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図書館から借り出される、書物としての探偵──『書架の探偵』

書架の探偵 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

書架の探偵 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

本書『書架の探偵』はジーン・ウルフによる最新刊である。本国ではいつ頃刊行されたのかな、と刊行年月日を見たら2015年! あれ、ジーン・ウルフっていくつ? と調べてみたら刊行当時84歳であった。それにも関わらず本書は*1、著者の歴代作品の中でもとびきり読みやすく、探偵が現れ、事件が起こり、解決編および意外な結末が訪れ、それでいて背後にある世界観にはウルフらしく本が中心にあり、メタフィクショナルな愉しみもある、円熟した技量を感じさせるやたらと楽しい作品だ。

どんな話なのか

それでは簡単にあらすじ/世界観から紹介してみよう。舞台は世界人口が十億人にまで減少してしまった22世紀の未来。現代には存在しない幾つもの技術が開発され社会を変革しているが、中でも重要になるのは、DNAと脳スキャンデータにより、一原型となるオリジナルの記憶や人格を引き継いだ"複生体"(リクローン)の存在である。彼らは組成としては人間そのものだが、人と同じ権利は与えられていない。

本書の叙述者兼探偵役にあたるE・A・スミスはかつて人気の推理小説家であったが、今はこの複生体として図書館に所蔵される「蔵者」と呼ばれる存在になっている。蔵者らは、図書館にやってきた利用者が呼び出せば出ていって話をし、高い金額が払われた場合、外への貸出が行われる。それ以外の時は棚に格納され、特別な楽しみもなく、物を書くことも許されず、長期間に渡り貸出も問い合わせも行われない場合焼却処分となってしまう。彼らは限りなく人に近い存在だが、扱いは書物なのだ。

そんなある時、人々からすっかり忘れ去られ、迫りくる焼却処分におびえるE・A・スミス氏のもとに、美しい女性であるコレット・コールドブルックが訪れ、なんと一度も借り出されたことのないスミス氏を借り出してくれるという。彼女は最近父を亡くし、兄が何者かに殺害されたばかりと"何らかの事件"の渦中にいるが、その最後の時に兄から渡された本の著者が他ならぬこのE・A・スミスだったのだ。

なんでも、兄を殺した者たちはこの本を探していたのだという。本が持つ意味を探るうち、本を狙う何者かによってコレットは誘拐され、スミスの前から姿を消してしまう。果たして書物探偵スミスはこの事件を解決することができるのか──。

なんといっても世界観がおもしろい

とまあ、そんな感じで非常にミステリらしい立ち上がりの本書だが、なんといっても魅力はこの独特な世界観。スミスは"物"としての自身を自覚しながらも、コレットとの間にはロマンチックな空気が流れ、"物と人"の独特な友人関係が構築されてゆく。

「たしかにリクローンはモノであって、人じゃない。それはそのとおりだ。だが、人はモノに入れあげることがある。やれ靴だの、地上車だの──なかには二百年前から代々伝わってきたという、ただの古い戸棚を後生大事にするやつもいる。コレット・コールドブルックは、おまえに熱をあげてるんじゃないのか、ミスター・スミス?」

蔵者はある一定の時代以後は普通に行える技術なので、スミスのかつての妻が普通に出てきて、死後に複生体となった二人の思いが交錯する場面など、読みどころは多い。あまり多くは明かせないが、コレットの父親が追い求めていた"空間の本質的性質"についての議論と、何が起こって世界人口が十億人にまで減ってしまったのか? という謎は作中後半になると作品の枠をガッと広げ、ミステリ的な謎解きだけでなく世界そのものへの謎が興味を牽引していくのも、さすがウルフといったところだ。

叙述について

本書の特徴の一つは、物語が、全てが終わった後のスミスの叙述によって展開していくことだ。しかし、『いつの日か、こんな事業を考案したやつを蹴っ飛ばしてやれればと思う。物書きを蘇らせておきながら、書くことを許さないシステムなんて、あんまりじゃないか。』というように蔵者は図書館内で物を書くことを禁じられている。

このシステムについて作中で推測される理由の一つは、生きた時代から一世紀も後に作品を書いたって、かつての作品の価値を損なうだけだというもの。スミスが法律を破りながらも、物語として活き活きと事件を語るのは、そうした状況に対する作家としての抵抗のように読める。また、「生きた時代から一世紀も後に新たな作品を書いたって〜」という言葉からは、言い方は悪いが産まれてから80年以上が経過した、年老いた作家であるジーン・ウルフ自身にもついつい重ね合わせてしまう。

それに加えて、蔵者としてのスミスは複生体製作者/読者の想像によって、「彼の書いた作品の主人公達はみんなこういう喋り方をしていたから、作家はこういう喋り方をするはず」としかつめらしい話し方を規定されてしまっているが、叙述ではその制約を離れて自由に描いていく。この"読者らの想像による制約による話し方"と"その制約からの脱出した叙述"の対抗が、文体としておもしろいのはもちろん、ここにもまたジーン・ウルフ自身の格闘を見て取ってしまうのは仕方のないことだろう。

おわりに

読み始めた時は色々な意味で「本当にジーン・ウルフが書いたのか?」と驚いたが、読み進めていくうちに疑問は氷解し、驚きまで含めて作品に取り込まれていく。『デス博士の島その他の物語』を筆頭とした、本についての小説の流れを汲む物語であり既存の読者には言うまでもなくオススメだが、ジーン・ウルフってちょっと怖い、とか全く知らないんだけど、という人にも充分に最初の一冊としてオススメできる。

*1:こういう書き方になるのは、僕の中に作家は歳をとっていくにつれ、より複雑怪奇で難解な方あるいはよりエレガントで瞑想的な方へ行く傾向がある、という偏見があるからだが