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自然そのものの概念をもたらした男──『フンボルトの冒険―自然という<生命の網>の発明』

フンボルトの冒険―自然という<生命の網>の発明

フンボルトの冒険―自然という<生命の網>の発明

本書は19世紀前半を代表する科学者フンボルトの伝記である。

偉大な科学者として讃えられ、「新世界の発見者」、「科学会のシェイクスピア」、「大洪水以来の偉人」、「ダーウィン以前のダーウィン主義者」などさまざまな栄光ある呼び名が存在する。ナポレオンに次いで有名と言われ、幾人もの同時代人──ゲーテもダーウィンも深く尊敬を表明している、一種の偉人/超人といえる。

実際、読み始めてみればその偉大さは疑うべくもない。彼がすべてが関連し合った、ひとつながりの「自然」を発見した。彼以前には植生帯や気候帯という概念すら存在しなかった。天気図に描かれている等温線を考案し、磁気赤道を発見した。人間による森林伐採などが大気に影響を与える影響を指摘したはじめての科学者だった。

彼が南北アメリカへの冒険で集めた標本のうち、2千種はヨーロッパの植物学者にとって未知のものだった(それまでに知られていた種は6千である)。そうした単純な実績からいってもそうだし、衰えることのない知的好奇心に執筆欲、研究欲、冒険心。破天荒な行動など、その行動のすべてがやたらと破天荒で魅力的だ。

フンボルトによる自然観への革命は後の科学者たちの発想の元となり、後世への影響も途方もなく大きい。ダーウィンに至っては彼の本を読まなかったらビーグル号の旅に出ることはなく、『種の起源』を書くこともなかっただろうといっているのだ。

なぜ偉大な科学者は忘れ去られてしまったのか

しかし、それほどの名声を残しながらも、フンボルトが実際に何を行ったかまでは詳しく知らなかった人もいるのではないだろうか(実は僕もそうである)。知名度はともかく、その業績が忘れられているのは英語圏でも同様のようで、エピローグは『アレクサンダー・フォン・フンボルトは、英語圏ではほぼ忘れ去られている。』という書き出しで始まるぐらい。なぜ、偉大な科学者は忘れ去られてしまったのだろうか?

その仮説として本書があげているもののひとつには、芸術、歴史、詩、科学データとさまざまな分野の情報や手法を統合し論を構築していく彼の方法論が、当時の流れとあわなかったこと。また気候や生物といったすべての物が関連しあって一つの自然をつくりあげているとする、今では当たり前となった自然観こそを彼が切り開いたために、その偉大さがわからなくなってしまっていることなどをあげている。

まあ、たしかに我々にとって自然とは自然であり、地球温暖化だなんだといってどこかで起こった行動や変化が地球全体の自然に影響をあたえることは当たり前となってしまって、わざわざそれを論じる際にフンボルトの名前を出したりはしない。進化論と違って、フンボルトの自然観などと呼びはしないのだ。本書はそんな忘れられてしまったフンボルトを再評価するようにして、丁寧にぞの功績を辿り直してみせる。

彼に続くもの達の功績

フンボルトの功績は自身が達成したものに加えて、彼の功績の後に続いた人々によっても測られるべきだろう。なぜなら、彼の後に多くの者が続くことができたのも、彼が自然絵で精確な情報を残し、客観的なデータを集め、気温や温度の関連を調べたりといった当時誰も試していなかった手法を用いていたことに関連しているのだから。

 この科学的情報の多彩さ、豊かさ、そして単純さは前例がなかった。フンボルト以前にこのようなデータを可視化した人は誰一人いなかったのだ。それは自然が各大陸に分布する気候帯を持つ地球規模の力であることをはじめて示した。フンボルトは「多様性に一体性」を見たのだ。植物を分類学上のカテゴリーに分類するのではなく、植生を気候と位置というレンズをとおして見たのである。このいたって斬新なアイデアが、こんにちの私たちの生態系に対する理解をかたちづくってきたのだ。

おわりに

そうした成果のひとつひとつを単純におっていくだけでも抜群におもしろい本書だが、なにしろフンボルト自身がいかしている。自然を相対的なものとして、力と相互作用のネットワークとして理解したいという衝動には終わりと限界がない。あらゆる場所のあらゆるものの情報が必要となるし、若き頃のフンボルトはまるで暴走機関車のごとく各地へと突撃し、必要なら自分の身体を実験体とするのもためらわない。

多くの偉人にその傾向があるとはいえ、フィクションの登場人物のような異常性である。科学者の伝記好きにはもちろん(この趣味の人はそんなに多くなさそうだけど……)、「自然」観の来歴を辿るノンフィクションとしてもオススメできる一冊である。訳のレベルも高いし装丁も素晴らしくて本としての完成度が高いのも良い。