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複数の世界を生きた女性──『わたしの本当の子どもたち』

わたしの本当の子どもたち (創元SF文庫)

わたしの本当の子どもたち (創元SF文庫)

人生にはいくつもの岐路がある。夜何を食べるか、誰と遊ぶか。仕事や学校をどこにするのか。誰と結婚をするのか、あるいはしないのか。そうやって決断を下した後、この選択で良かったなと思うこともあれば、やっぱりダメだった、間違いだったと後悔することもあり、その時「じゃああの時、別の選択をしていたら」と考える。

そういう経験をしたことのある人が多いからこそ、世の中には無数の並行世界物のフィクションが生まれるのだろう。というわけで本書『わたしの本当の子どもたち』は、そんな並行世界物の一篇。二つの世界を生きた記憶を持つ女性の物語である。はじまりの舞台は2015年の老人ホーム。そこでパトリシアは徐々に失われていく記憶と認知症を抱えながら日々を過ごしている。特異なのは、彼女が過去について思い出す時、併存する筈のない思い出がふたつ重なり合っていることだ。

たとえばひとつの世界で彼女は子どもを4人持ち、もうひとつの世界では3人持っている。ひとつの世界では彼女は女性と事実上の婚姻関係を結び、もうひとつの世界では男性と結婚している。ケネディが暗殺された世界もあれば、キューバ問題に起因する核ミサイルの応酬によって、ケネディが大統領選への出馬を断念した世界もある。それら重なり合うはずがない事態を、彼女はありありと実感し、経験してきている。

簡単なあらすじと、本書の構成

本書はそうした不可思議な終盤を迎える彼女の人生を、1933年から(パトリシアの生まれは1926年)順々に辿っていくことになる。とはいえ、最初から彼女の人生がふたつに分裂していたわけではない。その決定的な瞬間は彼女が23歳の頃、当時結婚を約束していたマークから、それまで目指していた特別研究員になれないことを告げられ、それでも尚結婚するか否かを決断する必要に迫られた時に訪れる。

その後、物語は「──わたし、あなたと結婚する」と告げたトリッシュと「……わたし、あなたとは結婚しない」と告げたパットに分裂し、交互に彼女の人生を描いていくことになるのだが──果たしてパトリシアにとっては、どちらの決断が幸せだったのか? といえば、これは引っ張るまでもなくすぐに判明してしてしまう。

なぜならマークと結婚した彼女は、乱暴な夫との性交、旧弊な価値観を持って女性へと迫る夫へのストレス、幾人もの流産など、過酷な人生がしばらく続き、その一方で、結婚しないことを選んだパティは一時的に傷心に浸るものの、後にひとりの女性と出会い、彼女と恋愛関係に至ることになる。同性愛者としての生活は簡単なものではないものの、関係自体は良好で、ガイドブックの執筆など仕事にも恵まれる。

女性の権利と性愛の自由など進歩的な考えを持つトリッシュと、夫との対比。性的マイノリティの暮らしにくさ、同性愛者が子どもを持ちたいと願った時、どうすればよいのかなど複数の問題を彼女の二つの世界にまたがった人生に取り入れながら、淡々と描いていく。人生は長く、結婚はそのすべてではない。パットも、最初は大きな不幸を背負ったトリッシュも力強く生き、そしてだんだんと周囲の友人達も含め死に向かっていく。その筆致はとても静かで、内側から感動が広まってくるタイプの物だ。

たとえば、夫との軋轢に苦しむトリッシュがおり、一方ではレズビアンのビイと幸せな家庭を築き上げているパティがおり、長い年月が経つにつれ、その逆のこともあり──と交互に読んでいくと、そのどちらであっても、ただただ彼女が平穏な生活を送っているだけでとてもあたたかな気持ちになってくるんだよね。

変動する世界情勢

もう一つSF的には重要なのが、ふたつの世界で変化しているのは実は彼女の人生だけではなく、世界情勢も大きく分裂しているのである。大まかにその傾向を分けてしまえば、トリッシュの世界は情勢的に安定していて、逆にパティの世界は情勢が悪化していく。たとえば、米ソ双方による核兵器の使用が行われたり、といったふうに。

 しかし翌朝、彼女たちは、世界が無傷ではすまなかったことを思い知らされた。夜のあいだに、BBCの語法を借りれば「米ソ双方が、相手国に対し核兵器を限定的に使用」していたからだ。それを受けて、ジョン・F・ケネディとフルシチョフが緊急会談を行っているという。

当然ながら核兵器の使用が起こった世界は、我々の知る歴史とはまったく異なる事態を引き起こすことになる。緊張感は嫌でも高まり、放射能は世界中にばら撒かれ、軍事開発は本格化し70年代にはすでに月面基地が出来ている。そうした世界観はパット/トリッシュが生きる背景として断片的に描かれ、当然ながら彼女の(ふたつの)人生に大きな影響を与えていく。描写のメインはそうした彼女たちの生活の物語であるから、並行世界物、改変歴史物とはいえ、幻想小説といったほうが近いだろう。

おわりに

自分だったら、どちらの世界・人生を生きてみたいと思うだろうか? と考えながら読むのも楽しいが(作中で最後に行われる、この書名にも関わってくる問いかけもまた重い)、何より一冊で二人分の道のりを追体験できる、"人生の物語"として本当におもしろい。結婚、出産、介護、周囲の人々が亡くなっていき、いよいよ自分が死に望もうとする時の彼女の内面に、読んでいて涙が流れずにはいられなかったよ。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp