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あてにならない記憶──『脳はなぜ都合よく記憶するのか 記憶科学が教える脳と人間の不思議』

脳はなぜ都合よく記憶するのか 記憶科学が教える脳と人間の不思議

脳はなぜ都合よく記憶するのか 記憶科学が教える脳と人間の不思議

サイエンスノンフィクションでイラストがついているのは珍しいので警戒しながら読み始めたのだがこれがおもしろい! 記憶科学の中でも、主にいったん記憶した内容を人がいかに都合よく書き換えるのかといった過誤記憶の分野(研究者は少ないらしい)を専門的に研究するジュリア・ショウによる一般向け解説書である。

赤ん坊の頃の記憶は存在するのか?

たとえばいったいどのようなものが過誤記憶なのか? といえばその類例は幅広いが、有名所でいえば「赤ちゃんの頃の記憶がある」というのは基本的にありえなく、過誤記憶だとされている。『成人が乳児期、幼年期の記憶を正確に思い出せないことは、以前から研究により明らかにされている。わかりやすくいえば、赤ちゃんの脳が長期記憶を形成、蓄積することはまだ生理学的に不可能なのだ。』

つまるところ、赤ちゃんの頃の記憶があるといって主張している人々はベビーベッドの外観や親に聞かされた昔話などから幼年期の説得力のあるイメージを作り上げているにすぎないのだ。記憶科学の世界では成人期まで残る記憶の形成がはじまるのは3.5歳あたりから(個人差はある)というのが定説だが、これは必要な脳構造が未発達であること、3歳ぐらいまでは周りにあるものはすべてが珍しく、忘れるべきことを区別するための枠組みを持たないことが関係しているという。

過誤記憶発生のプロセス

記憶できるはずがないからといって、赤ちゃんの頃の記憶を語る人々が"嘘つき"というわけではない。人は誰しもが当たり前のように過去の記憶を捏造し、それが事実だったと思いこんでしまうものだからだ。たとえば被験者に無数の質問に答えさせ、幾つかの能力が優れていることを伝え、それは病院の新生児ベッドの上に色つきのモビールがぶら下げてあったからだという偽の情報を伝える実験がある。

そこに加えて催眠によって年齢退行させ(これも実際は不可能だが、こちらもできると嘘をつく)過去の記憶について尋ねたところ、被験者は嘘の催眠であるにも関わらず、(モビールのことも含めて)当時の状況を思い出してみせた(つまり、偽の記憶を本当の事実だと思いこんでしまった)。これはわりと強引に記憶をハックする手法だが、人為的に操作されなくとも記憶の操作はいくらでも起こりうる。

たとえば10年ぐらい前のことをつい昨日のように錯覚してしまうことも多いが(10年前のアニメとか最近やったとしか思えない)、これも『一般的に三年以内の出来事は実際より前だと思い、三年以上前の出来事は実際より最近だと感じる。』テレスコーピングと呼ばれる効果の結果であり、過誤記憶のひとつの形といえるだろう。

人は他人と喋ったり、SNSでの発言をみることでそれをあたかも自分が体験したように錯覚してしまうこともある。正しい情報ならそれは問題ないが、誤った内容が記憶に編み込まれてしまった場合は(特に事件の証言者などでは)悲劇だ。これがあるせいで、記憶の研究者らは警察の取り調べでは目撃者の記憶が話し合いによって操作/影響を受けないように、目撃者同士を接触させない必要があるとしている。

記憶をめぐる話

個人的にショックだったのは、何かを言葉にするのがむずかしい場合、それを言語化すると記憶が損なわれるという実験結果である。真っ当に考えれば反復することで記憶に残りそうなもんだが、少なくとも強盗の顔の描写を言葉で書き留めた人は、書き留めなかった人より並べた顔写真から正しい人物を見分ける確率が著しく低くなるのだ(書き留めた被験者は27%、書き留めなかった被験者は61%)。

これは言葉にしやすい部分のみ繰り返したことで元の視覚的記憶の言葉にしにくい部分へのアクセスがしづらくなったのではと述べているが、わからんでもない。実際僕はけっこうたくさんブログに本のことを書いている割に、書いた後は綺麗さっぱり頭の中から消えてしまっているんだから(それは僕だけかもしれんが)。

おわりに

自分の記憶があてにならないものだと気づくのはつらいことでもあるが、記憶はあてにならないものだということにたいして自覚的であることで、いくらかはこのわかりにくい仕組みを自分で制御できるようになるのだから知ることは有用である。

他にも、サヴァンの超記憶はどのようなメカニズムで行われているのか?(本当に忘れないのか? 過誤記憶は発生しうるのか?)、光の照射によって遺伝子的に変化をさせニューロンをコントロールする科学分野である光遺伝学の知識/技術を用いてマウスに偽の記憶を形成する実験、ミツバチなど人間以外の生物も過誤記憶を形成するのか──などこの分野の比較的新しい実験結果が網羅的に楽しめる一冊だ。