基本読書

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第一次世界大戦中にインターネットや携帯電話が発展し、高度な監視システムが構築されたIFのドイツを描き出す改変歴史SF──『NSA』

この『NSA』は、ドイツを代表するSF作家アンドレアス・エシュバッハが18年に発表した、ドイツが舞台の歴史改変SF小説である。歴史改変ものとは、「もし歴史のあの時点で結果がこうなっていたら?」といった実際の歴史と異なる仮定をおき、別の歴史を空想するジャンルのことだが、その舞台とされる歴史の分岐点にも人気の多寡がある。もっとも書かれてきたのは、おそらく第二次世界大戦時の話だろう。

たとえば、第二次世界大戦でもし大日本帝国、ドイツ、イタリアの枢軸国側が勝利したら……? は『高い城の男』や『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』など多くのSF作品で描き出されてきた。で、『NSA』も改変歴史SFで、大人気の第二次世界大戦期のドイツが舞台なのだが、題材的には先行作と比べても変わり種だ*1

『NSA』が描き出しているのは、ドイツで第二次世界大戦よりも前に携帯電話やインターネットがすでに存在し、発展を遂げていたら……? というイフである。この世界のドイツでは、1930年代にはネット掲示板で活発な議論が行われている。通貨も廃止され、物品の購入はマネーカードを通して行われているから、購入履歴もすべて検索可能な状態で残る。携帯電話の位置情報も記録されているし、通話内容も傍受できる。そうした技術をナチス政権下のドイツが持っているのだから、その全ての情報は、当然裏切り者やユダヤ人を見つけ出す監視のために使われるのだ。

ドイツがどのように監視体制を築き上げ、データを用いてユダヤ人や裏切りものをあぶり出していくのか? をアンネ・フランクなど実在の人物を多数交えながら描き出していくのがまず魅力的なポイントだが、携帯電話の位置探知や通話のチェックといった監視システムはそのまま現代の我々を監視しているものなのであって(そもそもNSAはスノーデンが告発したアメリカ国防総省の情報機関である)、それに気がつくと、現代と本作のドイツが重なり合い、ゾッとする恐怖とおもしろさが湧いてくる。

本作の解説が『スノーデン 独白』の訳者でもある山形浩生であることもそのあたりと関係しているのだろう。物語の序盤の立ち上がりはちとたるいがサスペンス的にも一級品で、一度話が大きく動き出したら最後までノンストップだ。

あらすじ、世界観など、

先に触れたが、舞台になっているのは、チャールズ・バベッジによる解析機関が第一次世界大戦中に極度に発達し、世界に展開した電話網に乗っかる形でコンピューターネットワーク「ワールドネット」が出来た世界。物語は主に、ヘレーネ・ホーゲンカンプと、オイゲン・レトケの二人のNSA(国家保安局)職員を通して進行していく。

プログラマの多くは男性のイメージが強いだろうが、コンピュータ革命の初期のプログラミング分野では、それを担当するのは女性と決まっていた。そもそも世界初のコンピュータ・プログラマとされているのは、女性のエイダ・ラブレスなのだ。そうした背景があったうえで、ヘレーネは、家政学の成績が悪く、コンピュータ好きのおじの影響もあって女子向けの科目であるプログラミングを履修することにする。

彼女は、『特に気になったのは、プログラミングは女の仕事だとみなされていること、しかも男に巡りあえなかった女を想定していることだ。これに科目登録するなんて、まるで幸運をつかむ希望を最初からあきらめているみたいじゃない』と気乗りしないながらも履修すると実力を発揮。NSAにプログラマとして雇われ、SQLを駆使してデータを分析し、隠れたユダヤ人をあぶり出す仕事につくことになる。

もう一方の主人公であるオイゲン・レトケは、純粋なアーリア人の遺伝子を持ち、戦争の英雄の息子でプライドの高い男である。彼は青年時に、友人にストリップポーカーをだしに呼び寄せられ、仕掛けのあるカードでハメられ、女性たちから嘲笑されたことをきっかけに、その時場に居合わせた女性ら一人一人に復讐をすることを決意する。しかし、彼はその女性らの名前すら知らないので、捜索は難航を極め、この復讐それ自体が彼の人生を通して実現する一大事業へなっていく……。

サスペンスとしてのおもしろさ

この二人の共通点は国に忠誠心を持っていないところにあり、その立場上の特権を私利私欲のために使っていくことになる。オイゲンは復讐相手の女性らの住所を調べるためにデータを自分の権限を超えて用い、ヘレーネはヘレーネで、実は地下に脱走兵の恋人の男をかくまっており、彼が見つからないようにデータを不正に利用する。

ヘレーネはプログラマとして監視システムの構築に関わってはいるものの、そうそう簡単に監視システムから恋人を守れるわけではない。携帯電話の位置情報がとられており、テレビが盗聴器になっていると警告することは簡単だ。だが、改ざんが難しいものもある。たとえば彼女は、各家庭で購入された食料のカロリー料を算出するプログラムを「国民への食料の供給状況を把握するため」と思い込んで書くのだが、実はこれは、平均よりも多くのカロリー分の食料を買っている人物──何者かを匿っている──をあぶり出すためのものだった。過去分の食料購入履歴はどうしようもないから、恋人を守るためには、場合によっては改ざんを行わなければならない。

と、二人とも私欲のために国家のデータを用い、時に改ざんを試みるのだが、それがバレないわけがない。僕は本業がプログラマなのだが、若手だった頃は自分がやってしまったミスを隠す、あるいはバレないうちにリカバリーしようとして、何度もそれ以上の大惨事を引き起こし、報告せずに作業したのがバレて怒られてきたものだ。今となってはミスったらどんだけやばいミスであっても正直に白状するのがもっとも良い選択肢なのだと知っている。”ログは残るし、作業はバレる”のである。

しかも、仮に一度改ざんをやり遂げたとしても、隠匿者を抱えるものが買いがちなもの──たとえばでかい梯子、キャンプ用のトイレなど──の購入履歴などの怪しげなもののをデータ分析するようになったりと、監視システムの構築はどんどんと進んでいき、二人ともその対応に追われることになる。このあたりの描写──周りが全員敵の中で、バレないように行動すること──は優れたスパイ物の小説を読んでいるような緊張感がみなぎっていて、純粋にサスペンスとしてもおもしろい部分だ。

おわりに

そうした交錯していく二人の小さな物語とは別に、こうした巨大な監視システムを構築したドイツが世界大戦においてどのような力を発揮し、アメリカやイギリスと渡り合っていくのか──といった大きな物語もその背景で動いていくことになる。

はたしてドイツは第二次世界大戦に勝利することができるのか、はたまた……。違和感なく現代の技術、テクノロジーが約100年前のドイツに外挿されていて、著者の力量には驚くばかり。ラストは衝撃的だが、個人的にはかなり好きなたぐいのやつだ。

*1:『ディファレンス・エンジン』があるが、またちょっと違う