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人間が機械を用いて自然界や人間界とどう向き合ってきたのか──『トラクターの世界史 - 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』

トラクターの世界史 - 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち (中公新書)

トラクターの世界史 - 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち (中公新書)

トラクターというのは、それ一冊で歴史書になりえる題材なのだろうか。

そんな疑問を抱きながら読み始めてみれば、1ページ目からもう煽る煽る。『耕すこと、それはいわば地球の表面を引っかきまわすことである。』から始まり、トラクターがいかに世界に変化を与えてきたのかを心躍る筆致で描き出していく。『トラクターは、善かれ悪しかれ、大地の束縛から人間を解き放そうとしたし、いまなおその変化は進行中である。(…)農業生産の機械化、合理化と農地内物質循環の弱体化という二つの決定的な影響を、トラクターは二〇世紀の人間たちにもたらしたのである。』

そして、そうした煽りがただのハッタリではなくおもしろい。確かにトラクターは世界を大きく変えたのだ、と本書を読み終えた今ではわかる。まず第一次世界大戦中にフォードの工場で廉価なトラクターが大量生産されたことで農業の飛躍的な効率化が生まれ、爆発的な人口増加を支えることになった。それだけではなく、農業用の履帯トラクターから着想を得て戦車が生まれ、第2次世界大戦中に各国のトラクター工場は戦車工場へと変身し、戦争とトラクターは切っても切れない関係となっていく。

 トラクターの歴史はこれまで、国やメーカーごとに描かれてきたが、全体として扱われることはなかった。もちろん、世界すべてのトラクターを扱うことは不可能であるが、二〇世紀にトラクターが歴史に残した痕跡をできるだけ広い視野に立ちつつ辿ることは、そのまま、人間が機械を用いて自然界や人間界とどう向き合ってきたかを知る助けになるはずだ。そのうえで、いったいトラクターは人類の歴史をどう変えたのかについて、考えていきたい。

「トラクターは人類の歴史をどう変えたのか」について、簡単に紹介してみよう。

トラクター前史・序章

トラクターとは基本的に、1.車輪か履帯のついた。2.内燃機関の力で物を牽引したり、別の農作業の動力源になったりする、乗車型、歩行型、無人型の機械である。その歴史がはじまる前の前史にあたる部分には、蒸気機関(シリンダー内の高圧の蒸気を用いてピストンを往復運動させる熱機関のこと)による試作の時代がある。

実は19世紀半ばから欧米では蒸気機関は脱穀機に用いられていたようだ。それならすぐに蒸気機関タイプのトラクターが生まれそうなもんだが、何しろ蒸気機関はめちゃくちゃ重いので橋を通るのが難しいし、その上爆発が頻発し一国だけでも、一年で数百人が死ぬという危険な機関だった。ただ、実際には人間を乗せて農地を走る蒸気トラクターが1859年にはあったようだ。危険すぎて実用には適さなかったようだが、いやー、蒸気機関好きとしては走ってるところを生で見てみたかったなあ。

実用に適さず普及しなかったとはいえ、そうした「動物以外の、農業を楽にしてくれる機械」の登場があったおかげで、農民に機械を用いて農業を行うという、機械を受け入れる精神的・技術的な準備の役割を果たしたのだ。その後、蒸気機関から内燃機関へと場所を変えトラクターの試作は続けられたが、現代まで繋がる内燃機関のトラクターで最終的に成功したのは、ジョン・フローリッチという発明家だ。彼が最初とはいえ、開発・販売したものは、まったく売れなかったのだけれども。

第一次世界大戦による普及

その後着々と普及・改善されるトラクターだが、普及状況が大きく変わるのは第一次世界大戦時。なぜならば、長引く戦争は必然的に農村の労働者不足を招き、それだけではなく馬まで徴発されたので、それを埋め合わせるようにフォード社がトラクターを輸出したからだ。1922年にフォード車はトラクターの値段を400ドル以下まで値下げし、複数社の競争が激化するなど、普及を促す要因はいくつも重なっていった。

畝の畑でも対応できるファーモール、軽快なエンジン音を響かせ、現場からのフィードバックを積極的に取り入れたジョン・ディアD型、ゴムタイヤを用いたことで一歩運転手の快適さへと近づいたトラクターなどなど技術の進歩が、トラクターのイラストや写真と共に綴られていくのがまた楽しい。トラクター、正直言って何の興味もなかったがこうしていろいろ見てみると姿形がけっこうカッコイイんだよね。

トラクターと戦争

第一次世界大戦時、兵士は機関銃や砲弾の圧倒的な火力から逃れるため塹壕を掘って対処したが、倒せもしないし前に進めもしないし、有刺鉄線まではりはじめるしで戦場は停滞した。塹壕や有刺鉄線を乗り越えるためには様々な手段が考案されたが(毒ガスとか)そのうちの一つが戦車であり、その発想は履帯トラクターからきている。

第一次世界大戦中に初の戦車マークⅠが49台投入され、その有用性が確認された後、第二次世界大戦時には殆どのトラクター企業が戦車開発を担うようになる。輸送車としても使えるので、戦争になくてはならない機械になっていったのだ。事実、1943年に出た『牽引車』というトラクターの概説書では、平時の農業用トラクターとは、軍事利用を前提に開発すべきで、米、英、ソはもちろん独、伊、仏など自動車工業力下にトラクター工業の組織を有しないものはないとまで言い切っている。

おわりに

と、ざっとメイントピックとを中心に紹介してみたが、これでも全体の論のごく一部。他には、トラクターが農家へともたらした功罪について(効率化は成ったが、多くの農家の生産力が上昇したせいで農作物は過剰になって農作物価格は大幅下落し農家がガンガン潰れた)。ソ独英日など、国ごとに異なるトラクターの受容史。

また、トラクターは人間を自由にしたのか? という問いかけや、農業へ機械を導入することへの根本的な忌避感などなど「トラクターというのは、それ一冊で歴史書になりえる題材なのだろうか」と考えていたのが嘘のように密度が濃く、文化の領域にまで溶け込んだトラクター史を堪能させてくれる。仮にまったくトラクターに興味がなかったとしても(そんな人が大半だろうが)、充分に楽しめる一冊だ。