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傑作盤上遊戯ファンタジィ──『天盆』

天盆 (中公文庫)

天盆 (中公文庫)

本書は『青の数学』シリーズや『マレ・サカチのたったひとつの贈物』の王城夕紀のデビュー作の文庫版である。将棋に似た架空の盤戯「天盆」の存在する蓋の国を舞台に、一人の天才天盆少年である凡天と、その家族の物語を紡いでいく。文庫でわずか300ページ足らずの中に、家族の物語と、盤上遊戯の魅力、勝負の魅力、道を突き詰めることの苦しさ、さらには盤上に"世界"を見出しすことで、人生の物語としてまとめあげていて、端的にいってデビュー作とは思えないほどの完成度だ。

天盆の魅力について

いろいろな要素がおもしろい本作だけれども、まず第一にその魅力を取り上げるのならば、やっぱり「天盆」そのものだろう。作中でルールが完璧に明かされることはなく、断片的に明かされる情報としては、12×12の升目の盆で行うこと、将、衆などそれぞれの駒に役割があり、相手からとった駒を使えることなどなど。

「これらの駒はそれぞれ違う動き方をする。たとえば衆は前に一つしか動けん」と、二秀は四四の衆を、四五に動かす。「やってみろ」と言われ、十偉は九九の衆を九八に進める。「これが一番弱い駒なの?」と問う十偉に、弱い強いではない、と二秀は応える。それぞれの駒にそれぞれの働きがある。「すべての駒に意味がある。古くからある天盆の格言だ。」

ひとまず、将棋のような盤上遊戯と考えておけばいいだろう。恐ろしいのは、描写の巧みさによって、そうしたルールさえも読者には明らかになっていないゲームを扱っているにも関わらず──だからこそといったほうがいいかもしれないが、頭の中で空想上の理想のゲームが展開され、そのやりとりの恐ろしさ、熱気、魅力、決着の妥当性などが、まるで見知った競技の描写を読んでいるかのように納得がいくのである。

 打たれた瞬間、老陣守にはその手の意味が分からなかった。なぜ、この敗北の状況にあって、このような意味の分からぬ場所に、このような駒を打つのか。足掻くならばせめて帝首をかける、必死をかける。そのいずれでもない。
 そう戸惑う老陣守に、雷が落ちたような天啓が訪れた。
 永涯を見る。彼の反応を見れば、分かるはずだ。
 果たして、永涯は、目を僅かに見開いていた。対局中に表情を出さぬ永涯が、驚いていた。

凡天らが暮らす蓋の国では、天盆の才あるものは立身出世し、身分に関係なく政治に介入することができる。そんな架空の世界を舞台にしているからこそ、盤上遊戯という、いわばただの"ゲーム"にすぎないものが、平民から政治に関与する地位にまで上り詰めるための手段となって、上昇する物語性を獲得しているのがまずおもしろい。

簡単なあらすじについて

物語の主人公たる凡天は、少勇という男に拾われ、13人目の兄弟としてその家族に加わることになる。兄弟はみな捨て子の集まりであり、面倒だという理由で天盆の升目にちなんで上から順に数字が割り振られていたが升目は12×12なので13番目には枠がない。よって、凡手から引かれて凡天の名が与えられることになったのだ。

そんな明らかに天盆の才が発揮されなさそうな名前を与えられたにも関わらず、凡天は幼い頃からその天才性を明らかにしていく。はじめて発した言葉は「まいりました」だし、兄弟たちを下から順々になぎ倒していき、最終的にはもっとも強く、今も天盆で名を上げようと研鑽に励んでいる二秀との戦いに没頭するようになる。

凡天には天賦の才が存在していた。世が世であれば大会に出場し、勝ち上がっていくことで出世が狙えたであろう。しかし、現在の状況はそうした理想からはかけ離れた状態にある。権力者の縁故が階級を支配し、天盆の才能があっても様々な軋轢が出世を拒む社会になっている。大会に出れば地位の高い人間の顔を汚すな(あえて負けろ)と助言され、上り詰めようとすれば卑劣な手段で負けることを強制される。

しかし凡天は天盆の才があるだけで他は殆ど何もうまくできぬろくでなしであった。空気を読むような子どもでもない。加えて彼の周りにいる血の繋がりのない家族たちが凡天を応援し、後押しをするのだった。どれだけ脅されようが、どれだけ殴られようが勝つのをやめられぬ天盆の馬鹿なのであった。突き抜けすぎた才は波乱を呼び、地方どころか国家の中枢を揺るがす、天盆の大舞台へと繋がっていくこととなる。

家族の物語

果たして凡天はこの硬直しきった国へと、風穴を開けることができるのか──という凡天の物語もさることながら、同時にとんでもなく素晴らしいのが家族としての側面だ。一巻完結の物語で13人も兄弟を出すなんてキャラ立てだけでも一苦労だろうと思いきや、これが以外なほど違和感なく個々のキャラが立ち、魅力的にうつる。

兄弟一人一人が升目になぞらえられているのもうまいし、二人、三人といったセットで描写される兄弟がいるのもうまいが、何よりこの大勢いる兄弟たちは、ほとんどセリフも感情が記されることもなく、その狂気的な行動と才能がクローズアップされる凡天の周囲にいつも配置されていることで、凡天が如何に非凡で無茶苦茶な才能であるかを感情的に、間接的にしらしめる役割として有効に機能しているように思う。

血の繋がりのない少勇一家はなぜそれでもあえて一緒にいるのか。そこに理由はあるのだろうか──凡天が勝ち続けることによって家族への社会的な軋轢も強くなり、まるで天盆の白熱と連動するように家族の絆が試され続けるのも構造として美しい。

おわりに

盤外戦術で家族の繋がりを攻撃してくる相手との激戦を経て、物語は最強の敵との戦いに流れ込んでいく。全てが収束して終盤に至る流れの美しさ、最終戦の高揚、終幕の切なさまで含めて、素晴らしい出来という他ない。盤上遊戯ファンタジィとして、紛うことなき傑作である。文庫でお買い求めやすくなったので、この機会にどうぞ。

天盆の競技描写が好きな人がたぶん好きなのが『青の数学』
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
天盆の文体が好きな人がたぶん好きなのが『マレ・サカチのたったひとつの贈物』
huyukiitoichi.hatenadiary.jp