基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

たったひとつの冴えたやりかた ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア

あらすじ
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの書きだす世界を、少しずつ表現していく3篇の中編集。


感想 ネタバレ無

魂ある物語に、敬意を表する!!

3つあるが、どれも疾走感のある文章と展開のスピードで時代の流れを感じさせない。SF古典に名作として残っているだけはある。SFを知らないまま死なないでよかったと、そう思わせてくれるほどにはいい作品であった。

しかし、自殺をしている。 これはと思う作家の最後が、自殺であることが多い。何でだろう・・・?何かを削りながら書いているからだと最初のころは思っていたが、そのケースもある人はあるだろうが、そうではないケースの方が多いだろう。 
もっとも、自殺する人間の数が多いのだから必然的にその多数の人間の中に作家が含まれているというだけの話かもしれない。こんな話を始めたらサラリーマンはきっと自殺者数が一番多い、なぜだ?サラリーマンは神経を使うからだ!サラリーマンは危険だ!という事になってしまうだろうか。

単純にサラリーマンに自殺者数が多いのはサラリーマンが多いからである。

どれも疾走感のある文章と書いたけれど、一つしか文章がないわけではなかった。最初の話、たったひとつの冴えたあり方は差し迫った状況で、一分一秒をあらわす場面描写のため必然的にああいう文章になったんだろうと思う。

作品ごとに完全に読むスピードをコントロールされているといった気がした。

ネタバレ有


たったひとつの冴えたやりかた 
表題作
スピード感が半端ない。読んでいるうちにどんどん加速していく、止まらない止まらない。F1のぅぅぅぅおおおおおおんんんんんというような感じであっという間に通り抜けて行った。
このリズムのいい会話はなんだ?ファーストコンタクトの異星人との会話なのにまるで十年来の漫才の相方のようにぽんぽんと会話が成立してその会話の一つとして無駄なものがない。価値のある対話だ。 情報が含まれている。だらだらだらだらと続ける会話ではない。

脳に寄生して宿主の体をあやつるという恐ろしい力を持っている異星人に自分の体を与えて共存して友達になるという展開も新しいものだったと思う。どだい自分の体を相手に与えるのが条件では契約が成立しないからだ。

頭に寄生する生物と友達になれる話があったなんて、驚きである。

自分を抑制する事が出来なくなった寄生虫と、それがもたらす悲劇を食い止めようとして太陽に突っ込むときのセリフ

「知ってるわよ、あたしだって。あの大きな黄色の太陽がかなり熱く明るくなったのはね。でも、心配しないで。あのそばを通過すると、旅がまる一行程も短縮できるの。これがたったひとつの冴えたやりかた。ハン・ルー・ハン、だれか聞こえる?」略

「シルのことを忘れないで。彼女はすてきだわ。ヒューマンのために、異種族のために、こうしてくれたの。あたしをとめようと思えばそうできたのに。それだけは信じて。・・・・・・さようなら、みなさん」


大事なことはさらっと伝えるべきである。今から名言をいうぞいうぞともりあげていったのでは、凄さを演出している。その点でいえばコーティーはその体現者だった。 何が正しいのかを、自分の生き方で証明してみせた。シロベーンの事を恨みながら死んでいくことも出来た、またはどうせ死ぬんだからみんな同じような事になってしまえとヤケになることも出来たのに、そうしなかった。そしてそうしなかったことを別段誇ることもしない。

もちろん、死ぬ時に高尚な演説でもするかのように、みなさん、愛は世界を救うのです、などというセリフを残してもよかっただろう。それはそれでありだよ。でもそれは、すでに言っているのと同じことだ。同じ事を二回いっているのと同じことだ、生き方ですでに語っているのに、わざわざ言葉に出して言う事はないのだ。ただ、最近はわざわざそうでもしないと理解出来ないという人間が増えているというだけの話だ。

死ぬ時にあたって、たったひとつの恨み事も残さなかった。ある意味これこそがたったひとつの冴えたやりかただったのではないか。すてきだというのなら、コーティーこそが一番すてきだっただろう。

「それでは、もし異議がなければ、天体名鑑の中でその星を新しく命名しようか」
「コーティーの星」と通信部長がいう。一同が立ち上がり、部屋を出ていこうとする。
「コーティーとシロベーンの星だ」と静かな声がいう。「みなさん、もうお忘れかね?」



グッドナイト、スイートハーツ

長い年月を経て、再会した初恋の女性と、そっくりなクローンと同時に会い、なおかつ宇宙海賊にまで襲われるという内容である。

恋愛的な感情が当然まじってくるために、先の短編のように疾走感のある話ではないが。 疾走感というよりも、それは単純に会話が多いということではあったが、地の文が少なかった。だけの話だ。

だがこの時を越えて再会する初恋の女性とクローンというのも、SFの醍醐味だなと感じる。この作品に関しては、過程はあくまでも結末にいたるための道に過ぎなかった。過程ははぶいてしまってもかまわないのだった。

宇宙服は二着、人間は三人。
その恐ろしい論理が彼をぶちのめす。思わず女たちの顔を見くらべる──そしてむこうがそのことにも気づいたのをさとる。
ふたりの女のどちらかをえらぶのだ。
それしかない。

「彼女をとりなさい、レイブン。わたしの孫を。わたしはもう充分──」レーンがそれをさえぎる。「だめ! そんなのいや! イリエラをえらんで。彼女はあたしの─」だが、レイブンは耳をふさぐ。そんなことを”議論”できない。ふたりのうちのどちらかが真空の中で死ぬのを、ノーズコーンが分離したとき、ひとりがいやおうなく死んでいくのを、どうして正視できよう? どっちだ? どっちにする? 
だめだ。えらべない。


当然、えらべない。結局、考えた挙句に自分が宇宙服を着ないでなんとかする方法を選ぶのだが、これはもちろん自分が生き残ってもそれが辛いからだろう。2人の女性のために自分が苦難の道を選んだというよりも、自分を助けるために自分で苦難の道を選ばざるを得なかったということだ。

苦痛とはちがった心のうずきといっしょに、彼はあの至福の感情を思い出す。ふたりの女のうしろで補助席にすわり、恋人を、いや、恋人たちをとりもどしたことにひたすら幸福だったあの瞬間。ひょっとしたら、あの瞬間こそがそれではなかったのか。障害忘れられない、純粋でまざりけのない幸福、失われた愛の極致と充足では? いや、そんなはずはない、と彼は抗議する。しかし・・・・・・


グラン・ヴァカンスにあった一文 人生を変えてしまう一瞬というものがあるとすれば、その瞬間にきっと生まれ落ちる、かけがえのない感情だった。

その幸福感こそが、人生を変えてしまう一瞬だったのだろうと俺は想像する。

夜は千の目を持つ
げにも眺めうるわし
されど自由なくして
心の日の出ぞむなし



衝突

人間と異星人とのファーストコンタクトを書く。 こっちはたったひとつの冴えたやりかたと比較しても、まともな異星人とのファーストコンタクトだろう(まともな異星人ってなんやねんというのはおいておいて)


たとえば、突然地球が変なたこ型の異星人に襲われて、闘っていたところに、たこ型の異星人が下りてきて、私たちは君たちを襲っているたこ型の異星人とは同じ種族だが、敵対している関係だ協力しあおうではないか、と突然やってきて信じられるかどうかという話ですよ。

信じられませんよ、無理なんですよ、そんな事は。しかるべき手順をふんで、しかるべき精神的接点をもって、論理的な証拠をみせてもらわないととてもじゃないけど信じられないんですよ。信じるという行為が、どれだけ難しいのかを書いている短編でもあった。

それを、土壇場のわずかな時間で、チートのように行程を吹っ飛ばしてなんとかしてしまうのが今回の話なんですよ。信じるというのが、どれだけの犠牲の元になりたって、どれだけの効果を生むかという話です。 

「そして、アッシュ船長のあの不屈の意志を、けっして忘れちゃいけないわ。惑星破壊ミサイルを積んだ戦艦の中で、彼を敵だと考えtげいる、あの頑固な、愛国的な艦長に、根気よく何度も説得をくりかえしたことを・・・・・・。乾杯しましょうか、銃を頭につきつけられても、ピジン銀河語で”信じる”という単語を定義しろという難題から一歩もひかなかった男に!」