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分子生物学の博士号持ちの著者による中華SF──『沈黙の遺伝子』

沈黙の遺伝子

沈黙の遺伝子

本書『沈黙の遺伝子』は、アメリカで分子生物の博士号を取得した専門家で、今はマサチューセッツ州衛生局につとめる黄序(こうじょ)によるSFサスペンス。

コロンビア大学へ留学している中国人の江夏(ジアンシア)が、自身の所属する研究室で行われる夢記録装置の人体実験の被験者となることで、秘されていた江夏の記憶が明らかとなり、また同時に彼に埋め込まれていた100年にもおよぶ長い期間に渡る陰謀の記憶と実態も明らかになっていく──といった感じの内容で、時間SF的な要素も、歴史的な要素も、ロマンスもあり、といっぱい含んだテンコ盛りの内容だ。

夢記録装置というのは完全なるフィクションではなく、実際に現実でも研究が進められ、成果もきちんと上がっている。フィクションでもたとえば伊格言『グラウンド・ゼロ 台湾第四原発事故』では同じく夢の内容を画像化できる技術が陰謀の核心に迫る重要なギミックとして登場するし、そもそも本書の著者黄序自身が脳波から夢を再現する実験を行っていたという。なので、そのあたりのリアリティはさすがのもの。
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ただ、物語的にそうした夢の記録装置は出発点に過ぎず、江夏は「自分が一度も見ておらず、知らないこと」が夢に出てきていることに気が付き、しかもそれが全くの虚構ではなく現実の予言的な内容であることを知り疑問を抱くことになる。なぜ彼はそのような夢をみるのか──? と追求していく過程で、彼が忘れていた記憶や、一度も会った記憶がないのにどうしても惹かれてしまう女性とのロマンス(君の名は。の後みたいな話だ)や、”彼以外の人間の記憶”までもを思い出すことになるのだ。

ギミック的におもしろいのが、夢や記憶の完全な保存と再現ができるようになると、実質的に過去記憶を用いた記憶追体験は過去へのタイムスリップへと同様の事象になること。もちろん記憶なので身体は動かすことができないのだけど、江夏はそうやって過去へと飛び回り、時代を断片的に体験していくうちに、あのヒトラーまでが自身に関係していることがわかってきて──と大掛かりな内容へなっていくのである。

でもそうやっていろんな要素が詰め込まれすぎたおかげで「いや、展開早すぎでしょ」「説明圧縮しすぎでしょ」、「なんもかんも飛躍しすぎてついていけねえ」といろいろとツッコミたくもなってしまうのだけど、何でも訳者あとがきによると原作の分量が作者の手で半分以下に削ぎ落とされ、そこで生じたストーリーの齟齬を解消するため多くの加筆修正をお願いした結果がこの日本版『沈黙の遺伝子』のようだ。

元の原稿を半分以下にするような大手術なので、がんばって加筆修正をしたところでたかがしれているとは思うのだが、まあそうした背景を知ると「こんな状態ですんでよかったな」と思うような内容ではある。しかし半分も削除するなんてよほど元の原稿がひどかったのか、何か気に入らなかったのかわからないけど、完全版を読んでみたかったものである。ちなみ2018年4月には『沈黙の細胞』という本書の前日譚が刊行されるとか。そっちは半分になっていないといいんだけど……。