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虚構が起こした革命──『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史とあるように、人類の歴史を上下巻合わせて約600ページほどでコンパクトにまとめたノンフィクションになる。とはいえ人類史は600ページで語れるほど短くはないから、必然的に「語りの視点」が必要になってくる。本書でその視点にあたるのは、現生人類だけが持ち得た「虚構を操る力」になるだろう。

本書も普通の人類史本と同じく、アウストラロピテクス、ネアンデルタール人、と人類の起源/類縁から辿っていくが、最初に、中でも我々現生人類だけが「生き残った」のはなぜなのか? と問いかけてみせる。これについては無数の説があって答えは出ていないが、世間一般的に有力なのは、そうした議論を可能にしているものそれ自体──すなわち「言語」のおかげであるということに今はなっているようだ。

虚構が引き起こした革命

言語は他の動物たちも使っているが、現世人類が使い始めた言語は掛け値無しに特別なものであったからこそ、生存過程で有利になった。しかし、同時に「なぜ、現生人類だけが特別な言語を使えるようになったのか?」という疑問も湧く。今のところは、突然変異が起こってそれができるようになったという他ないし、それがネアンデルタール人ではなくサピエンスに起こった理由もわかっていないのだが、続いて著者が問うのは、「特別な言語は、いったいなにがすごかったのか?」である。

これについて、著者は下記のように答えている。

 伝説や神話、神々、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。それまでも、「気をつけろ! ライオンだ!」と言える動物や人類種は多く居た。だがホモ・サピエンスは認知革命のおかげで、「ライオンはわが部族の守護霊だ」と言う能力を獲得した。虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている。

ようは、「虚構」をつかう力を得たからこそ、私たちは事実上世界を支配するに至ったのではないかというのである。単なる事実の指摘だけでなく、あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらうことのできる「物語る才能」を持った人間は、無数の見知らぬ人どうしで力を合わせ、共通の目的のために精を出すことを可能にしただろう。

 サピエンスはこのように、認知革命以後ずっと二重の現実の中に暮らしてきた。一方には、川や木やライオンといった客観的事実が存在し、もう一方には、神や国民や法人といった想像上の現実が存在する。時が流れるうちに、想像上の現実は果てしなく力を増し、今日では、あらゆる川や木やライオンの存続そのものが、神や国民や法人といった想像上の存在物あってこそになっているほどだ。

1789年にフランスの人々がほぼ一夜にして王権神授説の神話を信じるのをやめ、あらたに国民主権の神話を信じ始めたように、人類は生物学的な特性を一切変えることがなくとも、社会秩序を一瞬のうちに変質させることを可能にしてきたのだ。

とはいえ現代では宗教もあんまり力は持ってないし、神話もウソだってバレてるよね? 人を統率する力なくない? と思うかもしれないが、円などの貨幣も、科学研究を絶対のものとして多くの人が科学の検証方法とその結果を疑わずに従うのも、日本という国も、法律も、すべては何十億という人が共有する想像の産物なのであって、我々がいまだに虚構の力をつかって社会を統率している事実に変わりはない。

虚構操作能力からみる人類史

というあたりが本書で最初に説明される「軸」にあたり、あとはここを中心に人類史を見直していく過程になる。たとえば古代の狩猟採集民の生活を語りながら、霊的生活や精神生活はどうだったのだろう? と問いかけてみせる。その日暮らしだった狩猟採集時代と比べ、農耕をはじめた人類は「未来」を考える必要に迫られ、人口が一気に増えたことも関係しより多くの神話を創作するようになる過程をおっていく。

当然書記体系の発明は本書ではよりいっそうに重大事件にあたるし、人類を統一する強大な力であった「宗教」もがっつり章を割いて語っていく。『宗教では、私たちの法は人間の気まぐれではなく、絶対的な至上の権威が定めたものだとされる。そのおかげで、根本的な法の少なくとも一部は、文句のつけようのないものとなり、結果として社会の安定が保証される。』あたりはこの文脈だとさらに腑に落ちるだろう。

資本主義の誕生や近代の科学革命を経て時代が現代にまで至ると話は虚構の文脈から少し外れ、「文明は人間を幸福にしたのか」の章で歴史を総括し、「超ホモ・サピエンスの時代へ」の章では、これから先サイボーグ技術などのテクノロジーによって人間がその姿形を変えていく未来についての話をして終わりとなる。この2章については、本格的に語れる分量ではないので、読み流してしまっても別にいいだろう。

あ、最終章の問いかけ、『私達が直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」かもしれない』に至る過程は読んでいたほうがいいと思うけれども。ようは自分たちが何を望むのかすらも人為的に操作可能になるのだとしたら我々は自分の人生の望みを望むようになるという複雑怪奇なことになるかもしれないね、という話で、SFチックな問いかけではある。

おわりに

全体的に読みやすく、宗教、貨幣、精神世界など興味深い考察が山盛りで、「虚構がもたらす力」という観点から語り直す人類史は単純に新しくておもしろいので、人類史を捉え直したい人にはお勧めである。世界的にめっちゃ売れているみたいだし、河出もかなり力を入れて売り出しているだけのことはある。