基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

幻想と現実を解きほぐす奇想ミステリ──『ラスト・ウェイ・アウト』

ラスト・ウェイ・アウト (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ラスト・ウェイ・アウト (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ハヤカワ・ミステリ文庫からの刊行だが、南米発の"奇書"という謳い文句通りに、SF好き/奇想小説ファンも好きそうな一冊だ。奇書というとややこしい印象があるかもしれないが、筋は見事に通っているし、入り組んだ糸を解きほぐしていくような爽快感のあるスマートなエンターテイメント小説である(本格的なミステリ読みではないので、ミステリとして出来が良いのかどうかはいまいち判断がつかないが)。

簡単なあらすじ

物語は急転直下で幕を開ける。何しろ最初の一文からこうだ。『テッド・マッケイが自分のこめかみに弾丸を撃ち込もうとしたそのとき、玄関の呼び鈴が鳴った。』呼び鈴が鳴ったあと、テッド・マッケイが訝しみながらドアを開けたてみればそこにいる見知らぬ男はなぜかテッドが自殺しようとしていることを知っていた──。

家へと入ってきた男はスマートにペラペラペラペラと自分のこと、組織のことを語り始める。何でも彼が所属する組織では、社会のシステムを愚弄した者たちと、正当な理由があれば命を投げ出す覚悟のある人たち(自殺志願者)たちを結びつける業務を行う「物語の善玉」であるという。テッド・マッケイはその話を聴き、自分の命を犠牲にしたとしても悪へと鉄槌を下す正義の使者となることを決意するのだ。

「そんな依頼、受けないだろ」と思うだろうが、物語はそうした疑問をスルーして前へ進む。いったいなぜ、彼はそんな依頼を受けてしまったのか? 殺害に赴いた先で起こることとは? 下記から、おもしろさを削ぐわけではないと個人的に判断した部分まで踏み込んで内容を紹介してしまうので、「迷宮的な」作品が好きな人、そのスタート地点から十全に迷いたい人は引き返し、買ってしまうことをオススメする。

幻想と現実のミステリ

突然人殺しの依頼を受けるなんて、「あまりにもおかしいだろ」という展開ではあるのは先に書いた通り。その後テッド・マッケイは悪だと認定されたブレインを指示通りに殺害し、そのことを秘して動揺を抱えたままセラピストであるローラ・ヒルとの面談に臨む。面談で話題になるのは、幼き頃チェスに没頭した日々、悪夢でみた、妻の脚を食べているオポッサム(動物)の姿などなどである。

それも終わると、テッド・マッケイは当初約束した通りに二人目のターゲットを殺しにいくのだが、そこまでいくと起こる事件の数々はもはや現実的な出来事とはとてもいえず、殺した相手の娘が自分のことをパパと呼ぶ、自分にしか見ることのできぬでかいオポッサムが現実(妄想?)に出現するなど狂気のエピソードの連続だ。

実際問題テッド・マッケイは「頭に手術不能な腫瘍がある」と診断された余命いくばくもない男であり、その症状として幻想を見てもおかしくはないと言われている。セラピストにもかかっているように、彼自身、自分が「幻想をみていてもおかしくはない」という自覚はあることもあり、ここで起こっている数々の出来事は「彼が頭のなかで作り上げた妄想である」としてだんだんと扱われるようになっていく。

とはいえその全てが妄想であるわけでもない。セラピストであるローラ・ヒルを筆頭として、登場する人々(殺す相手、殺人を依頼してきた相手、弁護士、妻、娘)はみな実在の人物である。あれは妄想/幻想だったのではないか? と振り返って思う事態があったとしても、そこにも現実の事件とのリンクがみられる。そこで問題となってくるのは、「どこからどこまでが妄想/現実なのか?」という問いかけだ。

「記憶の中に空白の部分があるんだ、ローラ。繰り返される記憶とか、ばらばらになった現在の断片や何かで頭の中がいっぱいになってしまったようだ」そう言うと、テッドは頭に手をやった。自分の無力さを感じていた。「家のポーチで何か起こった。ウェンデルに関係があると思う。彼の家に行ったことがあるのは確かだ。今必要なのは……」

物語の一部二部はこの根本的な問いかけである「どこからどこまでが妄想/現実なのか?」という幻惑的/妄想的なシチュエーションの提示、ミステリで言えば出題篇にあたり、それ以後についてはセラピストのローラを探偵役として、「ここからここまでが妄想/現実だろう」の判定、別の言い方をすれば「本当にテッド・マッケイは誰かを殺したのか──?」を推理する解決篇にあたるといってもいいだろう。

世界認識が次々と切り替わっていくおもしろさ

というあたりが本書のおもしろさの中核部分にあたるが、構成的におもしろいのは部ごとに「テッド・マッケイの世界認識」が切り替わっていくので、「同じキャラクタや世界であっても、まったく違った側面に光が当たる」ところにある。

善人だと思っていた相手が悪人で、悪人だと思っていた相手が善人で──といったわかりやすい反転どころではなく、人間関係をめぐる問題や確執が別の形になって現れてきたり、○○はそんな人間だったのか──という驚きであったり、途中テッドらの大学生時代の話が挿入されると人物間における奥行はより深まることになる。

最後に

作中で繰り返される印象的な文章は(たとえば、テッド・マッケイの筆跡で残され、彼の目にはいるところに自然と置かれている「ドアを開けろ これがおまえの最終出口だ」とか)異常にかっこよく/テンポよく物語にいざなってくれるし、現実パートだと思いこんで読んでいた部分に挿入される、現実/妄想で単純に区別不能なオポッサムは「本当に現実は現実なのか?」という疑問さえも残し、一筋縄ではいかない。

最後の1ページまで気の抜けない、実にぴりぴりとしたミステリ/奇想小説だ。