基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

四季 夏 森博嗣

あらすじ
天才、真賀田四季の生涯。


感想 ネタバレ無

今回もその天才がバッサバッサとお前ら全員無駄なことばっかりやってんな!と切り捨てていくわけだけれども、冒頭にプラトンの愛に関する解釈を持ってきたところからも、夏は恋愛色が強い。

すべてがFになる、に出てきた真賀田四季の過去の事件やトリックもここで明かされる。

いまさらだけど、4冊読んでから一気に書いた方が断然よかった。一冊一冊の区切りというよりも、章立てとしての区切りとして巻が別れているゆえ・・・。

どうせなら最初から一冊にしてほしかったという感じだけれども、まぁしょうがない・・・。

瀬在丸紅子との邂逅の話と、瀬在丸紅子に対する分析のシーンが出てくるが、個人的にはそっちのほうが興味深かった。

そして今回は特にミステリー的な要素もない。まぁ、元々あまりミステリーというのもどうかというようなこの四季、だけれども。

ネタバレ有


思うに、両人が、そういう気持ちになるというのも、じつは、僕たち人間の太古本来の姿が、そこにあるからなのだ。昔の僕たちが、完全なる全体をなしていたからなのだ。そして、その完全なる全体への欲求、その追及にこそ、愛という名がさずけられているのです。
(SYMPOSION/Platon)


完全なる全体完全なる全体 完全体 なんかかっこいいな。でもこの完全なる本体ってようするにフタナリのことなんですかねキャー

完全なる全体に至るために愛があるというテーマが、作品に強く反映されておったとさ。

各務っていう人どっかで名前聞いたことあるなと思ったらVシリーズに出てきたキャラクターだった。かなり忘れている。

子供を産むというのはどういうことかという話でもあった。なぜ、人は子供を産んだあともだらだらと生き続けるのだろうか。

人の体と心が決して別々のものではないという事もいっている。というか、色々言っているからピックアップすることしかできないのだが。

頭の中で展開しているスピードと体が反応する時間にあまりにも差がある四季がいったいどんな感覚を受けているのかはわからないけれども、想像してみるに拷問に近いものじゃないか。

子孫を残すことによって、自分の死をイメージすることと等しいというのはようするにデータを残すことだろうか。

自分の中にある色々とごちゃごちゃしたものを全部子供に残して、自分はその中にいるのだから産み落とした殻は正真正銘何も残っていない殻だということなのだろう。

そういう意味では完全なる全体に近いのは女のほうだろうか。男と女、どちらかがいなくなるとしたら男がいなくなるだろう。

受精すれば、花は枯れる。
しかし、人は子孫を産んでも、まだ生きようとする。
何のために?
循環を望んでいるようで、阻害する。
永遠を望んでいるようで、悉く断ち切る。
一瞬の本能だけが、生命の循環を支えている。
脆弱だ。
その反動で、個が生じ、
この我が儘な自我を形成したかのよう。
新しい生命など生まずに、ずっと生き続ければいいのに。
もしそれが可能になれば、人はもう子供を産まないだろうか。
永遠を手に入れることで、愛情は退化するだろうか?

ずっと生き続けられたら、もう子供なんて産まないんだろうかなあ。そうなるように思える。死ぬから子供を残すのであって、死ななかったらもう何もかも関係なくなるんじゃないか。愛情は退化するんじゃなくて停滞するんじゃないだろうか。何もかもが、止まるんじゃないかな、時間も空間も。と考えてみる。

瀬在丸の息子がどんな事を考えているのかというのは、まったくVシリーズでは語られてなかったけれども、「夏」を読んでいてひょっとしたらあいつは母親を殺すんじゃないだろうかと急にわけのわからない感覚をもった。

何を考えているのかさっぱりわからないが。