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《叛逆航路》三部作完結篇──『星群艦隊』

星群艦隊 (創元SF文庫)

星群艦隊 (創元SF文庫)

脅威の全世界12冠を達成した『叛逆航路』から始まる三部作が、本書『星群艦隊』でついに完結!(第二部は『亡霊星域』) ストーリーをざっと紹介すると、少し特殊な文化を持つ星間国家ラドチを舞台にし、数千体もの身体を持つ皇帝アナーンダ・ミアナーイを抹殺しようともくろむブレクを中心に3巻通して描いてきた。
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正直な所、1巻を読んだ時に沸き起こってきた「うおおおどうやって数千体も身体を持つ銀河支配者を抹殺するんだー!?!?!?」という興奮と期待に答える完結篇ではなかったと言う他ないのだが、でもこういう終わり方になるのはちっとも話が前に進まない第2巻を読んだ時点で、もしくは今思うと1巻からわかっていたことではある。たとえば、本書の表紙と書名をみると、完結編に相応しい星の数ほどの艦隊がドンパチをやらかすのか!? という感じだが、そんな話ではまったくないのである。

そうはいっても、この3部作は確かにおもしろい。いわゆる「スペースオペラ」的なドンパチからは大いに背を向けて、ありったけのページ数とキャラクタを使ってSFならではのアイデンティティの問題、階級や差別をめぐる問題、「人」とは何か、その定義をめぐる問題であったりを取り扱ってみせる。この3巻に至ってもそれは変わらず、延々と話と調整作業を続け、途中人類とまったく異なる価値観を持つ異種族が現れると人間とのディスコミュニケーションが喜劇的に描写されていったりする。

戦争は描写のメインではなく、上記のようなコミュニケーション描写やアイデンティティの分裂・統合が描かれていくことを考えると、読み味としては入念に作り上げられたスペースオペラ的世界を舞台にして行われる「SF日常物」に近いように思う。

自己の分裂・あるいは統合

たとえば、三部作の主人公といえるブレクは元艦船であり、巨大な兵員母艦と数多の属躰を使役するAIだった。無数の属躰は「ブレク」として統合されていたが、個体がそれぞれの経験を経ていくうちに分裂してしまい、最後にブレクは人間の体ひとつのみを有する個体になってしまう。つまりブレクはもともと複数体だったが故に、1つになってしまった寂しさと違和感を抱えながら日々を過ごしていくのだ。

一方でその宿敵となっているアナーンダ・ミアナーイは、こっちはこっちで支配のために数千体に分裂したことによってアイデンティティの問題を抱えている。数千体の自己間で分裂後に不和が発生し自分で自分を攻撃しはじめ、各地で自分との戦争がはじまってしまっている。そのせいで作中ではミアナーイが「攻撃的な奴」「そんなに攻撃的じゃなさそうな奴」とか無数の意味を持った個体になってしまっており、やたらと情報が飲み込みにくいが、それもまた本シリーズを読むことの楽しみだろう。

階級問題、差別意識、「一歩」を丁寧に描くこと

もう少し広い、多数の人間が関わる問題に目を向けるとよりややこしくなっている。たとえばブレクが艦隊司令官として新たな赴任地にやってくると、そこでは先住民とのいざこざがあり、宗教、人種差別の問題がどっしりと横たわっている。《叛逆航路》三部作は、こうした単純な解決が不可能な問題を延々とやっていくのである。

現地民とのいざこざだけでなく、3巻ではブレクの副官にして相棒のセイヴァーデンが生まれついての貴族であるがために下層民に対して意識しないままに見下した態度をとり、それがコミュニケーション上の問題に繋がっていくさまが描かれていく。この辺、あまりにジメジメとしていて宇宙にきてまでやることかよと思う面もあるけれど、わざわざ広い宇宙でそんな些細なことを仰々しくやるのがおもしろくもある。

「"地方出身"は侮蔑の言葉なのに、わたしに対しては誉め言葉になる?」セイヴァーデンはうろたえて返事ができない。「あなたがこの言葉を使うたび、下層のアクセントだの、垢抜けない語彙がどうのこうのというたび、わたしは自分が田舎者、下層階級だって言われている気がする。わたしのアクセントも語彙も、ただ見栄をはっているだけだと。アマートが茶葉を洗うのを見てあなたは笑うけど、安物の団茶はわたしにとって"家庭の味"。きみを誉めたんだよ、きみはそんなんじゃないよ、とあなたがいうたび、わたしは自分が場違いなところにいるのだと思う。ちょっとしたこと、些細なこと。だけど毎日感じること」

人間が宇宙へと広がっていっても、生物学的に人である限り(能力が変わらない限り)差別はある。引用部にあるように、些細な行き違いであっても、毎日感じる場合には重大な問題に感じられたりもする。ブレクはこうしたちょっとした行き違いの調整役になることが多いが、それが恐ろしく地味なのに(艦員が掃除をサボるのを怒って規律を立て直していく話もあったりする)着実に、"おもしろく"描かれていくのが凄い。

先程「SF日常物」と書いたが、もちろんこの世界では各勢力が入り乱れ戦争状況が各地で発生している「非日常」が状態化した状況でもある。しかし、だからこそブレクが強固に日常的な問題──昇進や訓練についての話や、些細な意見の行き違い、差別の問題について語り合うことにこだわって、「非日常的な状況下で日常を回復させようとすること」がおもしろくなっているのかもしれない。

"人"とは何なのか

とはいえ差別問題や階級意識やアイデンティティ問題ばっかり3巻になってもやっているわけではなく、区切りがつくことはつく。その一つの鍵になるのが人類以外の異星種族であり、その通訳士がブレクらの元にやってくるのだが、こいつがまたイカれている。そもそも人間に「種類(個体差)」があることを曖昧にしか理解しておらず、セリフも意味がわからない、狂ったように魚醤を求めるという「雑な萌えキャラか」とツッコミを入れたくなるピーキーなキャラで、出てくる場面は基本ギャグである。

ただし、人間の個体認識の曖昧さ、圧倒的な能力を持ちながらも「意義ある存在(人類)」と認めた相手とは条約(平和的なもの)を結び、攻撃はしてこないという設定が後々物語では大きな意味を持ってくる。それは要するに「人とはどこからどこまでが人なのか」「AIは人、あるいは意義ある存在なのか」という問いかけである。

おわりに

ずっしりとした艦隊戦、アクションばりばりのスペースオペラが好きな人には特にオススメしないが、好きな人はかなりハマるのではないだろうか。前、前々回の記事でさんざん説明したのであらためてはしていないが、ラドチ語では性の区別をしないのでみな「彼女」と表記されるのも想像が広がっていい(このカップルは生物学的な性別はどっちなんだろうな……?とか)。全体的に少女漫画的な面白さがあると思う。