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〈スタニスワフ・レム・コレクション〉、ついに完結──『主の変容病院・挑発』

主の変容病院・挑発 (スタニスワフ・レムコレクション)

主の変容病院・挑発 (スタニスワフ・レムコレクション)

レムの代表作や、日本では知られざる側面を翻訳・刊行してきた〈スタニスワフ・レム・コレクション〉が本書にて完結! スタニスワフ・レムという作家は僕にとっては間違いなくベスト5に入る海外作家で、どの作品を取り上げても、一文一文に込められた途方もない思考の量、ユーモア、枠が存在しないかのような発想力によって驚かしてくれたものだ。日本語で読める作品を片っ端から読んでいった時は、「一人でこんだけの作品が書ける人間がいていいのか……」と呆然としたぐらいである。

というわけで最終巻である『主の変容病院・挑発』である。他のレム・コレクションに負けず劣らず、幾つもの側面からレムを照らし出していて読み応えのある一冊だ。収録されているのは『主の変容病院』という、ドイツによるポーランド侵攻時の精神病院での出来事を描くリアリズム長篇が一篇。二編目は、『ジェノサイド』と『人類の一分間』という架空の書籍に対する書評集『挑発』。最後は、地球外知的生命体探査と未来の兵器について書かれたメタフィクショナルな『二一世紀叢書』である。

主の変容病院

このうち『主の変容病院』は(多分)デビュー作にあたり、なおかつ非SFであることもあって、読み出しの時点では"レムっぽくなさ"を感じたが、読んでいくうちに"完全にレムやんけ!"というか、"SF要素まったくないけどSFやんけ!"としか言いようのない感覚にとらわれることになる。占領され陰鬱な空気が蔓延するポーランドの療養所を主な舞台に、精神に変調をきたした人たちとの対話、政治的議論、徐々に戦争の脅威が増していく周辺の空気、父と子の対話──などが進行していく。

確かにそうしたやりとりの中に、SF的な要素はまったくない。まったくないが、レムが描く対話は、まるで人間精神を深く深く掘っていくようで、そこは宇宙のように広く底がみえない。『「医学は、無限を窺うには悪くない窓だ。体系的に勉強しなかったことを、私は時々悔やむことがある」』と誰かが言い、主人公であるステファンスキがそれを受けて『「われわれが自分の肉体について知っていることは、はるか彼方の恒星について知っていることと大差ないほど少ないらしい」』と考えるように。

『主の変容病院』では政治談義を筆頭に多くの対話が行われていくが、精神病院であるという性質から、その全てがどこか現実から少し離れていて、その外部性からまるで異界のように機能している。『「私たちは、そもそも社会の枠外の存在のような気がします。この病院自体が──ノーマルな現象じゃないでしょう。ノーマライズされたアブノーマル」』『「ドイツ軍、戦争、敗北──何もかも、ここにはきわめて間接的な反映しか届かない。せいぜい、遠い残響でしかない………」』

後年のレムとはずいぶんスタイルが異なるが、それでも一個人から宇宙全体を接続してみせる縦横無尽なスケール感、ホロコースト、ナチス、精神分裂病患者などさまざまな事象を前に深く深く考察を重ねていくその在り方、容易くはコミュニケーションできぬ相手との、どこかズレた対話の数々は、どっからどう読んでもレムである。

挑発

架空の書籍に対する書評であるが、ここでもまたジェノサイドが主題に上がることになる。レムにとってどれほどホロコーストが大きな出来事だったのかがわかるのはもちろん、後のさまざまな虐殺についての研究成果を知った上で読むと『悪の倫理学は、既に述べたように、敢えて自己弁護などは試みない。悪は常に何らかの善に至るための手段という姿に扮装している。』など、ここで描かれていく内容の先見性には驚くばかり。『人類の一分間』はユーモアたっぷりの書評だが、相変わらずうまい。

二一世紀叢書

『二一世紀叢書』としては「創造的絶滅原理、燔祭(ルビ:ホロコースト)としての世界」と「二一世紀の兵器システム、あるいは逆さまの進化」の二篇が収録。前者は創造的でもありカタストロフィのランダムな集合だとこの世界を仮定し、宇宙物理学をはじめとして量子論から惑星科学、宇宙生物学までなんでも使いながら「二一世紀の科学が可能にするであろう」地球外知的生命体探査の可能性について語っていく。

「二一世紀の兵器システム、あるいは逆さまの進化」もまた凄く、(この話が書かれた当時の)現実に存在する兵器の話も交えながら、理屈立てて未来の兵器と、その兵器が必要とされるであろう未来の戦争状況を創造してみせる。『戦争の舞台は核攻撃によって不断の脅威に曝されていた。核攻撃は兵力そのものばかりでなく、あらゆる種類の武器の相互連携、司令部との連絡体制をも破壊した。そのため、方向性の異なる二つの原則に基づいた、多種多様な命なきマイクロ・アーミーが誕生した。』

これひとつだけだったら、正直数十年前であっても発想するのはそう難しくないかなという気がするんだけど、こうしたアイディアが本作には無数に詰め込まれているのだ。その上、"人類が戦争から消え、人工知能と自然知能の差がなくなった世界での国家の運営・政治体制はどうなっていくのか"という、兵器の話から社会システムの話へとスマートに移行していき、要するに純粋に短篇としての出来が素晴らしい。

おわりに

レムファンは当然買うだろうからいいにしても、レム読んだことなーいって人も完結したこの機会に〈スタニスワフ・レム・コレクション〉を集めて一巻から読んでいくのもいいだろう。『ソラリス』は早川から文庫化されているけど、このシリーズ装丁が抜群に良いから単行本で本棚に並んでいるとものすごくカッコイイんだよね。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp

ソラリス (ハヤカワ文庫SF)

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