基本読書

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全人類の経済活動が停止する──『オーバーロードの街』

オーバーロードの街

オーバーロードの街

この2、3年の神林長平先生は老いてなお*1精力的に連載を続けており、本書もその連載がまとまったものだが、これがまた凄い。超常物/概念と人類の遭遇という観点から過去作を幾つも彷彿とさせながらも明確に新しく、衰え知らぬ話の広げ方と、それを豪腕と技術でもって制御してみせる筆力に感嘆がもれる。ほんとうにおもしろいし、まったく曇りなく"本書から神林長平を読んでくれ"といえる安心感がある。

簡単にあらすじとか

というわけで内容を紹介していこう。物語の舞台となるのは、介護用のパワーローダーや、警察や軍隊用のパワードスーツが普及した近未来。現在既ににそうなっているが、富めるものがますます富み、逆に弱者はより虐げられるようになった社会。

新聞記者の真嶋は、投稿者が見聞きした悪事を晒すためのBBS〈黒い絨毯〉で、呉という職員が介護施設で老人たちを虐待死に追いやっているという情報を発見する。投稿者の名は〈地球の意思〉。もともと取材候補だったのもあって、真嶋は取材に赴くが、からかっているのかなんなのか、呉からはまともな答えが返ってこない。そうこうするうちに、〈黒い絨毯〉に、"呉大麻良は、PLD3141による無差別同族殺戮を開始する"という新たな書き込みが〈地球の意思〉によってもたらされる……。

PLD3141とは、介護用のライトパワーローダーの商品名称だ。重いものを楽に運ぶためのものなので、犯罪に用いようと思えばたやすく人を殺すことはできる。そうはいってもその情報源は単なるネットの書き込みであり、普通誰もそんな情報を真に受けることはないが──その可能性を裏付ける状況も幾つか存在している。

たとえば、パワーローダーにはナライ機能と呼ばれる、使用者の行動を記録し、誰であっても脳に信号を送り込んで(パワーローダー自体を動かして肉体を従わせるのではなく)肉体を動かすことができるシステムが存在している。呉大麻良がやったとされる虐待も、そのせいではないかと彼は語る。果たして、彼は本当に無差別殺戮を開始するのか、はたまたそれは彼の体をのっとった何者かによる仕業となるのか……。

持つ者と持たざる者

構図としておもしろいのが、持つ者と持たざる者の対比と、その差を覆す存在としてのパワーローダーの存在だ。呉大麻良は、50万ドルを超える投資金を持たねば居住できない"特区"に住む女性から、彼が虐待をしていたという噂話を元に、間接的に父を殺して欲しいという依頼を受ける。呉大麻良が意図的に殺すことはないと告げると、彼女の目的は自身がパワーローダーを着て父親を殺すことへと移っていく。虐げられてきた立場の人間が、パワーローダーを着ることで、それを覆す力を得るのだ。

「あっち側に」と女は窓の外を目で指して、答えた。「わたしの父親がいるんだけど、わたしとしてはさっさと死んでもらいたい。わたしの気持ちをあなたに理解してもらいたいとは思わないけど、動機を言わないとわたしはただ残忍で冷酷な、そのうえ吝嗇な女に思われるのもいやなので言っておくと、子どものころのわたしを犯しまくって虐待した男がいまだに生きているのは許せないし、いまや寝たきりでなんの役にも立ってない人間に生きていられるのは社会的にも不利益よ。あんなんでも公的補助を受けている。税金の無駄。さっさと殺すべきだと思ってる」

最初、物語は特区の女性と呉大麻良らを中心として、介護とパワーローダーの持つ可能性と危険性などを中心にして展開するのかなと思っていたのだが、すぐにその想定は裏切られることになる。何しろ、二人が父親を殺すだとかいや殺さないだとかやっているうちに、おそらくは人間ではない何者かの行動によって、世界中で軍用のパワードスーツや無人機が自動的に動き出し、無差別に人類を殺戮し始めるのだ。

犯人と思われる、"地球の意思"からの要求は"すべての経済活動の停止"、それはマネー関連の取引だけではなく、あらゆる交換活動の停止だ。

「すべての経済活動の停止。それが敵の要求です」と神里が言う。「マネー関連の取引停止より範囲が広い。すべての、です。この意味が広報官にわかりますか」
「……きみたちはどう分析しているのかね」(……)
「敵は、われわれ人間に、人間をやめろ、と言っている」

ちなみに、「オーバーロードの街」のオーバーロードとは、物語冒頭で"地球の意思"を名乗る何者かとの対話の中で生存を保証された少女が持つ人工知能、人工人格アプリの上位存在であるとみられている。より端的にいえば、人類の敵である。だが、それにはそもそも身体があるのか、ないのか、それすら判然とはしない。何らかの意識を持って襲い掛かってくる相手ならば、打倒もできるかもしれない。だが、仮に自然発生的に存在した何かなのであれば、それはもはや自然災害であるといえる。

敵の正体すら判然とせぬまま、呉大麻良、特区の女性、オーバーロードとコンタクトをすることができる特別な少女の物語が交錯していく。

現実から物語が消え、リアルが残る

全世界的な経済停止は大混乱を引き起こす。死者数は世界で軽く数百万に到達し、物語の規模はとどまることなく広がっていく。金が意味を持たなくなってしまったのだから、持つ者と持たざる者の差も消失し、その後も続くネット環境の破壊などの攻撃によって、人々が信じている幻想・物語・歴史が次々破壊されていくことになる。

お金、紙幣なんていうものは結局ただの紙切れ、もしくはデータの羅列でしかなく、それに価値があるのは誰もがその価値を"信じて"いるからにすぎない。そうした人々の共有幻想が消えていった先に残るのは、剥き出しに近いリアルだ。こんな無茶苦茶な状況まで世界を陥れておいて、いったんどうやって収拾つけんのよ……と思いながら呆然としながら読んでいたのだけど、ラストはそれはもう見事に、剥き出しの感情、剥き出しの本音へと収束してみせる。

おわりに

パワーローダー同士のバトル描写は素晴らしいし、フムンもちゃんと出るし、猫も出る。嗚呼、しかし今回は何といっても女性陣が素晴らしい。圧倒的力強さで復讐を敢行する女性、自分が死ぬ間際に自身の願いを聞かれて全人類の幸せをと語る少女、母娘間の憎悪によって結ばれた関係性……。いやあ、非常に良いものを読ませてもらいました。無限に神林長平の新刊が読みたいものである。

*1:60代はまだまだこれからだが先生自身があえて老いにテーマを置いているように見えるので、そう書きたい