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中国SF、めちゃくちゃおもしろい──『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』

折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 5036)

折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 5036)

  • 作者: 郝景芳,ケンリュウ,牧野千穂,中原尚哉,大谷真弓,鳴庭真人,古沢嘉通
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/02/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー (ハヤカワ文庫SF)

折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー (ハヤカワ文庫SF)

『紙の動物園』、『母の記憶に』の今をときめくケン・リュウによって精選され、英語圏へと紹介された13篇から成る中国SFアンソロジーの邦訳版が本書『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』になる。もともとこのアンソロジー自体はケン・リュウの知名度も相まって話題になっており、非常に高い期待を持って読み始めたのだが──これが完全に高めに設定されてしまっていた期待を遥かに超えてきた一冊だ。

検閲や高齢化による介護問題など中国ならではの題材の物も多く、文化的にあまり読んだことのない手触りのものに触れられるのはもちろん、立ち現れるイメージは壮大で美しく、どれも純粋にSFとして、何より短篇小説としておもしろいものばかりである。巻末には中国SFの概観を捉えることのできるエッセイも3篇収録している。小説作品は7人の作家から1〜3篇ほど採択されているのだが、ケン・リュウによる作家ごとの作風や代表作の紹介が乗せられており、その文章がまた鮮やかで心地よい。

ケン・リュウは序文にて、”中国SFは、英語で書かれたSFとどう違うの?”という問いかけに、中国SFは多様であり、とても要約できるようなものではない。それは『さらに言うなら、百人のさまざまなアメリカ人作家や批評家に、”アメリカSF”の特徴を挙げるよう頼むところを想像してみてください』と語るなど、その慎重な姿勢もまた好ましいものだ。ここに集められた中国SFのレベルが高いのと合わせて、彼の紹介者・翻訳者(僕には判断がつかんが)の腕もまた、素晴らしいものなのだろう。

ざっくり全体的に紹介していく。

というわけでざっくり紹介していこう。

トップバッターは陳楸帆(チェン・チウファン)「鼠年」。遺伝子改造で強靭な耐性を身に着けたネオラットが町中へと脱走してしまい、やむにやまれずその駆除隊に入った青年の物語。ネズミを相手に街中を駆けずり回る、苦しい仕事を通して、この世界を支配する”ゲーム”の姿を描き出していく。ラストシーンの膨大な数のネズミたちによる汚ならしい美しさはたいしたものだ。同著者による「麗江の魚」は生物時計と松果腺の受容体を操作することで、老化と精神的な時間の流れを遅くする技術を中心とした物語で、異なる時間の流れを生きる人間からみた流れゆく風景がまた美しい。

夏笳(シア・ジア)はまた飛び抜けた才人で、小説も評論も書けば翻訳もし、映画作家、女優、画家、歌手としても活躍している何者だ感のある人物。「百鬼夜行街」は当たり前のように幽霊が出て活動をしている街を描く妖怪譚かと思いきや実は──と途中からSF的に変質していく変わり種で、そんな彼女は自身の作風を「ポリッジ(おかゆ)SF」と称しているらしい(ハードSFとソフトSFの区別へ対比させたもの)。

彼女の作品は三篇収録されているが、「童童の夏」は(童童はトントン)、これから先少子高齢化が苛烈化していく中国で起こりえる「介護者不足問題」を遠隔操作型のロボットによって人々が代わる代わるその立場を担うようになり──(たとえば、ロボットなので老老介護も場合によっては不可能ではない)という、着想自体は新しいものではないが、それによって”解放”を手にする高齢者たちの描き方が楽しい一篇だ。

馬伯傭(マー・ボーヨン)の「沈黙都市」は近未来を舞台に、検閲が行き着くところまで行き着いてついに禁止語が指定されるのではなく健全語が指定され、それだけを使用するようになってしまった社会で息苦しさを感じる男を描く。検閲社会のディストピアは、非常にオーソドックスといえる設定だが、その息詰まる世界描写、またその結果として”言語に何が起きるのか”という視点のおもしろさがたまらない。

郝景芳(ハオ・ジンファン)はまた素晴らしい短篇を書く作家で、まず「見えない惑星」は、惑星ごとにまったく異なる奇妙で奇天烈な文化と社会と生態系と物理的事象をいくつもみて回ってきた存在が語る想像力の炸裂した短篇。邦訳版の表題作である「折りたたみ北京」は貧富の差によって三つのスペースに分割された北京で、貧困層がいる第三層から第一層へと移動しその社会を体験していく一人の男の物語で、北京がゆっくりと折りたたまれていくその描写・風景には思わずあっと息を呑むだろう。

 ”交替”が始まった。これが二十四時間ごとに繰り返されているプロセスだ。世界が回転し始める。鋼鉄とコンクリートが折りたたまれ、きしみ、ぶつかる音が、工場の組立ラインがきしみを上げて止まるときのように、あたりに響き渡る。街の高層ビルが集まって巨大なブロックとなり、ネオンサインや入口の日よけやバルコニーなど外に突き出した設備は建物のなかに引っこむか、平らになって壁に皮膚のように薄く張りつく。あらゆる空間を利用して、建物は最小限の空間に収まっていく。

内容的にも評判的にも本書で圧倒的な実力を誇るのが劉慈欣(リウ・ツーシン)で、ケン・リュウ訳の『三体』で、翻訳ものとしてははじめてのヒューゴー賞を受賞した。これはやたらとそのおもしろさだけは伝わってくるものの読む機会がなかった作品で、今回本書には『三体』から抜粋した章の改作「円」が載っている。

じゃあ中途半端で終わってるの? と思うかもしれないが、秦の政王に仕える荊軻が、その才を活かし王の元で300万の軍隊を擬似的な計算機として用いることで不老不死の秘密に繋がる円周率の計算を行うが、その果てに訪れるのは──という完全に独立した短篇として読めるド傑作数学歴史譚で、着想・雰囲気としては『アリスマ王の愛した魔物』と近しいものがある。まあそもそも荊軻はFGOをやっている人にはお馴染みながら、王の暗殺に”失敗”した人物で──とと、話はそこでやめておこう。

同著者「神様の介護係」は人類の創造主である神が「やあ、神じゃよ。地球に住ませてちょ」と(そんな口調ではないが)やってきた「幼年期の終わり」ならぬ「老年期の終わり(藤子・F・不二雄の短篇であったけど)」。発展した文明は次第に老いていき、宇宙を放浪していた神らは科学も技術も次第に忘れていき、ただ生きているだけの状態になった後にかつて彼らが生み出した人類の元へと介護してもらいにきたのであった。コメディタッチのとぼけた訳もさることながら、ラストのオチがまた苦い。

おわりに

とまあざっくりと紹介してきたが、アイディアのおもしろい作品があり、いわく言い難いけれどもやたらとおもしろい作品があり、幻想譚も妖怪譚もあり、ディストピアあり歴史SFあり、ハードSFあり、おかゆSFありと無数の方向性から楽しませてくれる本書だが、読んでいて一番強く思ったのはどの短篇も”美しい”ということだった。

町並み、風景が美しいし、時間の流れや宇宙や人間の文明を描く描写が美しいし、300万の軍隊など、とにかく絵面が壮大である。ま、なにはともあれ本書を要約するならば”とにかくおもしれえ”以外何もないのだが。ただ、本書で残念な点が一つあるとすれば、こんなにおもしろいアンソロジーを読まされても、著者らの別の作品を読む機会がなかなかないことだろう。中国SFの翻訳が進むことを願ってならない。

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いま最も注目すべきジャンル、それは中国SFだ!――『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』解説、特別公開|Hayakawa Books & Magazines(β)
本書ではルビ監修もされている立原透耶さんの解説が読める・作家についてより詳しい経歴が知れるぞ。あとはケン・リュウの作品でも適当に読んでおいてください。

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