基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

終末を迎える世界の片隅で──『世界の終わりの天文台』

世界の終わりの天文台 (創元海外SF叢書)

世界の終わりの天文台 (創元海外SF叢書)

北極諸島の端っこ、世界の隅の隅の天文台で研究を行っているオーガスティンは、周囲の研究者らがみな乗りこんだ、この地に二度と戻らぬ故郷への”撤収”を拒み、たったひとりで暮らしている。研究者として最新のデータを把握し、恒星の進化を記録する為に。だが、撤収の数日後に、どこからか現れたひとりの少女と出会ってしまう。

少女は本を渡せば読むし、非常に聡明なようだが、言葉数は少なく、撤収班は少女を回収にくるかと思いきや、誰も戻ってくることはない。何しろ外の世界は何らかの原因によって文明崩壊・人間世界の終末に瀕しているので、何者かの救助がくることは考えづらいのであった。ここを自身の死地と定めた老人ではあったが、そんなこんなで老い先短い老人と少女の、奇妙で静かな共同生活がはじまるのであった────。

 天文台に残ることを選んだとき、仕事は──最新のデータを把握し、恒星の進化を記録することは──とても重要に思えた。撤収とそれに続く無限の沈黙のあとは、観測し、分類し、比較を続けることは、かつて以上にきわめて重要なことに感じられた。彼と狂気のあいだに立ちはだかっているのはそれだけだった。

という感じで、物語は、終末世界を生きるオーガスティンの過去の栄光、挫折、勝利、発見、セックスといった回想を繰り広げながら、美しい文章で綴られるこの静かな世界で少女と交流を深め、どうにかして少女を助けてあげたいと願い、自身の生の意味も問い直していくわけだけれども、それと交互に描かれる別パートが存在する。

そちらの物語の舞台となるのは木星調査を目的とした宇宙船〈アイテル〉。調査を終え、地球へと帰還中の〈アイテル〉乗組員たちは管制センターとの通信が途絶え、何が起こったのかもわからぬ不安を抱えるうちに、緊張感とストレスも高まっていく。磁気嵐か、大気の問題か、小惑星が衝突したか、もしかしたら核が使われたのかもしれない。果たして本当に文明は崩壊してしまったのか。崩壊したとして、なぜ。

帯には『インターステラー』☓『渚にて』とあるが、そこまで壮大な話ではなく、世界の謎を解き明かしていくような話でもない。地球サイドではオーガスティンの人生を解き明かし、宇宙サイドでは乗組員の一人であるサリーを中心として、その人生、中でも家族との葛藤・思い出を掘っていき──といった比重が大きく、”家族”の物語といったほうがいいだろう。北極・宇宙という舞台もあって、物語全体を孤独感・寂寥感と、少女と老人の交流を通した仄かな暖かさが覆っており、終末の状況が詳しく明かされないこともあって、どこか幻想的な雰囲気が漂っているのも良い。

二つのパートはまったく無関係なわけではなく、のちにとある形で交錯し、終盤において抜けていたピースがきっちりハマる瞬間もあり、と260ページちょっとの短めの長篇ながら、満足度は高い。それにしても、「天文台」と「世界の終わり」っていうモチーフの組み合わせが、それだけで勝ち確というぐらいに強いなあ。以下余談。

生きている人、いますか?

 ほかの科学者たちが撤収したあと、オーガスティンは理論上は存在すると思われる人類の生き残りに接触するため、自身の手がとどかない氷の境界線の向こうでなにが起こったのかを突き止めるために、気のない試みをしていた。だが、通信網が沈黙し、民間のラジオ局が放送を停止していることに気づくと、彼は捜索をあきらめた。連絡する相手が誰も残っていないという考えに慣れた。なにかが、なにもかもが終わったという考えに。取り残されているという物理的な現実に不安を抱くことはなかった──それはずっと彼が計画していたことだった。

と一度あきらめたオーガスティンさんだけど、結局少女のために声を探す──具体的には無線を用いて生き残りを探しはじめる。で、当然ながら宇宙サイドのサリーたちも地球からの応答がないかとあれやこれやの試みをするわけで、終末的な世界で”誰かの声”を探して、僅かな希望を抱きながら送信と受信を続けるその在り方に、『CROSS†CHANNEL』を思い出さないわけにはいかないよなと思うのであった。