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マフィアスレイヤー──『復讐者マレルバ――巨大マフィアに挑んだ男』

復讐者マレルバ――巨大マフィアに挑んだ男

復讐者マレルバ――巨大マフィアに挑んだ男

  • 作者: ジュセッペグラッソネッリ,カルメーロサルド,Giuseppe Grassonelli,Carmelo Sardo,飯田亮介
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2017/06/08
  • メディア: 単行本
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かつて「マレルバ(雑草)」と呼ばれた男がいた。

その男の名はアントニオ・ブラッソ。10代の頃から強盗をやって金を稼ぎ、イカサマ賭博で一財産築き上げた相当な悪ガキだ。だが21歳のある時、巨大マフィアに家族が襲われ幾人も殺された事から復讐を誓い、ギャンブルで金を稼ぎ仲間を集め武器を買い、一人一人宿敵たるマフィアを闇討ちしていく──。本書はその"実在の男"が、もう二度と出ることのできない牢屋の中から人生を綴った回想録である。

「巨大マフィアに挑んだ男」とはあるものの、前半部はアントニオ・ブラッソが幼少期からどのように成長していったのか──という、いわば下準備にあたる。だが、アントニオ・ブラッソが遭遇する事態の数々は、ほとんど異世界かよというぐらいに僕の知る世界と常識が異なっていて、この時点で相当におもしろい(小説的な演出が凝らされているのもあるが)。まずイタリアの治安が悪すぎ。バイクを盗まれ犯人を追及してみれば10人でタコ殴りにされ、小型バイクを盗んで拠点に戻り、拳銃を二挺用意して再度バイク奪還におもむくなど、十代でやるような抗争じゃないよ。

その上、武力の味を知ってしまったアントニオらは強盗をはじめ、容易く大金が手に入る状況に溺れやがて噂を聞きつけた人間が集まり"強盗団"にまで発展してしまう。規模が膨れ上がった強盗団は、結局のところアントニオの家族にも知れ渡ることになり、逮捕を免れぬ状況から彼はイタリアを離れ逃亡生活を送ることになる。

それでおとなしく潜伏するかと思いきや、ハンブルクでは大量の女たちに囲まれ賭博に励み、カモを見つけたらハメて大金をせしめる。控訴審の結果、刑務所送りにならずにイタリアに戻れる目処がついたので戻ってみたら一年間の兵役にいくはめになり、そこでも今度は上官や先着の兵士のイジメに対して武力と恫喝で対抗し大乱闘を引き起こしたりする。どこまでいってもカタギになれない男である。

アントニオガールズ

ギャンブルでカモを攻略するテクニック(最初に気前よくコカインなどを与えて、ちょこちょこ勝たせてやり、銀行が開く時間になったら全てを奪い取ってやるとか)などはディティール豊かでおもしろいが、ボンドガールかよみたいに次々登場する美女たちとの恋愛もまた本書の魅力のひとつ。赤毛のスペイン女ニーナはアントニオのセックスの師となり、『女という宇宙についてありとあらゆる知識を授けてくれた』というように実際にいくつか(セックスの)テクニックが開陳されていく。

他にも、絶対にアントニオになびかないけど心の底では惚れてる美女とその妹(でこの子もアントニオが大好き)とか、警察に追われている最中に出会う一人の子持ちの女との一夜限りのセックスとか、とにかく色んなパターンの女性たちとアントニオのラブロマンスが繰り広げられる。どうも相当なハンサムだったらしい(獄中でも、たまたま別の受刑者に面会にやってきた女性に惚れられちまったけど全く困ったわーほんと俺はもう出れないのによーみたいなウザい述懐が挟まれていたりする)。

マフィアスレイヤー爆誕

さて、そんなこんなで彼の家族が大物マフィアに襲撃される事件が訪れるわけだが、いったいなぜ襲われたのか? そもそもアントニオの一族は別にマフィアの一家ではない。なんとも理解するのが難しいが、理由としては結局、復讐の連鎖があったようだ。何年か前、名誉に関わる問題とかで、アントニオ一家の友達数人が殺され、マフィアの一味との関係が悪化し、関係修復のためにも行われたマフィアへの加入の申し出を、アントニオ一家が拒んだ事から殺し殺されの状況に陥ったらしい。

名誉に関わる問題で人が死に、何だかよくわからんうちに関係が悪化しすぐに殺し殺されの状況に陥ってしまうというのは確かにマフィアってそんなイメージあるわーとは思うものの、それで殺されてしまったらたまったもんではない。しかもその世界にどっぷり浸かっている人間は(アントニオも)同様の価値観から逃れられない。すなわち、殺られたら殺り返す。アントニオは仲間を集め、イカサマ賭博で金をしこたま集め武器を買い、宿敵たるマフィアを殺す修羅の道をいくことになる。

それが実際にどのような道のりなのかは実際に読んで確かめてもらいたいが、個人的におもしろかったのはマフィアスレイヤーならではの知見の数々。たとえば、待ち伏せを警戒している者は通常、銃を持って歩くから、その前に目出し帽を被った怪しい人間が現れたら、躊躇せずに撃つのが普通だ。『そこで俺たちはルールを定めた。今後の待ち伏せではヒットマンは顔を隠さず、きちんとした服装で行動すること。しかも襲撃現場から離れた土地のファミリーの人間が務めること。』

というわけで堂々と道を歩き、おしゃれな服装をしたヒットマンたちが町に散らばることになる。なるほどなーとは思うものの、一生使わない知識である。

終身刑について

本書の著者の一人にして回想録の語り手であるジュセッペ・グラッソネッリはイタリアで終身刑に服している囚人である。アントニオ・ブラッソと名前が異なるのは、アントニオの方が仮名のため。つまり、この物語は決して幸福な(いや、犯罪者が刑に服しているのだから大多数の人にとっては幸福といえるが)結末を迎えるわけではないのだが、本書では最後に"終身刑"についての著者らの主張が述べられている。

終身刑というと一般的には「出られない」と考えるだろうが、イタリアの終身刑はいくつかの段階にわかれている。普通終身刑の場合は20年服役すれば1日、2日単位の外出が可能になる。さらには日中は塀の外で働いて、夜戻るといった形もありえる。一方で妨害的終身刑と呼ばれる、ジュセッペ・グラッソネッリが服す刑は基本的に外出許可は一切与えられない。つまり文字通りの"終身刑"となる。

本書では章の合間に、回想をするジュセッペの現在の言葉が挟まれていくが、どれだけ過去のことを悔い改めようと、回想の中でしか外に出られない男の言葉だと考えると、これがまた重い。インタビュアに向かって彼は、本が有名になって、それで自分の状況が一切変わらなかったとしても平気だ、と強がってはいるものの、期待するなというのは無理な話だ。事実、次のような主張も記されている。

 違う。わたしは許しを請うているわけではない。あれだけの悪を為したのだ。わたしを許すことは誰にもできぬだろう。
 ただ、それでも疑問に思わずにはいられないのだ。過去に重罪を犯したにせよ、のちに悔い改めた罪人を社会に戻す力のない制度を本当に民主的と呼べるだろうか?

至極真っ当な主張であるとは思うが、それを言っているのが重罪人本人では自己利益のためにいっているとしか思われないだろう。だが、そんなこともまた充分承知で、書かざるをえなかったのだろうと想像する。いろいろな意味でおもしろい一冊だが、自分がどれだけの悪をなしたのかを認識し、法的にも到底許されるものではないことを自覚しつつ、それでも尚外への期待を捨てられぬ、相反する感情が常に荒れ狂っているこの男の在り方が、本書において一番ぐっときたポイントだ。