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頭がおかしくなるほどおもしろかった──《アイアマンガー》三部作

堆塵館 (アイアマンガー三部作1) (アイアマンガー三部作 1)

堆塵館 (アイアマンガー三部作1) (アイアマンガー三部作 1)

エドワード・ケアリー《アイアマンガー》三部作が先日発売の『肺都』によって完結したが、これが本当に凄い物語だった。奇しくも『肺都』が昨年最後に読了した本となったけれども、そんなことは無関係に問答無用で『肺都』が17年のベストだ。それどころか《アイアマンガー三部作》は、人生においてこれ程の熱量の物語にあと何度出会えるのだろうか……と考え込まずにはいられない、破壊的な小説作品なのだ。

人間を突き動かさずにはいられない特異なリズムがこの物語全体を貫いている。劇作家でもある著者による台詞、会話劇は一つ一つの発言が声の大きさ、息の吐く音まで聞こえてきそうな(凄まじい翻訳の力もあるのだろう)完璧な制御下にあり、時に同じ単語を何度も繰り返し、時に視覚的な楽しみをもたらし、作中の挿絵もすべて著者が描くことでキャラクタと館、町、都市に生き生きとした命を吹き込んでみせる。

そうしたひとりひとりのキャラクタの表現力、リズムはそれだけ抜き出しても異常な技術なのだが、凄いのは物語の規模が一つの館の物語から一つの町の物語、そして最後にロンドンへと至っても、まるでその制御力が落ちないことである。一人のキャラクタを生き生きと描くことはできるだろう。二人でも三人でもできるかもしれない。だが百人、千人、一万人と規模がデカくなっていったときにその巨大化した群衆の思惑や熱気といったものまで文章に落とし込むなんてことができるんだろうか?

エドワード・ケアリーにはそれができた。町の人々の視点を次々と切り替え、町を、都市を細部から描写していくことで、そこに住む人々と町の姿をありありと描き出し、描き出すことによって"それを破壊する"興奮までを最大限に発揮してみせた。ただカタストロフを小説の中で起こすだけだったら(書けばいいだけだから)誰にでもできる。でもそれを人の感情を動かす物語として描き出すのであれば、壊す前の状態をいったん読者の前に確固たる存在として差し出し、納得させなければいけない。

《アイアマンガー》三部作はそれをやったのである。そして、アイアマンガー一族と、どこにでもある"物たちの物語"として描き出してみせた。

軽く全体像を紹介する。

物語の第一部、第二部についてはすでに記事にしているけれども、ここでいったん全体を紹介しておこう。第一部『堆塵館』で物語の舞台となるのは19世紀後半のロンドンのはずれにあるゴミ捨て場である。「堆塵館」はそのゴミ捨て場の中心に城のように鎮座する巨大な館の名称であり、ゴミから財を築きロンドンの全負債を肩代わりしていると噂される、巨大で底のみえないアイアマンガー一族が暮らしている。

物語は、一族に生まれた物の声を聞くことのできる力を持った一人の少年クロッド・アイアマンガーと、"アイアマンガーの血が紛れているから"という理由で孤児院から引き取られてきたルーシー・ペナントという少女の出会いと別れを中心に描かれていく。アイアマンガー一族は普通の家族ではない。クロッドのように特別な力を持った者が幾人もおり、赤ん坊が生まれると特別な品物をひとつ与えられ(浴槽の栓とか)、一族の人間はそれを絶対に無くさないように病的なまでに気をつけて暮らす。

ルーシーはまったくアイアマンガー一族に馴染むことができずに反発し、クロッドはその能力によって一族の中でも特別な立ち位置を占めながらも、ルーシーと出会い、一族へと疑惑を抱き、より広い世界へと目を向けるようになり、と変質を重ねてゆく。第二部『穢れの町』ではルーシーとクロッドを中心に、舞台を堆塵館からその近くに存在する町へとうつし、仕立て屋と呼ばれる人殺し、ごみから集めて作られる、贋人間の存在。気づかぬうちに、侵略されていく穢れの町、そこで暮らす人々の感情の奔流、堆塵館、そして穢れの町の崩壊を、じっくりと丹念に描き出していく。

物語は第三部に至って、舞台を一大都市ロンドンへとうつす。闇に侵され常に夜となり、奇怪な感染病が蔓延し、生きた人の姿が次々と消えていく。何か恐ろしいことが起こっている。アイアマンガー一族はロンドンへと居をうつし、ロンドンを肺都(ランドン)と強硬に呼称し続け、イギリスを揺るがす巨大な野望を抱き始める。蔓延する奇病、消えゆく人間、力を増すクロッドの能力によって、ロンドンはカタストロフへと巻き込まれていく。『ぼくはクロッド。物を動かす人。ぼくはクロッド。物を浮かす人。ぼくはクロッド。念じるだけでどんな物でも動かせる。そして壊せる。』

「いいや、違う。われらは、われらアイアマンガーは肺都ランドンと呼ぶ。なぜなら、われらがこの力をもって、ロンドンを肺都ランドンという名前に変えるからだ。アイアマンガー全員にこの呼び名を徹底させる! そうだ、必ずそうする。なぜなら、あんなことをしたのは奴らだからだ。今度は肺都ランドンの奴らが同じ思いを味わわなければならない。いよいよ、窒息するのは肺都ランドンでなければならん。アイアマンガーは全滅させられはしない。絶滅することはない」

全体を通して読んでいて何度「これはすげえ!!」と喝采をあげたかわからない。第二部ラストの人間の奔流、そして第三部でロンドンを舞台にくり広げられる圧倒的狂騒。都市を、群衆を見事なまでに描き出しながら人の気持を察するのが苦手なクロッドのささやかな成長や心の動きまでを緻密にすくい取ってみせ、ルーシーはどこまでも強くしなやかで最初から最後まで魅力的でない瞬間は存在しないし、第二の主人公ともいえる館、町、都市の描写は"汚らわしくとも美しい"。

巻ごとの詳しい内容については、個別の記事を参照してもらいたいところだ。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
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物に命を与える物語

優れた物語は、読み終えた後も色濃い影響を読者へと与え、世界の見え方を一変させてしまうものだ。《アイアマンガー》三部作を読み終えた時に起こりえるであろう変化のひとつは、物に命が宿ること。それもどれほどくだらない物であっても──机でも、ナイフでも、ボタンでも、マッチ箱でも水槽の栓でも──そこからは声が聞こえるかもしれないのだから。小説ならではの体験の極致のような作品なので、その類稀なる訳業と合わせて、是非ともこの物語を体験してもらいたい。

穢れの町 (アイアマンガー三部作2) (アイアマンガー三部作 2)

穢れの町 (アイアマンガー三部作2) (アイアマンガー三部作 2)

肺都(アイアマンガー三部作3) (アイアマンガー三部作 3)

肺都(アイアマンガー三部作3) (アイアマンガー三部作 3)