてきた。本書『人類進化の謎を解き明かす』の特徴は、そうした石と骨「だけ」に頼るやり方を捨てているところにある。もちろんまったく援用しないわけではなく、「考古学的記録を新たな目線で見つめること」に重点を置いているのだ。

著者のロビン・ダンバーは人間にとって平均約150人が安定して関係を持てる数であるというダンバー数の定式化を行った人物だが、その来歴を活かすように、本書では人類進化の社会的側面と認知基盤に光を当て人類の進化史を洗いなおしている。僕も専門家ではないからこのアプローチがどれだけ有効なのか疑問に思うが、いくつかの専門的な書評を読む限りではわりと好意的に受け入れられているようだ。*1

二つのアプローチ

で、その肝心のアプローチはなにかといえば二つある。

まず一つめは霊長類が主要な活動(食事、移動、休息など)にどう時間を割り振るかを見る時間収支仮説をメインにしたアプローチ方法。たとえば身体の大きさや脳の大きさから摂食に費やす時間はある程度推定できるし、身体が大きくなればなるほど食事に必要とする時間は増えるので移動や社会的交流などの他の活動に割く時間が減る。当時の気候などから総合的に判断し、一日のうちに「何の活動をできるのか」の、種族ごとの違いを見ることで、脳の大きさ/能力の変化との関連を探ることができる。

二つめのアプローチは社会脳仮説だ。霊長類における脳の進化が、集団生活に伴う社会関係の認知の必要性によって促されたとする説である。ようは霊長類が大きな脳を持つのは「大規模な集団」を構築する際に、順位関係や相手の心を読んで問題が起こらないようにコミュニケーションするためということで、この仮説をツールとして用いることで化石種から共同体の規模を定量的に予測することができるようになる。

一つめと二つめのアプローチを組み合わせることで問題は表面上単純になる。まず脳の大きさ(実際には新皮質の容量のこと)をみると、ある個体が維持できる関係の数が把握できる(現生人類なら150人)。そして、その関係を成立させるために必要な余剰時間も産出できる。脳の大きさを維持するために必要な食べ物の捜索時間も考えられるし、そうした全てが「時間収支内におさまっているのか」「収まっていないとしたらどんな手段で解決したのか」という問いかけに繋がってくる。

たとえば「この時期に脳と社会集団の規模が著しく大きくなっているが、この時代の気候とこれまで通りの摂食方法ではこの規模の社会集団を維持するための時間は生み出せない=時間収支の釣り合いがとれていない」となれば「火を使うなどの料理がはじまったのがこの時期で、それによって摂食時間が大幅に減り交流に時間が費やせるようになったのではないか」などの仮説が提示できるようになる。

本書ではこんな風に初期の方のヒト科であるアウストラロピテクス、初期ホモ属、旧人、現生人類、新石器革命と移行期を主に5つに区切って、それぞれの段階で脳の容量が増えていたり、あるいは「あまり増えていないにも関わらず変化が起こって」いたりするのは「なぜなのか」。またヒト科の覇権を極めていたネアンデルタール人が「なぜ滅亡してしまったのか」「なぜ知能が伸びなかったのか」といった派生してくる無数の問いかけについて先時間収支仮説と社会脳仮説を用いて分析していく。

中でも興味を惹くネアンデルタール人と現生人類の運命を分けた要因についてだが、彼らの時代と滞在地は冬には日が短く、夏でも日差しが弱く見通しも悪かったせいか、ネアンデルタール人の眼窩は現生人類とくらべて20パーセントも大きかったという。ネアンデルタール人の共同体規模は110人だが、これは視覚に特化してしまったため社会認知上重要な脳の前方領域がおろそかになった可能性がある。

おわりに

とまあ、ネアンデルタール人衰退一つとっても要因が一つだけなんてことはありえないわけで、無数の角度から人類進化にまつわる謎に仮説を投げ入れていく。笑いや音楽、言葉や祝祭、多婚と単婚が時間収支のバランスや共同体を維持するコミュニケーションに与えた影響(と、それによる脳の増大からみえてくる起源)など、今まであまり考えたことがない側面からの仮説が山盛りなので読み通す/咀嚼し受け入れるのにずいぶんと苦労したが、それだけ重要な視点からの一冊といえるだろう。