基本読書

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切り抜ける道を。──『天冥の標IX PART2 ヒトであるヒトとないヒトと』

天冥の標の続きが出るのは身震いするほど嬉しいが、それはこのシリーズが着々と終わりに向かっているということで、同時にとても悲しいことなのであった。完結してしまったらもうわくわくと待つこともできない。だが、その楽しみと相克するように上昇する完結への悲しみこそが、物語を体験することの醍醐味なのではなかったか。

というわけで『天冥の標IX PART2 ヒトであるヒトとないヒトと』である。これまでの巻数で築き上げられた歴史がセリフに重みを与え、一人一人が覚悟を決め不確定な未来へと祈るように決断をしていく様に全編通して涙が止まらんかった。下記ではとうぜんネタバレをしていくので未読者はそれを了解した上で先へと進むように。
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因縁が解きほぐされていく

今巻では、ついに判明した人類外に存在している種を超えた脅威、実は病気が治る上にカルミアンの母星が近いから身体も治せるかもしれないと様々な要素が相まって救世群と非染者の間に和平がなったように見える。その道程は平坦なものではなかったし、より大きな問題で覆い尽くされただけであって小さな問題が消えてなくなったわけではない──と、とにかくこの和平へと向かうパートは全てが泣ける。

冥王斑が治療できると理解した老兵の慟哭、奪われることも奪うこともできない救世群だけの「生まれ在るもの」を作ろうとする決意のどれもに救世群の歴史がのっかっているから。しかも残った人類の力を束ねあわせることができたとして、大きな危機は過ぎ去っていないのである。

 あれはきっと、太陽系で自分たちが戦ったロイズ艦隊の、千倍も万倍もある群れだ。
 一瞥しただけにもかかわらず、イサリはほとんど正確に、彼我の戦力比を推察していた。
 しかし、そのうえでなお、希望を見出していた。かすかな、ほんのかすかな閃きのような光を。
 切り抜ける道を。
 何百光年も離れた遠い星までセレスを動かした、《救世群》の底意地と行動力。
 何百年ものあいだ社会を維持し抜いた、非染者たちのしぶとさとバランス感覚。
 そこに、まだ未知のところも多い諸侯が関わっているのだ。
 これが、いずこかへ続く道を切り開かないわけがあるだろうか。
 そんな確信に至る考えを何度でも繰り返すことで、イサリは気力を保ち続けた。それがどういう行為なのかわかったうえでなお、強くそうした。
 それは祈りだった。

《救世群》の底意地と行動力も、非染者たちのしぶとさとバランス感覚もすべてを読んできたからこそ、このイサリの無茶な祈りにも共感し、切り抜けられるかもしれないと信じてしまう。祈りとは不確定な事象が自身の想定する方向へといって欲しいと何者かに願うことだといえるだろうが、この「未知の事象に賭ける」能力こそが、オムニフロラ勢力に欠けているものなのかもしれない。オムニフロラは決定済みの戦略を実行し続けることで拡散するがゆえに、そこには「賭け」も「祈り」もない。

イサリは祈ったし、ノルルスカインも5巻で太陽系人類が覇権戦略を覆す新たな概念を発見するように祈ったが、それは未知の事象へと踏み出したからなのだ。

ラバーズたちの行末

描写としては短かったが、ラバーズ達の行く末について示唆的な部分が多かった。無限階層増殖型支配型不老不死機械娼像(ピピシズム)というラバーズたちの行動原理は、概念を拡張していくことで予想外に多くのことが可能になるようだ。

救世群もアンチオックスも人類も「ヒト」の枠内におさめるのはそう難しくないし、枠内におさめてしまえばおおむね同様の価値観の元社会を運営していけそうだが、ラバーズ達の在り方はその枠内におさまらなそうな不安定さがある。『俺たちは、自分を何に支配させるかという思考を通じて、ヒトとはなんであるかを俺たちが規定できるかもしれないという着想にまで行きついたんだ』と語るように、「究極の被支配者/支援システム」の完成が彼らの思想の果てにはあるのかもしれない。

求められた時に在ることができるよう増殖し、寿命死を回避し、とこれまでの彼らの思想に基づく変化は自身の改編が主だったが、今度は「支援されるヒトの枠を拡張し続け」宇宙の全生命に支援者として求められることで、究極支援生命体としてその存在を再度規定し直すことも考えられる。その関係性が無理なく成立させられるとしたら、それは"攻め滅ぼすことなしの共拡散戦略"の一端といえるのではないだろうか。

現状起こっている超銀河大戦は、資源や物資を投入する目の前の戦場とは別に、その背後に生命としての生存戦略・拡散戦略で"優れているのは何なのか"という根本的な問いかけがある。人類は目の前にある課題に驚きながら対応していくだけでそうした基本となる拡散戦略を持っているとは言い難いが、ラゴスらラバーズについては長年人類と共にありながらも既に一歩進んだ独自の戦略を持ち得ているのかもしれない。

超銀河大戦

さて、超越知性体大戦の役者は前巻で出揃ったかと思っていたのだがそんなことはなかったぜ! 最終章で「宇宙勢力」と表現されている一派は、最初オムニフロラ勢力かとも思ったが、単に調査/敵対にきた新勢力であったようだ。また、こいつらがまったくの新勢力かといえばそういうわけでもなく、恐らくは8巻の断章で語られたブリッジレスに出てきた宇宙に広がる無数の諸勢力のどれかか、全てっぽくはある。

たとえば8巻の断章89では、やけに偉そうな口調で喋る「この上なく鈍重で考え深い気根樹の幼女」という幼女(どんな幼女だ)が出演しているが、これが茜華根禍(アカネカ)なのだろう。植物だし、背丈が90メートルに達するという描写が8巻にもこの9巻にもある。諸勢力は『亀の宣言に、おとめ座超銀河団の諸侯が粛然となる。蛇も、ヤンマも、マグマも、大樹も。』とあるから、他の面々もおとめ座超銀河団諸侯の方々なのかもしれない(硫黄種族であるとされている炎竜炎螺がマグマかな?)。

それにしてもいよいよわけわからんぐらいにスケールアップして超銀河大戦じみてきたが、闘争に発展しないルートも存在しているように思う。諸侯は「かの者」との最前線でミスン族がやっている対抗戦略の調査にきているようだし、人類はそもそもミスン族に敵対する意味も諸侯らと敵対する意味もない。エランカは『「宇宙に、思い知らせてやりましょう。地球の力を」』とか威勢のいいこと言ってるけど、最初は人類に向けて投擲された岩石球を処理し切ることで力の証明とするのだろう。

これから

個々の勢力の勝ち・負けを超えた、この宇宙に満ちる生命すべてが豊かに反映し、拡散していくことのできる絶対的な共拡散戦略の確定。青葉よ、豊かなれという10巻のタイトルからはそうした、この宇宙に生きる生命まるごとを肯定しようとする圧倒的な輝きが感じられる。小川一水の作品群はいつだって宇宙の過酷さと、同時にそこからしなやかに復活し根をおろさんとする生命の力強さを描いてきたが、〈天冥の標〉シリーズはそれをこの宇宙に満ちるすべての生命に適用して描くのかもしれない。10巻は、きっとSF史に燦然とその名を轟かす、途方もない巻になるだろう。