基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

飛浩隆、十年ぶりの短篇集──『自生の夢』

自生の夢

自生の夢

『ラギッド・ガール』から10年ぶりに飛浩隆さんの短篇が本になった(文庫化除く)。

一言でいえば極上のSF短篇集である。身体へとダイレクトに感覚が伝達され、SFならではの特異なイメージが現出する悪魔的な表現力はなお健在。本書で描かれる新しいタイプの"天才"の造形も素晴らしく、読んでいて何度も表現とストーリーの両面、その凄まじさに感嘆するというよりかは恐れおののいてしまった。

漫画『HUNTER×HUNTER』には、瞬間的に成長したゴンさんが強敵・ネフェルピトーの頭を打ち砕くシーンをキルアが目撃し、「どれほどの代償を払えば これだけのオーラを…!!」と絶句する場面があるのだが、まさにそんな感じのリアクションを読みながらしていた(どれほどの代償を払えば これだけの文章を…!!)。寿命を50年ぐらい差し出しているか、半身持ってかれて義体になっていてもおかしくはない。

さて、もし仮に飛浩隆をご存知ないということであれば本書でもいいし短篇集『象られた力』でもいいし、長篇『グラン・ヴァカンス』でもいいので読んでもらいたいものだ。僕は「人にオススメのSF」を渡せと言われたら何も考えず『グラン・ヴァカンス』を渡すことにしているのでもう10冊以上買い直しているぐらいだし。

グラン・ヴァカンス―廃園の天使〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

グラン・ヴァカンス―廃園の天使〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

本書には様々な媒体に発表された中短篇が7つ収録されている。およそ10年に渡る期間の作品が集まっており、統一性といえるようなものはあまりないが(ただ、「自生の夢」「#銀の匙」「曠野にて」「野生の誌藻」の4篇は世界観を共有している)その分あちこちに投げらるボールを追いかける楽しさがあるといえるだろう。

それでは、一通り紹介してみよう。

海の指

何らかの惨禍によって、培われた技術や歴史の大部分が失われてしまった世界。僅かに残った人々が暮らす四角い陸地を、灰洋という灰色の流体が取り囲む。そこでは時折〈海の指〉と呼ばれる、大量の建築物や物体を灰洋から陸に押し出してくる現象が発生し、時代も様式も異なる建築が混合する特異な風景が広がっている。

スズメバチの巣のような白茶色の球体がある。玩具ブロックを積み上げて上下逆さに据えたような鋭い尖塔の群がある。時代も様式も異なる建築が山裾から山頂まで、ウロコのように重なり合いながらびっしりとこびりついているのだ。

灰洋は地球の情報を可逆的に圧縮したものであり、海の指は灰洋による陸地の演奏なのだと語られる。コミュニケーションの取れぬ異質な"何か"が、その形を自由自在に変化させることで想像を絶する情景を描き出す。漫画の原案として書かれたものだそうだが、それも相まって本書の中でも特にイメージの喚起力が強い一篇だ。

灰洋が情報を可逆的に圧縮したものであれば、人間はどうなのか──というフックはホラー・サスペンス・SF的であり、ストーリーとしても力強い。

星窓 remixed version

80年代に書いた短篇群をリミックスした作品だという。星間に広がった人類社会で少年を語り手として描くという時点で飛作品としては珍しいなと思ったが、モチーフとしては後年の作品と共通している。記述することの難しい"なにか"、だれにも理解できない論理で駆動するものの存在。身近な存在が別の存在(本作の場合は少年の姉)に変わってしまっている恐怖。霧。加えて、とびきりロマンチックな一篇だ。

「自生の夢」「#銀の匙」「曠野にて」「野生の誌藻」

それぞれ独立した短篇ではあるが、連作として書かれているのでまとめて。まず圧巻なのは表題作にもなっている「自生の夢」で、巻末の著者による「ノート」いわく『二〇一〇年代の作者の看板作だろう。』という言葉通りの作品である。

喋るだけで相手をコントロールし自殺にすらおいやることができる男、間宮潤堂。彼の死後30年が経過した世界で、彼は蘇り〈忌字禍〉と呼ばれる人類の知的財産を変容させる現象が起きていることを知らされ、〈ぼく〉と〈わたし〉と奇妙な対話を続けてゆく。あるじの行動やサービス参照記録を自動書記しそれをパブリックな空間へと放出し続けるCassyの存在は圧倒的な"言葉の奔流"、"動き続ける言葉"を視覚的に表現することに成功し、他の連作でも重要な位置を占めることになる。

〈忌字禍〉とは何か。なぜ生まれたのか。間宮潤堂はなぜ呼び出されたのか。〈忌字禍〉の元ネタは水見稜さんの『マインド・イーター』にあるが、google時代の今だからこその存在となって現れている。間宮潤堂という"言葉の怪物"と〈忌字禍〉という言語空間に現れた災厄との読み合いの一篇といえるかもしれない。

「#銀の匙」「曠野にて」は「自生の夢」のサブキャラクタを描く短篇。僕は「自生の夢」を先に読んでいたからCassyがどんなイメージなのかとか捉えきれないところがあったのだが、最初にこの二篇を読んでいると背景などがわかりやすくなる。「野生の誌藻」は〈現代詩手帖〉に載った異色作だが、動的な詩の表現がたまらん。

はるかな響き

我々が持っている〈私〉があるという感覚──。生きる上で大した役割を果たさないこの現象は、いったい何のためにあるのか? 言語能力、知性、それらを得たことによって"失われるものはなかったのか?"そんな単純な仮定が解き明かされてゆくうちに、物語は人類外文明の存在と抗争にまで話が広がっていく。

ロボット・人工知能研究者とSF作家のパネルディスカッションで生まれた問いかけから生まれた作品だけあって、本書の中でも最もノンフィクション的な*1作品だ。宇宙の知性がひとつ残らず焦がれる、計測や観測のできない〈あの響き〉、ピアノ演奏のメタファーなど今読むと特に「海の指」との共通性がよくみえる。

おわりに

できれば次はまた10年後ということはナシにしてもらいたいところだがSFマガジンで連載していた長篇(とっくにおわっている)『零號琴』があるし、『BLAME!』のアンソロジーで短篇が載ることが発表されたし、これは5年後ぐらいには短篇集か長篇がワンチャン読めるんじゃないか?? という希望的観測。まあ、これほどの作品を読ませてもらえるのだからこちらとしては待つしかないのだ。

*1:具体的な問いかけに対するアンサーとして提出されているぐらいの意味