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後宮の女たち、国家をやる──『あとは野となれ大和撫子』

あとは野となれ大和撫子

あとは野となれ大和撫子

本書『あとは野となれ大和撫子』は宮内悠介さんの最新作。いやーこれはおもしろかった! 無数の方向性がある宮内作品だから、それぞれの作品に突き抜けた良さがあり「これが一番好き」を決めるのは難しいんだけど、本書はそれに近いものがある。

後宮の女たちが、とある事情から突如国家を運営するはめになる──。そのあらすじだけを聞くと、ギャグ寄りの話なのかなと思いきや、運営することになる国家はカザフスタンとウズベキスタンに挟まれたガチ危険地帯。領土と経済圏を巡る政争をはじめとする、政治、経済、軍事、と国家運営上の取り扱うべき内容はじっくりポップに描きこまれていく。ノリの軽いところもあるが、それは中心人物となっている女性らの性質、性格によってであって、実態としてはドシリアスな国家運営譚である。

それに加えて、今回の舞台は中央アジアに存在するアラル海に建国された"砂漠の小国アラルスタン"という架空国家である。国家こそ架空のものだが、アラル海は実在する場所。かつてソビエト連邦による綿花栽培のための大規模灌漑によって、海の面積は減少し、塩分濃度が上昇。周囲の植生は砂漠地帯の物となり、周辺環境への悪影響が大きくなっていった。20世紀最大の環境破壊といわれる事象の発生場所だ。

"人間によって環境が破壊された砂漠"を舞台にするが故に生まれた、"技術"による環境および地球の変革、その是非というテーマ。また、地球温暖化への対策や人為的な気候の操作まで含めて、"この地球環境の中で一つの国家をどう位置取り、運営していくのか"の視点が、物語を一回り以上大きな存在としており、充分にまとまっている一冊の物語としては信じがたいほどに広く、また深い物語に仕上がっている。

いくらかあらすじとか舞台とかの紹介

それではまずは舞台やあらすじを紹介してみよう。国の具体的な位置はウズベキスタン共和国の左上で、同時にカザフスタンと国境を面している。砂漠化しているために水を筆頭に何もかも足りない立地だ。だからこそ、皮肉なことに水蒸気を捕らえる点滴灌漑、食物の遺伝子改良などの現代技術によってかろうじて資源を確保している。

そもそもの建国が行われたのはソビエト時代の末期。干上がった土地に、新たな緑を芽吹かせるため"最初の七人"と呼ばれる人々によってその礎がつくられた──のだが、彼ら(七人)の背景が政治屋というよりかは"技術者"であるところにこの国の思想的な部分にまで接続されている。技術で死んだ土地を、技術で作り変えたのだ。

 マグリスは"最初の七人"の一人で、元は西ドイツからソビエトへ拉致されたロケット工学者であったと噂される。死の土地であったこの場所が居住可能となったのは、彼の力によるところが大きい。
 そのためか、この国では昔から技術者の力が強い。

さて、そんな特殊な経緯を持つ場所だが、中心となる後宮の女性らも一筋縄ではいかない。まず"後宮"の女性たちとはいうものの、その実態はハレムとは程遠い。一代目大統領の時はハレムとしての機能も持っていたのだが、二代目大統領のアリーは女を囲うことに興味を示さず、後宮を後に国家中枢の頭脳とするための高等教育の場所と作り変えたために、物語開始時点では後宮の女性らは教育を経たエリートなのだ。

物語が大きく動き出すのは、名君とみなされていたパルヴェーズ・アリーの暗殺事件からだ。アラルスタンは国際的に認められつつはあるが、まだ成立したばかりの混乱の中にある国家だ。アラルスタンが独立を宣言するきっかけになった領内の油田。周辺国家であるイラン、カザフスタン、ロシア、ウズベキスタンに欧米の思惑も加わった微妙な軍事均衡。世俗派と保守派の亀裂──などなど内外に政治的課題を抱えている今、強烈なリーダーシップをとっていたアリーの死は国の致命傷になりかねない。

国軍による議会の武力制圧、中央アジアのリーダーシップを狙うカザフスタン・ウズベキスタンの権益争い。PKFだなんだのの軍隊が参戦し十中八九はじまってしまう戦闘状況が長引けば、国情は安定せず人が死に続けるのは容易に想像できる。その上、議員たちは我先にととんずらこいてしまった──そんな破壊的な状況下。無茶は承知の上で動き出すのはアリーのお気に入りで、後宮のトップに近かったアイシャであり、その下で重要なポストに就くことになるのは後宮で高度な教育を受けた女たち。

「何やらご指名みたいでね。ほかに、誰も手を挙げそうにないし……。こんな状況だから、誰も矢面に立とうとはしない。それで、しょうがないから、国家をやることにしようかなと」
 まるでバンドかなにかを結成するみたいに言う。
「どのみち、このままじゃろくな未来も描けそうにない。それで、ちょっと動いてみたってわけ。わたしたちがやるほうが、まだいいだろうと思ってね」

もちろんトップが死んだからといってやりたいです! と手を上げればやらせてもらえる、弱小サークルのような国家ではなく、お粗末ながらも策謀が存在する。アリーの遺言を捏造しアイシャを大統領代行とした臨時内閣を発足させ、各省庁により異なる温度差を宥めすかしながら物事を前に進めていく。内政・外交をやる暇もなく、まず対処すべきは議会の制圧を目論むアラルスタン・イスラム連合(反政府組織)との戦闘で、独立国家共同体、平和維持軍の派遣まで議会堂を死守する防衛戦である──。

千年先を見据える。

と、超特急で国の危機、国家運営、防衛戦と波乱の日々を駆け抜けていく。対処すべき目前の問題はいくらでもあるが、国家を運営する上では"どこに向かっていくのか"という長期的な理念も必要だ。アイシャは国体と信仰、人権による三権分立の確立を。孤児となり後宮に引き取られ、国防相となった日本人のナツキは技術による環境の改変を望む。植物を改良し、気候を操作し(アラビア海の湿気のルート変更など)といったことは技術的には可能かもしれないが、そこには必ず世界が関わってくる。

湿気のルートを変えれば、元々雨が降っていた地域にはふらなくなってしまうだろう。今は農作物も育たない、塩の土地であっても、太陽光を反射することで温度を下げ、地球温暖化への対抗手段となっている可能性もある。つまり、そこを豊かな水の土地に変えるという一見素晴らしい一手も、世界にとってはいい迷惑ということになりかねない。巨大な相互作用の中にあるこの地球において、"どのように技術で世界を変革するべきなのか"という困難な問いかけがナツキの前には広がっていく。

おわりに

国家運営譚としておもしろいのはもちろん、次々とその正体が明らかになる"最初の七人"の胡散臭さとスケールのデカさも愉快だし、苛烈な展開だけではなく途中にはほのぼのとした場面もあり、"千年先"と"地球"を射程に入れた物語の広さもたまらない──と最初の1ページめから最後の1ページめまでおもしろくてたまらない、完全無欠のエンターテイメントである。そのうえ、装丁と本のデザインも素晴らしいので電子書籍で買った人も本屋で手にとってみてもらいたいところだ。