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因習や伝統を打破してゆく幻想武侠譚──『蒲公英王朝記 巻ノ一: 諸王の誉れ/巻ノ二: 囚われの王狼』

蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ一: 諸王の誉れ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ一: 諸王の誉れ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ二: 囚われの王狼 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ二: 囚われの王狼 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

ケン・リュウによる『蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ一: 諸王の誉れ』に続いて第一部後篇となる『蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ二: 囚われの王狼』が出た。巻ノ一が出た時記事を書いており、前提が変わっているわけではないので、以下は巻ノ二まで読んだ際の感想を加えて、改めて未読者向けへ記事を再構成している。

前置きとか概要とか

日本オリジナル短篇集であるケン・リュウ『紙の動物園』は『SFが読みたい 2016年版』でBEST SF 2015[海外篇]1位をとり、好評で受け入れられている。そんな著者の最新翻訳作である本書はSFから離れて幻想武侠譚。それも三部作にわたって書き継がれる大長篇である。短篇は名手だけど長篇は──という作家もいることを考えると、読む前には「おもしろいのかなあ」と不安があったのも事実。

それがいざ読んでみればこれがもうとんでもなくおもしろい。「架空の多島海」を舞台とし、「架空の技術発展(これは後述する)」を遂げた魅力的な世界を描きながら、そこで描かれていく荒くれ者どもの生活と、すぐに叛乱が起こって大勢の人間が死んでクズ共が成り上がりをかけてしのぎを削る有り様は何度となく中国史でみられる血みどろの(だからこそおもしろい)、歴史そのものである。

「長篇を書けるのか」と心配していたのがバカバカしくなるぐらいにしっかりとしたデカイ構造と構想の一端を冒頭からみせ、「巨大な歴史のうねりに翻弄されていく個人」の姿を描き出していく。中国史を下敷きにしながらも、あくまでも架空の世界であるがゆえに可能な「西洋や東洋の歴史的な経緯から切り離された、オリジナルな歴史観」を展開する。めちゃくちゃおもしろい、骨太な幻想武侠譚だ。

楚漢戦争

物語の下敷きにされているのは楚漢戦争、いわゆる項羽と劉邦である。読んでいくと「これは四面楚歌だな」とか「ここは背水の陣だな」とわかるような展開がやってくるが、それぞれプロット(歴史だが)をまったくそのまま借用してくるのではなく、再創造ともいえる独特のアレンジメントが加えられている。元となる話を多少知っていれば「そう来たのか」と楽しめるし、知らなければ普通に楽しんで読めるだろう。

巻ノ一を読んだ時は三部作を通して楚漢戦争をやるのかとも思ったがどうやらそういうわけではないようなので、ある種の「中国史再創造の旅」が第二部、第三部では行われるのかもしれない(第二部はまだ原書も出ていないのでこれは予想というか、そうなったらそれはそれでおもしろいなというほのかな期待のようなものである)。

世界観とか

先に書いたように架空の島々──通称ダラ諸島を舞台にしている。はるか昔に入植してきた祖先らは、7カ国にわかれ千年以上共存してきたが、ザナに生まれたとある暴君によってこれがついに統一されてしまう。国々はみな独自の言語や度量衡を定めてきたが全て統一され、皇帝を頂点とする新しい国家が成立してしまった。

傑物によってその一大事業が為されたとしても、命は有限でその後継ぎ(多くは血縁)が有能だとは限らない──むしろ権力に溺れた無能な暴君であることが多い。一度は統一されたこの世界も、それを成し遂げたマビデレ皇帝の死後、各地で叛乱が乱立し中央政府は統率がまったくとれない、大乱世へと突入していくことになる。

簡単なあらすじ

主人公の一人で「蒲公英」にあたる男、クニ・ガルはまあ項羽と劉邦でいえば劉邦、三国志で言えば劉備ですな。ろくに仕事もせず酒を飲み歩き、「立派な野望ってものがあるんだ」とか「おれの創造性は役人仕事に閉じこめられるわけがない」といってはばからないクズである。それでも教養もあれば物を見る目もあり、何より誠実な男で人望があった。皇帝が死に、乱世へと投入する7カ国を前に、彼は山賊の身分にまで落ち込み最底辺の暮らしを経て、自分の使命を自覚していくことになる。

シルクパンク

クニ・ガルは当然山賊のままで終わるはずがなく、国の統治をめぐる戦いをめぐってその頭角を現していくのだが、それとは別に本書の中で特異性をはなっているのが「シルクパンク」の部分だ。作者の造語であり、訳者あとがきにて作者の言葉を借りますといって翻訳されている文章から引用させてもらうと以下のようになる。

シルクパンクは、現実には辿らなかったテクノロジーに対する強い関心をスチームパンクと共有していますが、特徴的なのは、中国の木版画に触発された視覚表現と、歴史的に東アジアにとって重要だった素材──絹や竹、牛の腱、紙、筆──および、ココヤシや鯨の骨、魚の鱗、珊瑚などといった海洋文化で利用された有機素材に重点を置いているところです。

有機素材を使うことで、特別なテクノロジーが発展した状況を描いているのである。物語中に突如としてこの設定とそれに伴う特異という他ないテクノロジーの数々が出てきた時は、何かまったく新しい、見たこともない有機的な手触りの物語が立ち上がってきたぞーーー!! とめちゃくちゃ興奮してしまった。

巻ノ二の読みどころ

巻ノ二の読みどころはなんといっても魅力的な女性たち。大勢の女性が出てくるけれども、一人一人の女性が自分自身の運命を選択する主体であることを自覚し、積極的に行動していく様がえらくかっこいい。現代ではそうした価値観は当たり前のモノに近くなったが、異世界とはいえ何しろ楚漢戦争が下敷きになっている古い世界なので、そうした要素を入れ込んだだけでまったく新しい物語のように感じられる。

たとえばクニ・ガルの嫁として共に立つジアは、もともと気丈で非常に頭の良い人間であるが、それはあくまでも普通人としてであって、作中では政治家の嫁、特別な立場にある者として大きく成長していく。『「そうしたことを決める人間はクニで、わたしじゃない」「自分が剣を振るったり、鎧を着たりしていないからといって、起こった結果の責任を免れられると信じているのかい?」』

クニが巻ノ二ではじめて出会う特別なスキル持ちのリサナは『煙職人としての母の信条は、こういうもの──楽しませ、導く』という教えを胸にクニの善き先導役となる。生まれもはっきりとせず、盗賊としてろくでもない人生を送ってきた女性、ギンは優れた人材を探しているクニの目に止まり大抜擢を受け──とこうした魅力的な女性らと一緒になってクニも自身の考えや方針を大きく転換していく。

その物語的な魅力は、「女性が活躍すること」にあるというよりかは「因習や伝統を打破していく」快感に支えられている。軍の在り方や統治の在り方、人材登用の在り方の一つ一つを疑い、より実のある方向へと進むことで、クニ・ガルは自身と対立するマタ・ジンドゥとの戦いを進めていくのだ。そのおかげで楚漢戦争における有名なあのシーンもあのシーンもまるで印象の違ったものになっているのがおもしろい。

おわりに

第二部、第三部をとおして、おそらくもっと予想外の方向から因習や伝統にとらわれない、新しい形でのファンタジー(的な中国史)の姿をみせてくれるだろう。ジャンルは大きく違うだけに、『紙の動物園』を読んで好きだった人間に無条件に薦められるものではないのかもしれないが──表面的な語りなどはともかくとして、そのコアの部分、読んでいる時の手触りは通底している。本記事を読んでおもしろそう! と思った人は、ぜひ読んでみてもらいたい逸品だ。
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