基本読書

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グーグルやフェイスブックによって、人間性が強奪される未来についての警告──『監視資本主義: 人類の未来を賭けた闘い』

この『監視資本主義』は、ショシャナ・ズボフによって書かれた資本主義と人類文化の未来についてを扱った壮大なテーマの一冊である。壮大なのはテーマだけでなく、本文600ページ超え、注釈で+150ページ、値段6000円超えとあらゆる意味でヘビィ。ファイナンシャル・タイムズのベストブックオブジ・イヤーに選ばれ、netflixでドキュメンタリーも公開されるなど、アメリカでは話題になっている本である。
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で、話題はともかく監視資本主義って何なのよ、ってことさえわからないままに読み始めたのだけれども、これが想像していたよりももずっと射程の長い話で、おもしろかった。想像していたのはグーグルやフェイスブックのような企業が我々のプライバシーを金に換金している!! みたいな話で、実際、その想像通りの話もしっかり展開するが、本書の肝は、それらのさらに未来に何が起こるのかについてである。

監視資本主義とは何か

監視資本主義とは、僕の言葉でまとめてしまえば人間の経験データを、製品のサービス向上の枠を変えて「強奪」し続ける企業・組織によって駆動される、新しい経済システムである。その筆頭企業として本書で挙げられていくのは、グーグル、フェイスブック、マイクロソフトの3社だ。これらの企業はサービスの利用者のデータの吸い上げに熱心で、そのデータを元に利用者の次の行動を予測し、広告を売りつける。

データの取得範囲は年々広まっており、たとえばAndroidであれば位置データが取得され、というように、Google製品が広まれば広まるほど、またセンサー類が安くなればなるほど、我々の行動データはまんべんなく取得されるようになっている。

別に取得されたっていいじゃねえか。何も失われていないし、それでサービスがよくなるなら、というのがほとんどの人の感覚かもしれない。だが、我々の行動データの吸い上げはサービスの向上「にも」利用されているにすぎない。利益をあげるためには少しでも多くのユーザデータを吸い上げることが重要で、我々が提供するデータはさらにまた多くのデータ、プライバシーを侵害するために利用される。

我々は労働をしているのに賃金を受け取れず、そのことに気づいてすらいない無知な労働者なのだ、というのが本書の中心的な主張の一つである。僕も基本的にこの意見に賛成である。こうした企業はユーザデータを集めるのが自身の収益につながるので、あたかも自分たちのイノベーションは正しく、反対するものは愚かで、データを収集するのはあなたのためだと装うが、ユーザの情報を換金したい詭弁でしかない。

 (……)わたしたちはもはや、価値実現の主体ではない。また、一部の人が言うような、グーグルの「商品」でもない。そうではなく、わたしたちはグーグルの予測工場で原材料を抽出・没収される物にすぎない。わたしたちの行動に関する予測がグーグルの商品であり、それらを買うのは、グーグルの真の顧客である広告主であって、わたしたちではない。わたしたちは他者の目的を達成するための手段なのだ。
 商業資本主義は自然の原材料を商品に変えた。そして監視資本主義は、新たな商品を創出するために、人間性の本質を手に入れようとしている。

そして、本書の主張はそこで終わるわけではなく、「人間性の本質」を手に入れた企業が次に実行するのは、「人間性の収奪」であるという。どういうことかといえば、人間から行動データを吸い上げ、次にどのような行動をとるかを予測できるようになった企業がやることは、人間の行動を誘導することなのである。監視資本主義は発展すると人間の行動を制御するようになり、操られている側はそうと気づくこともなく、個性をはぎとられる。新しい形のディストピアの提示が本書の肝なのだ。

人間性が収奪された世界

たとえば、今では誰かが車のローンの支払いをやめたら、車両監視システムに指示を出して、車を発進できなくさせることが簡単にできるようになった。また、保険会社はこのシステムを使い、顧客が安全運転しているかどうかを確認し、保険契約の継続・料金の上げ下げ、契約の終了といった判断をリアルタイムで下すこともできる。

シートベルトをしめているか、速度、アイドリング時間、ブレーキングやコーナリング。強引な加速に長時間の運転、立入禁止区域への侵入まで、すべてのデータが収集できる。こうしたシステムが車に搭載されたら、当然それは人間の行動に影響が出るだろう。保険料金を上げない、あるいは打ち切られないために、みんな法定速度をおかさず、安全運転を志すかもしれない。それは、素晴らしいことだ、と思うかもしれない。みんながみんな安全運転以外許されなくなったら、事故も減るだろう。

もちろん、事故が減るのは喜ばしいことだが、一方でどこまで事故の減少のために自由を明け渡すべきかはよく考えるべきだろう。また、それは本質的には事故の減少が目的ではなく、保険会社の利益のために行われていることである。たとえば、運転データは安全性のためだけでなく、ユーザの運転特性からターゲティング広告が設定されたり、実在する店などへの誘導に用いられることもあるだろう。ドライバーの行動から吸い上げられたデータは、ドライバーを制御するために用いられるようになる。

こうした行動制御は車に限った話ではない。食べすぎていれば冷蔵庫に鍵をかけることも、テレビをきることも、座りすぎた時は椅子を揺らすこともできる。SNS上では、すでにフェイスブックは、ユーザに見せる投稿の種類をコントロールすることで、投票行動を促したり怒りなどの感情を呼び起こすことができることを実験で明かしている。これは、ひとつひとつは良いことなのかもしれない。投票率はあがり、怒る人間を減らし、食べ過ぎを予防し、健康的な人間を増やせるかもしれない。

だが、その行き着く先は個性と自由の剥奪だ。『今わたしたちは、普及する行動修正のデジタル構造のせいで、基本的な未来に対する権利が脅かされる歴史的瞬間に直面している。』恐ろしいのは、中国に信用スコア制度が導入された時モラルが改善されて国民の多くが喜んだというように、こうした行動制御は間違いなく最初は「良いもの」「素晴らしいもの」として導入されるであろうことだ。

本書ではゲームのポケモンGoも、ユーザに詳細が明かされない「スポンサー付きの場所」が存在し、それでいくら受け取っているなどの情報は明かされていないものの、少なくともスポンサーは、訪問とゲーム行動の報告を受けるとして槍玉にあげている。行動制御は制限などの形だけでなく、ゲーミフィケーションの形を通して「楽しいもの」として用いられることもある。

おわりに

肝の部分を中心に紹介したが、本書では他にもなぜグーグルやフェイスブックといった企業はこうした監視資本主義を推し進めることができたのかを解き明かし(多額を費やしたロビー活動、9.11テロ時の諜報機関との連携、自分たちの立場を支持する研究のための研究者への多額の資金援助)、こうした流れが哲学的・社会学的にどのような研究の中のどこに位置づけられるのかをバラス・スキナーなどを上げながら提示してみせる。これ本筋とは関係なくね?? みたいな話や繰り返しも多く、冗長さも感じさせるところもあるのだが、それがまた熱いパッションを感じさせる一冊だ。

6000円超えの本の値段とページ数、そもそも日本ではこの手の本があまり売れないのでたぶん手に取る人は多くないと思うのだが、重要な本であることはあらためて書いておきたい。